第72話 騎士マルチェル。

「剣には刃がありますが?」

「危ないですね。知っていますか? 剣を振っている人間が一番刃に近いんですよ」


 相手の動きを止めることができるなら、加速することもできる。

 そして「力」には「大きさ」と「方向」という「性質」が備わっている。


「特に多敵と戦う時、わたしは相手の武器を加速して上げます。それはそれは良く仲間同士で斬り合ってくれますよ」


 1の速さで振っている剣を2の速さに加速してやる。とてもではないが、人の力では止められない。

 隣に立つ味方や、自分の足をすっぱり斬るまでは。


「刃の通り道にいるから危ないのです。技の起こりが見えるなら、力の大きさと方向を読むことができます」


 技が起こるとき、刃の進む先にいなければ良いのだ。あるいは刃の進む先を変えてやれば。


「素手で戦う騎士がいるとは知りませんでした」

「わたしも自分以外は知りません。味方の騎士も迷惑だと言っていましたね」


 マルチェルは騎馬の状態では戦力にならない。馬の上からでは、敵に手足が届かないのだ。


「どうやって騎馬戦に参加したんですか?」

「同僚の馬に便乗するんですよ」

「2人乗りですか?」

「はい。2人乗り用の鞍を作ってもらいましてね。わたしは後ろに乗るんですよ。で、そのまま敵の最前列に突っ込みます」


 そうは言っても、マルチェルは素手である。馬の上からどうやって攻撃を行うというのか?


「敵とぶつかる瞬間、わたしは騎手の肩を足掛かりにして宙に飛び出すんですよ」


 飛び上がったマルチェルが地上3メートルに達したとすると、地面に落ちるまでに約15メートルは飛んで行くことになる。


「敵兵を10列くらい飛び越えます。そこまで行くと騎馬や槍持ちはいなくなり、弓兵隊か一般兵ですね」


 この人は化け物かと、ステファノは思った。

 何百人いるか知れない敵兵の真っただ中に、徒手空拳で飛び込むというのだ。鎧もつけずに。


「敵陣もそのくらい深く入り込むと、前線なんか見えていないんですね。たいていわたしを見て驚きますよ」


 開いた口がふさがらなかった。そりゃ驚くだろう、敵兵も。


「着地の勢いで2、3人蹴り殺します。そうしておいて、飛び越えた敵の後ろから襲い掛かっては、たおした敵を放り投げます」

「敵を投げるんですか?」

「はい。わたしの流儀は投げ技を得意としていますのでね。鎧を着た兵士をぶつけてやると、ぶつけられた奴は気絶しますね」


 鉄の塊が飛んで来るのであるから、下手をすれば首の骨が折れて死ぬだろう。


「当然わたしの周りで混乱が起きます。統率が乱れ、隊としての前進力が損なわれますから、そこの敵陣が薄くなるんですね」


 味方の騎馬隊はそこをめがけて突入するのだと言う。


「……良く生き残れましたね」


 ステファノはそう言うのがやっとであった。


「実際はそれほど危ないこともありませんでしたよ? 誰も人が飛んで来るとは思っていません・・・・・・・・・・・・・・・・から」


 訳もわからぬ内に目を潰され、首を折られ、鎧の隙間から急所を突かれて敵兵は戦闘不能になった。

 後は「鉄の塊」として味方を潰す末路であった。


「一番危ないのは突っ込んできた味方の馬に巻き込まれることでしたね。わざとやっている奴がいるのではないかと、時々思いましたが」


 金を貸してやった奴が怪しいと目星はつけていたんですけどねと、本気か嘘かわからぬ調子でマルチェルは韜晦とうかいしてみせた。


「戦が収まった後、ネルソン様の護衛騎士としてお側につくことになりました」


 ネルソンが王立アカデミーに入学する直前のことであった。

 当時マルチェルは20歳。ネルソンに年齢が近いということで選ばれた。


「アカデミー構内では帯剣禁止でしたから、徒手武術を得意とするわたしを護衛につけるのがちょうど良かったのです」

「それは最強の護衛でしょうね」

「とはいえ互いに無腰むごしですからね。滅多に暴力沙汰は起きません」


 確かに侯爵子息に喧嘩を売る馬鹿はいないだろう。スノーデン王国に公爵位は無いので、侯爵は臣下として最高位階に当たる。


「危険なのはアカデミーの外です。貴族の子息はアカデミー在学中に市井しせいの暮らしを経験することが通例となっていました。ネルソン様も悪所に良く通われたのです」

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