第71話 「速さ」ではなく「早さ」。

「武術には様々な流派があります。わたしの流派では、武術とは『体の仕組み』と『力の性質』を知り、それを制御することであると考えます」

「『体の仕組み』と『力の性質』……」

「武術の流派によっては、同じような考え方を『気』とか『けい』と呼ぶことがあります」

「『気』と『勁』……」


 ステファノは新しい概念を必死に取り込もうとしていた。自分の世界には存在しない概念が、この世にはあるのだと改めて認識させられていた。


「特別なことではありません。先程のやり取りではパンチの起点の1つである肩を押えました。あそこを止められると、二の腕から先を突き出すことができません」

「それが体の仕組みですか?」

「その一例です」


 パンチというと拳のことだけを考えがちだが、そうではないとマルチェルはいう。


「拳は投げられた石と同じです。一連の動作の結果に過ぎない。体全体を使って拳に力を伝えることが、パンチを出すということなのです」

「動作の結果……。つまり、『起こり』とは?」

「そう、動作の起点・・・・・です」


 右足を後ろに蹴り出し、左足を前に踏み出す。腰を捻り、背中を捻り、前進力と捻転力を肩から・・・腕に伝える。

 そして肘を伸ばすことによって打ち出された拳に、全身で作り出された力を載せる……。


「それがパンチにおける『体の使い方』です。わたしはその中継点の1つである肩の動きを止めました」


 すると、どうなるか?


「二の腕から先に伝えようとした力は、行き場を無くして流れを変えるのです」


 肩は止められている。自由になるのは左半身と、下半身であった。


「右腕の代わりに左肩が前に飛び出し、前進力を生み出している下半身が自分で前に飛び出す・・・・・・・・・のです」

「それで自分から吹き飛んだと」


 正確に言えば「後ろに飛んだ」訳ではない。右肩を残して、そこから下が前に飛び出した・・・・・・・のだ。


「よろけるくらいだろうと思っていたら、お前の足腰が思いの外強くて宙に浮く結果になってしまいました」


 その後は、マルチェルが素早く・・・動いてステファノの後ろに回り、背中に手を添えて支えてやったのだ。


「そこが不思議なんです。俺の目にはマルチェルさんの動きが見えませんでした。どうしてそんな速さで動けるんですか?」

「『速さスピード』ではなく『早さクイックネス』なのです」

「早さですか?」

「そうです。わたしの『しゅ』によってお前の意識はわたしの左手に集中しました。それに対してわたしの意識はお前の全身を捉えていました」


 右足の蹴り出し。踏み出そうとする左足の緊張。その始動の瞬間を感じ取る。

 マルチェルは左手を残したまま、右足を踏み込み、右手でステファノの肩を押さえた。


 力を籠めない自然体の動きは「パンチを繰り出す」動きよりも早く始動できるのだ。


「お前が動き出そうとした瞬間にわたしはお前の右肩を止めました。お前は体の制御を失い、わたしに対する意識の焦点も失ったのです」


 左手から視線が逸れると同時に、マルチェルに向けた意識そのものが対象を失ってしまった。

 マルチェルの動きが見えなかったのではない。見ていなかった・・・・・・・のだ。


「今回のはただのいたずら・・・・ですが、本当に優れた技を受けると相手に何をされたのか分からないものです」

「恐れ入りました」


 ステファノは心底驚嘆していた。

 子ども扱いどころではない。動かせてもらえなかった。


「これが『鉄壁』……」

「わたしはこれと同じことを、相手が剣でも、槍でも、矢であっても行うことができます」

「素手で戦うのですか?」

「徒手空拳が最も早い・・のです」


 武器を振るうためには、足腰を動かし、背中を捻り、肩から腕を振り出す必要がある。

 どんな名人でも、技の「起こり」に時間を費やすことになる。


「そして、武器の重さは『速さ』を邪魔します」


 剣の先端は速い。目にも留まらぬ速度で振り抜かれるが、速度が乗るまでには時間を必要とする。

 武器という「質量」に働く加速度は時間を費やさねば「速度」に変わることができない。


「武術の世界では武器も体の一部と考えます。腕の先に鉄の塊をつけた相手に、素手のパンチで負けるはずはないでしょう」

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