第伍話 至弱の弟子(2)

 兄弟子たちは好きだった。力の劣る自分に対しても平等に扱ってくれた。それは師父があくまでも万人に対して平等な人間であったということもある。それ故に、兄弟子たちはいつも又造の身を気遣ってくれた。成果の出ない又造の修行にも快く付き合ってくれる、気さくな兄弟子たちであった。


 だがそれでも兄弟子たちは馬鹿だと又造は思った。

 相手の力を測りもせずに挑んだのが馬鹿だ。

 何の仕掛けもせずに挑んだのだが馬鹿だ。

 手に余ると思ったときにすぐに逃げなかったのが馬鹿だ。


 兄弟子たちは強かった。いずれも常人の剣士の域を遥かに越えた強さだった。日ノ本のどの剣士も兄弟子たちには敵わなかっただろう。

 だからこそ、その強さを過信して何の工夫もなくただ挑んだのだ。自分が恐ろしく強ければ自然と勝ちが転がり込んでくるとそう信じていたのだ。

 力ある者は真剣に物事を考えるということをしない。

 だが自分ば違う。そう又造は思った。自分は古縁流最弱の剣士だ。力が無い分、頭を使わなくてはならない。兄弟子たちはそんな又造の考えを姑息と笑ったこともあったが、それでいいのだと又造は信じていた。敵に卑怯と罵られるぐらいが古縁流としては理想なのだ。


 相も変わらず独りで修行は続けていたが、そこには期待していなかった。自分が初の皆伝以上になることはないと見切っていた。

 そして修行の合間にも心はどうやって龍を倒すのかへと向かう。

 龍の神通力はあの黒雲を湧き起こすことだ。そして黒雲に乗って空に浮かぶことができるし、雷を落とすことができる。攻防揃った極めて強力な神通力だ。さすがに十二王最強と言われるだけはある。


 第一の関門は龍である閃火王が空を飛ぶことだ。空を飛ばれてしまえばこちらには打つ手がない。古縁流の得意とする手裏剣では届かないし、弓を使っても無理だろう。

 だが空を飛ぶと言っても鳥のように鋭く高く飛べるわけではない。龍は雲に乗って悠々と飛んでいるように見えるが、その実はゆっくりとしか飛べないのだと又造は見てとっていた。飛ぶというよりは雲に乗って浮かぶという方が正しい。恐らく神通力を使っていてもあの巨体を浮かすだけで精一杯なのではないか。

 とすると簡単な錘でも巻き付けてしまえば空を飛ぶことは防げる。最低でも空に逃げられなくすることは可能だ。

 だがそれにしても、まず最初に空飛ぶ龍に近づくこと自体が不可能なのだが。


 そして第二の関門はあの稲妻。金物である刀を持っていては避けられぬ上に一撃でも食らえば間違いなく死ぬ。雷を落とされた時点で間違いなく負けになるものをどうやって落とさせないようにするのか。それもまた難しい。



 又造はまず山岳修験者のところを訪ねた。かって夜な夜な空を飛んだという役行者のような術がないかと思ったのだ。結局は今の修験者の間にそのような術は伝わっていないと分かっただけに終わった。

 続いて又造は山を離れ街中で暮らすようにした。学問の師を求め、賢者と言われる人々の間を訪ね歩いた。南蛮の学問にも助けを求めた。よもや外国には人が空を飛ぶためのカラクリか何かがあるやもしれぬと。

 その試みはやはり挫折した。

 だが又造は諦めなかった。ぽるとがる語を習い出島まで出かけたこともある。日本と言わず外国とは言わずあらゆる書物を漁り続けた。

 そしてどうやら解決策の一つと思われるものに行き当たった。


 ある一つの考えが又造の中で固まり始めた。



 準備が整うまでには長い時間がかかった。


「古縁流最後の伝承者。風内又造。決闘を所望す」

 そう書いた木札を湖に投げ込み、指定しておいた野原にて待った。周囲には何本もの鉄棒が林立している。その中央で又造は仁王立ちで待っていた。


 ほどなく青空を背景に怪しい黒雲が風に逆らって近づいてきた。閃火王だ。

「いざや、決着をつけようぞ。さあ尋常に勝負せよ」

 又造は大声で呼ばわった。

 閃火王はその言葉を無視した。昔見た光景と同じく、黒雲から雷光が閃き、又造の周囲に落ちだした。古縁流の剣士などまともに相手にする必要はないとでも云うようにだ。

 だが以前とは異なる部分が一つある。稲妻は又造の周囲に林立した鉄棒に吸い込まれてしまったのだ。たちまちに鉄棒の周囲の草が燃え上がる。だが又造は木の高下駄の上で涼しい顔をしている。

 閃火王は次々に稲妻を落としたがそれらは悉く鉄棒に吸われて終わった。稲妻に打たれた鉄棒が赤熱してしゅうしゅうと音を立てる。


「どうじゃ。南蛮渡来の招雷針じゃあ。貴様の雷はもう使えぬぞ」

 又造が叫ぶと、閃火王が歯噛みする音が地上からでも聞こえた。

「どうした。お前は十二王の中でも最強であろうが。それがこの至弱の俺に手も足も出ないか。そうかそんなに俺の刀が怖いか。それならば、ほら、捨ててやる」

 又造は刀を遠くへ投げ捨てた。

「どうだ。素手だぞ。武器も持たぬこの俺が怖いか。臆病な龍め。今後は閃火王ではなく臆病王と名乗るがよい」

 又造は大きな声で嘲り笑った。龍を挑発しているのだがそれは意外と気分が良いものであった。

「許さぬ」龍が歯噛みした。

 今まで閃火王を恐れこそすれ、嘲った者は一人もいない。故に龍は激怒した。

 黒雲が薄くなり、閃火王が舞い降りてきた。その青金の鱗がぎらりと輝く。

 予想したよりも大きい。又造は舌打ちした。この世のどんな動物よりも大きいのではないか。空を飛ばず、雷を使えなくしてもなお、閃火王は強敵であった。

「望み通りに降りてきてやったぞ。このチビ侍め」龍が吠えた。「勇ましい言葉への返礼に八つ裂きにしてやろう」

「それは上々」


 そのまま地上に着地するかに見えた閃火王は地上に乱立する鉄棒に邪魔されて又造の頭上を通り過ぎかけた。


 今だ!


 又造は立ててある鉄棒の一つに飛びついた。鉄棒と見えたのはそのように装った槍である。その槍を一振りして穂先を顕わにすると、又造はそれを頭上の龍の腹に突き刺した。逆鉤のついた穂先が龍の腹に埋まる。

 わけの分からぬ叫び声を上げると閃火王は宙に跳びあがった。その体が新たに雲をまとい、上空へと浮き上がる。

 逃がすものか。

 又造は高下駄を脱ぎ捨てると、龍の腹に刺さったままの槍を掴んで登り始めた。その後を糸で吊るされた刀が一緒についてくる。

 予想通り龍の飛行は緩やかだ。でなければ振り落とされていただろう。又造は龍の腹まで登りきると、山蛾の糸をつけた手裏剣を放った。古縁流に伝わる特殊な糸。それが龍の腹に巻き付くのを待って、わずかな手がかりを頼りに指先の力だけでよじ登った。

 龍の背に上り、苦労して体の平衡を取ると、刀の鞘を払い捨てた。ちょっと気のきいた者ならば、刀の鞘を捨てるとは生きて帰るつもりがないと批難するかもしれないが、元より又造には生きて帰るつもりなどない。

 龍の頭めがけて、器用にもその背の上を走った。剣を上段に振り上げ、裂帛の気合とともに、龍の首めがけて渾身の斬撃を放った。

 古縁流初の皆伝斬撃技『断命』

 人間の体を丸ごと両断する必殺の一撃である。

 硬い音がした。火花とともに青金に煌めく鱗が数枚宙を舞う。

 だがそこまでだった。大太刀は鱗にはじき返されてしまった。


 次の瞬間、龍が首を振り、衝撃で又造は宙へ放り出された。

「ワシの鱗は金剛の鱗。人間の剣など通しはせぬは!」

 閃火王が吐き捨てる。


 そうか、第三の関門は古縁流の斬撃すら通用せぬ不動の鱗か。空中を舞いながらも又造は理解した。それが知られていなかったのは今まで閃火王に刀を斬りつけた人間がいなかったことの証でもあった。又造一人だけがここまで到達したのだ。

 龍が高らかに勝ち誇る中、又造は遥か下の大地へと落ちていった。


「古縁流との長きに渡った闘いもこれで終わりか。どれ、死ぬところを見届けるか」

 龍は身を翻しかけたが、眉根を寄せると自分の腹を見た。槍が刺さった部分が青く変色している。

「槍に毒を塗っておったか。なんと姑息な。急ぎねぐらに戻って秘薬を飲まねば」


 黒雲とともに閃火王は去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る