第伍話 至弱の弟子(1)

 古縁流第二十七代には五人の免許皆伝の伝承者が居た。その中でも一番下の弟子である風内又造は歴代伝承者の中でも最弱と言われていた。


 古縁流では同じ免許皆伝者でも幾つかの階梯に分かれる。古縁流の最低限度の技を使えるようになったものに与えられるのが初皆伝。それより先にも色々な技があり、それらを修練することで弐の皆伝、参の皆伝、そして終の皆伝へと至る。

 終の皆伝に至った者はまさに化け物の域となる。


 第二十六代の伝承者、つまり師父はすでに亡く、残された五人の弟子たちはみな本当の兄弟のように一緒に暮らし、技を高めあっていた。

 その中でも五番弟子の風内又造は出来が悪く、ようやく初皆伝には漕ぎつけたものの、そこより先には一歩も進めていなかった。もちろん古縁流であるからには初皆伝でも相当なもので、普通の剣術者には決して遅れを取ることはない。それでも兄弟子たちが自分より遥かに先に進んでいるのを見ると、又造の心の内には深い翳りが生じるのである。


 一番弟子は斬撃の名手だった。その磨き上げられた一撃は大岩を真っ二つにできるほどであった。それは又造がいくら試してもできなかったことであり、これからもできないであろうと思わせるものであった。

 二番弟子は手裏剣術の名手であった。その手が閃くと宙は無数の手裏剣で満たされた。一投で十本の手裏剣を同時に投げて、拾い集めると十一本の手裏剣が集まった。その余分な一本をいつ投げたのかは又造には決して分からなかった。


 技というものの奥の奥に進むためには、生まれながらの才覚というものがいるのだと又造は理解していた。それは体格であり、もって生まれた素早さであり、天性の勘であり、筋力の強さであった。勘の良さであり、目の良さであり、生き残る力の強さであった。

 それらの差は修練である程度埋めることはできるものの、それでも限界があるのだ。

 その他の兄弟子もいずれも一芸に秀でたものを持ち、まさに古縁流の伝承者を名乗るに相応しいものであった。そして又造だけは古縁流の端に食らいついているだけの惨めな存在であった。



 その龍は閃火王と呼ばれていた。龍には王と名がつくものは多くいるが、閃火王こそは本物の龍の王と言えた。

 その力は風を呼び、雲に乗る。

 ある湖を縄張りとしていることが分かったのが数年前。第二十六代伝承者は後を五人の弟子に任せて一人で挑み、そして帰って来なかった。


 強い師匠であった。五人の弟子たちのいずれも遠く及ばぬほどの。それでも十二王の中でも最強の存在と歌われる閃火王の力はそれを上回ったということになる。

 実を言えば今までに歴代の古縁流の伝承者の多くが閃火王に殺されていた。



 長い長い修行の日々が過ぎた。

 厳しい厳しい修行が飽きるほどに繰り返された。

 弟子たちは自ら弐の皆伝、参の皆伝へと進んだ。ただ一人、又造を除いて。


「師父の仇を取ってくる」

 ある日そう言い残して一番弟子は出ていった。

 三日が経過し、探しに行った伝承者たちは真っ黒に焦げた遺体と半分熔けた刀の残骸を見つけた。


 それからしばらくは重苦しい日々が続いたが、ある日、二番弟子が言った。

「兄弟子の仇を取ってくる」

 やはり三日待ち、残された弟子たちが探しに行くと、いくつにも引き裂かれた遺体が見つかった。持っていたはずの刀はどこにも見つからなかった。


「きっと速さが足りなかったからだ」

「いや、力であろう」

 残された兄弟子たちは口々に言い合い、さらに修行を続けた。


 そしてある日、兄弟子の二人は言った。

「今度は二人掛かりで行く。師父と兄弟子たちの仇を取る」

「俺も行く」

 そう又造が言うと、兄弟子たちは拒否した。

「お前は残れ。残って古縁流を次へ伝えるのだ。お前まで死んだら、我が流派は途絶える」

「行かせてくれ。兄者」又造は縋りついた。

「初の免許皆伝の者など足手まといにしかならぬ」

 限りなく冷たい真実の言葉とともに、又造はそのまま捨て置かれた。


 もちろん、こっそりと二人の後をつけた。

 兄弟子たちに気取られぬように離れた場所から決闘の場を見守る。刀は持って来なかった。刀を持てばどうしても剣気が漏れてしまうことを知っていたからだ。


 兄弟子たちは龍の潜む湖に木でできた果たし状を投げ込む。それが龍の呼び出し方だった。そうして待つことしばし、二人の兄弟子が待つ草原に青空を背景とした真っ黒な雲が近づいてきた。


 閃火王の神通力は『黒雲』。

 それは風を呼び、雲に乗る。

 その黒雲の中に龍の体が見えた。

 大きい。

 まさに龍王だ。雲の中に長くうねる体。その鼻先から伸びた長い髭が風の中を泳ぐ。大きな目は爛々と輝き、頭の上に生えた角の周囲を閃光が駆け巡る。開いた口の中には鋭い牙が並び、その青金色の鱗がぎらぎらと光った。鋼の強さを内に秘めたその手の爪は禍々しく尖っている。

 恐ろしくそして同時に美しい光景に、敵であるにも関わらず又造は心を奪われた。弱小の存在である自分に比べて何と強大な生き物なのかと見惚れた。もし自分があんな存在に産まれていたらどんな気分だろうとも思った。

 世界の頂点に立つだけの威容と威厳がそれにはあった。


「閃火王。待ちわびたぞ」

 兄弟子たちの声が風の音に混じって遠くからかすかに聞こえる。

「古縁流参る」

「いざ尋常に勝負せよ」


 龍はその言葉に動じなかった。兄弟子たちの頭上を揶揄うかのように悠々と旋回する。兄弟子の一人が手裏剣を投げたがその高さまではさすがに届かない。

 そうであったか。又造は舌を鳴らした。龍は空を飛ぶ。ただそれだけで、刀を持って地上を駆け回ることしかできない人間の敵ではないのだ。

 人間の如何なる攻撃も龍には届かない。

 これが第一の関門だ。


 では龍はどうやって地上の人間を攻撃する?

 このまま空を飛んでいるだけでは埒が明かぬだろう。

 その答えはすぐに分かった。龍が潜む黒雲から、雷が落ち始めたのだ。それは強烈な閃光と共に周囲を万遍なく覆い始めた。林立する雷の柱が兄弟子たちの周囲に立ち並ぶ。

 兄弟子の一人の刀に雷電の一つが落ちた。閃光。爆音。絶叫とともにその体が燃え上がる。

 第二の関門は雷か。

 又造は舌を巻いた。なんと圧倒的な力か。心の片隅で兄弟子の死を悼む自分を感じてはいたが、それとは別に冷静に分析する自分もいた。自分はこれほどまでに冷たい人間であったのかと改めて驚いた。

 もう一人の兄弟子が刀を捨てると逃げ始めた。古縁流では勝ち目のない戦いから逃げることは恥とはしていない。


 だが遅すぎた。

 龍の周りの雲が消えた。龍は兄弟子の前に地響きと共に着地すると、その恐るべき鉤爪を奮った。刀を持ってこその剣術であり、本来の免許皆伝なのだ。素手の剣士にはこの怪物を前にして何もできるはずもなく、龍の爪の一撃を受けて兄弟子の体が宙を舞う。

 これを即死と見てとって又造は伏せた。一切の気配を断ち、岩に似せた布を被って地に同化する。又造が人並み以上にできるただ一つの技、岩化け。

 物言わぬ岩となりながらも又造は考え続けた。


 空を舞い、雷を落とす龍を倒す方法を。

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