後編


 

 神殿内に悲鳴が響き渡る。悪魔の姿を目にして、恐慌状態に陥った立会人たちが我先にへと外へ逃げ出し始めた。


「陛下! お逃げください!」

「あ、ああ」

 

 国王も護衛に連れられて速やかに脱出する。


「……悪魔は殺した相手の姿、能力、記憶を奪います。カトリーナ様を殺して化けていたのですね」

「リヴィングストン家の才女は物知りね」


 メアリーは構える。目の前の相手は強い。


「メアリー!」

「お父様、ご安心ください! この悪魔はわたくしが倒します」


 後ろ髪をひかれつつも、娘を信じると覚悟したリヴィングストン公爵は速やかに避難した。

 立会人たちは全員避難した、この場にいるのはメアリーと悪魔、そして戦いを見届ける二人の天使のみだ。


「名乗りなさい。あなたがカトリーナ様でなければ、悪魔としての名があるでしょう」

「ヴェノムシロップ。覚えなくてもいいわ。どうせここで死ぬのだから」


 カトリーナに化けていた悪魔、ヴェノムシロップが足を踏みならすと祭壇にまがまがしい紋様が浮き上がった。直後、紋様から鉄の茨が現れ、祭壇上にいる者を閉じ込める檻と化す。

 

「メアリー、あなたはこれを知っているかしら?」

「鉄茨と雷の檻。悪魔が人をなぶり殺すための邪法ですわ。脱出するには術者である術者を倒さなければなりません」


 鉄茨をみると電光がバチバチと走っていた。一見すると鉄茨を簡単に飛び越せそうだが、邪悪な結界が見えない壁となっているとメアリーは知っている。


「あなたの目的はなんですの?」

「悪魔が悪いことをするのに理由なんていらないわ」


 ふざけた返答であるが、驚くべき事にヴェノムシロップの言葉にはある種の誠実さが込められていた。

 ヴェノムシロップは悪事を自らの義務、あるいは使命と考えているのかもしれない。

 ダニエルをたぶらかし婚約を破棄させれば、王家の信用は失墜する。また、リヴィングストン家との関係が悪化すれば、最悪の場合は内乱すら起きるかもしれない。

 ヴェノムシロップはそういう結果を期待して行動していたのだろうが、最終的な目的は純粋に悪事を行うことにある。

 おそらく悪魔は人の心とは真逆なのだろうとメアリーは考える。人が正しいことを正しいという理由で行うように、悪魔は悪いことを悪いからという理由で行うのだろう。


「次は何をするつもりですの?」


 ヴェノムシロップにとって「悪事を行った」という結果さえあれば、手段はもちろんのこと、目的すら選ぶ必要は無い。悪魔とは悪事をするために生きているのだ。


「あなたに神前決闘を申し込むわ、賭けるのは当然、互いの命!」


 ヴェノムシロップはメアリーに指を突きつけながら言った。


「わたくしの力を奪うつもりですね?」


 メアリーの心にかすかな恐怖が宿る。ヴェノムシロップではない。自分の力が悪用されようとしている事実に恐怖した。

 この悪魔を生かしておく訳にはいかない。メアリーは大きな闘争心を胸の内から引き出す。


「〈公平の天使〉様、聖鐘を鳴らしてくださいまし。この悪魔はわたくしが倒します」

「よろしい。ではこれより、メアリー・リヴィングストンと悪魔ヴェノムシロップの神前決闘を始める!」


 天から聖なる鐘の音が鳴り響く。


「さあ前代未聞、本日2度目の神前決闘が始まりました!」


〈言葉の天使〉が、1戦目と変わらず神に戦いの様子を伝える。

 

「先手を打ったのはメアリー! 一瞬で間合いを詰めヴェノムシロップに水平チョップを繰り出し……あーっと!」

 

 何者かが割って入って、メアリーの攻撃を防御した。一体誰が? この場にはメアリーとヴェノムシロップしかいないはずだ。


「ダニエル様!?」


 ヴェノムシロップを守ったのはダニエルだった。胸に風穴があいているにもかかわらず、彼は立ち上がった。


「な、なんということでしょう! ゾンビです! ダニエルがヴェノムシロップの死霊術によってゾンビにされてしまいました!」


 二対一! これはルール違反ではないかとメアリーは〈公平の天使〉を見る。

 だが〈公平の天使〉は苦々しい表情を浮かべながら首を横に振った。


「死霊術による死体操作は、死体という武器を使っていると見なされる。よって、ルール違反ではない」


 〈公平の天使〉の表情を見る限り、ゾンビの使用はルール違反寸前なのだろう。だが、完全なルール違反ではない。

 ダニエルが剣を振るう。先ほどの戦いで、攻撃を受けても無傷であったために、反応が一瞬遅れてしまった。


「メアリー、攻撃を受けて吹っ飛ばされる! ゾンビ化の影響かダニエルの膂力は生前のそれを凌駕しています!」

 

 吹っ飛ばされたメアリーは鉄茨に叩きつける。その瞬間、火花がいくつも生じ、雷の力が炸裂した。


「あああああ!」


 痛みに耐えながら急いで鉄茨から離れる。


「1戦目とは打って変わって、ダニエルはスピードもパワーも全く別人です! 人の子の体はフルパワーを出して体を壊さないようセーフティーがかけられています。ゾンビ化によってそれが解除されたのです!」

 

 そこをヴェノムシロップとゾンビダニエルが左右から挟み込むようにラリアットを繰り出す。クロスボンバーだ。

 メアリーは飛び上がり空中へ退避した。


「首切りばさみのようなクロスボンバーをメアリーはジャンプ回避! いや、これは不味い!!」


 〈言葉の天使〉が口にした警告で、メアリーはそれこそが敵の狙いだったのだと知る。

 空中では回避が出来ない!

 メアリーはダニエルの顔面を蹴りつけ、そのまま足場代わりにして距離をとろうとした。

 しかし、痛みを感じないゾンビとなったダニエルは攻撃を受けてもひるまず、メアリーの足をつかんだ。


 メアリーはバランスを崩し仰向けに倒れる。


「もらったー!」


 無防備となった腹にヴェノムシロップが全体重を乗せた肘落としエルボードロップを叩きつけた。

 ズダーンという音と共に鋭い衝撃がメアリーの体を貫く。強烈な一撃に、意識を失いかける。

 

「ワン、ツー、スリー……」

 

 〈公平の天使〉がカウントを始める。メアリーは歯を食いしばって立ち上がる。


「メアリー、テンカウント前にどうにか立ち上がりました。ですが、この絶望的な状況で彼女に勝機はあるのでしょうか!?」

 


「戦いはどうなっている?」


 国王は決闘神殿を外から見守っていた。

  

「父上、ご無事でしたか」

「ロナルド!? 外に出て大丈夫なのか?」


 ゆったりとした服に身を包んだロナルドが現れる。彼に仕える騎士もいた。

 ロナルドは国王の無事を確かめると、メアリーと悪魔が戦っている神殿へ足を向ける。


「まて、なぜあそこへ向かう」

「メアリーを助けるためです。私はそのためにここに来た」

「馬鹿を言うな! 病弱なお前ごときが悪魔に太刀打ち出来るわけ無かろう! だれか、ロナルドを止めろ!」


 ダニエルが悪魔に殺された以上、もう跡継ぎの代えはきかない。国王がロナルドを危険から遠ざけようとするのは父の愛ではなく、純粋な損得勘定による者だ。

 国王に同行していた近衛兵二人が、ロナルドの両腕をそれぞれつかむ。


「え?」

「なに?」


 近衛兵たちがロナルドの体に触れたとき、戸惑いを見せた。


「何をしている、早くロナルドを安全な場所に連れて行け」


 無論、近衛兵たちは王の命令を無視しているわけではない、彼らは満身の力を振り絞ってロナルドを連れ出そうとするのだが、どういうわけか彼は微動だに動かなかった。

 いや、それどころかすたすたと神殿の方へ歩き出すではないか。両腕に屈強な近衛兵二人がぶら下がっているというのに、ロナルドは全く抵抗を感じていなかった。

 病弱でいつも部屋に引きこもっている第二王子ロナルド。だが、今の彼はその世間の認識とは全くかけ離れている。

やがて近衛兵たちは振り落とされてしまう。

 

「ロナルド殿下、どうかご武運を」


 ロナルドの側近たちは剣を掲げ、主の”出陣”を見送った。



 メアリーは追い詰められていた。ヴェノムシロップは決して与しやすい弱敵ではなく、またゾンビダニエルも生前より強くなっている。

 敗北の二文字が脳裏をよぎる。死ぬのなら、せめて人目だけでもドラゴンマスクを見たかったと思うほど、今のメアリーの気持ちは弱まっていた。


「なんだか一方的すぎてしらけてきちゃったわ。この際、メアリーも味方を頼っていいわよ。まあ、あなたとタッグを組めるレベルの相手がいるとは思えないけれど」

「いいや、いるぞ!」


 神殿内に男の声が響く


「こ、これを予想していた者はいたでしょうか!? ロナルドです! 正方王国第二王子ロナルド・ハッケンシュミットがメアリーを助けに来ました!」


 ロナルドは祭壇へ歩み寄り、ヴェノムシロップをにらみつける。


「悪魔よ、お前は確かに言ったな? メアリーに味方しても良いと。私をその中に入れろ!」

「ええいいわよ。獲物が増えるのは願ってもない事よ」


 鉄茨の一部が開き、ロナルドを招き入れる。ヴェノムシロップはこの隙にメアリーが逃げ出さないよう警戒は怠らなかった。

 

「馬鹿な男ね。武勲が欲しくなったのかしら? 病弱王子が私を殴ったりしたら、自分の拳を壊しちゃうわよ」

「果たしてそうかな?」


 ロナルドがローブを脱ぎ捨て、上半身裸になる。

メアリーはそれを見て言葉を失う。


「あ、ああ……」


「おーっと! これはすごい! 素晴らしく鍛えられているだけでなく、聖人のような筋肉です! 有史以来、これほどの清らかな筋肉を持つ者は一握りしかいません」

 

 〈言葉の天使〉がロナルドの肉体を褒め称える。それはメアリーにとって見慣れた筋肉であった。なぜならば……


「あなたがドラゴンマスク様だったのですね」


 見間違えようがあるものか。ロナルドがまとう清らかで美しい筋肉は間違いなくドラゴンマスクのそれであった。


「そうだ。王位継承に混乱を招かぬよう、病弱なふりをしつつ、民を守るために体を鍛え、陰からこの国を支えていた。だがそれも終わりだ。私はメアリーを助けるため、マスクを脱ぐ」


 歓喜のあまり、メアリーの瞳からひとしずくの涙がこぼれ落ちる。

 ロナルドがメアリーに手を差し伸べる。


「さあ立つんだメアリー。君はまだ戦えるだろう」

「ええ……ええ! もちろんですわ」


 ロナルドの手を取り、メアリーは立ち上がる。自分でも信じられないほどの活力が全身にみなぎっている。


「メアリーとロナルド、究極のタッグが実現しました! これを認めてしまったヴェノムシロップ、致命的な失敗だ!」

「ほざけ! まだ互角になっただけよ。私の負けが決まったわけじゃない!」


 ヴェノムシロップがメアリーに、ゾンビダニエルがロナルドに襲いかかる。

 すらりと長い足を活かしたハイキックをヴェノムシロップが繰り出す。

 メアリーが腕でキックを防御しつつ、さらに敵の足をつかんだ。そして、そのまま力任せにヴェノムシロップを祭壇に叩きつける。


「これは強烈だー! あまりの衝撃に祭壇が揺れる!」

 

 一度、二度、三度……四度目を叩きつけようとしたとき、ヴェノムシロップは両手でリングを受け止めた。そして逆立ちの姿勢のまま、掴まれていない足でこめかみを狙う蹴りを繰り出したので、メアリーは手を離して防御に専念した。


「ヴェノムシロップ、逆立ちのまま連続で蹴りを繰り出す!」


 それはサチコの故郷の世界にあったカポエィラに近い技だった。武道とは肉体を使った攻撃の最適解を探る道だ。故に、世界が異なろうとも似た技が生まれるのは必然である。

 メアリーは姿勢を低くし、逆立ち状態のヴェノムシロップに足払い……いや腕払いを仕掛ける。

 ヴェノムシロップは飛び上がってメアリーの攻撃を回避。即座に体をひねり、反撃の空中かかと落としを繰り出した。それをメアリーは腕を交差させて受け止めた。


「変幻自在の攻撃を繰り出すヴェノムシロップ! その様はまるで宙を舞う毒蝶のようです!」


 一方、ロナルドとダニエルの戦いはというと、圧倒的にロナルドが優位だった。

 ゾンビダニエルの剣撃を活性心肺法強化した美しき筋肉で受け止め、反撃する。その繰り返しだ。


「ゾンビダニエルがまた立ち上がる! 痛みを感じないからダメージがない!」 


 おそらく、ヴェノムシロップを倒さない限りゾンビダニエルは止まらないだろう。

 メアリーとロナルドは一瞬だけ目を合わせる。言葉など無くとも二人にとってはそれで十分だった。


「男に見とれている場合かしら!?」


 ヴェノムシロップが強烈なラリアットを繰り出してきた。彼女は会心の笑みを浮かべている。おそらく彼女が最も得意とする技なのだろう。技に対する絶大な信頼と自信がその笑みにあった。

 だが、ラリアットが命中した瞬間、吹っ飛ばされたのはヴェノムシロップだった。


「えっ!?」


 彼女が吹っ飛んだ先にはロナルドとダニエルがいた。ちょうど、ダニエルが攻撃を繰り出そうとしている瞬間であった。

 ロナルドがダニエルの攻撃を紙一重で避ける。その結果、ダニエルの剣は吹っ飛んできたヴェノムシロップを切りつける結果となる。


「摩訶不思議! ラリアットを繰り出したヴェノムシロップが吹っ飛ばされた! 一体いかなる魔法を使ったのか!?」


 魔法ではない。メアリーは活性心肺法以外で魔力を一切使っていない。

 これは母サチコの故郷で生み出された合気道なる武術だ。相手の力を利用する技によって、ヴェノムシロップは自分で自分を攻撃したに等しい。


「何をしているのよ! このくず!」


 ヴェノムシロップは自分を切りつけたゾンビダニエルを殴りつける。衝撃で首の骨が折れて、ダニエルの頭がぶらぶらと揺れた。


「まだよ、まぐれ当たり一つくらいで私は負けない!」


 ヴェノムシロップは体からぼたぼたと血を流しながらそれでも立ち上がる。


「まぐれではないですよ。私たちはさきほどの狙ってやりました」

「私たち? 狙って? 今のをロナルドと協力してやったというの? お互い言葉を交わしてないのにそんなことが出来るわけ無い」

「いいえ、出来ますよ。わたくしとロナルド様の心は通じ合っていますもの」


 メアリーとロナルドのタッグはこの日出来たばかりだが、しかし二人の心の繋がりは一朝一夕で出来た者ではなく、長い月日をかけて培われた。


「陳腐ですが」

「それでもあえて言おう」


 メアリーとロナルドは同時にそれを口にする。


「これが愛の力です」

「これが愛の力だ」


 二人の言葉に、ヴェノムシロップは侮蔑的な笑みを浮かべた。


「なにが愛の力よ。そんな精神論で勝ち負けが決まるわけがないわ」


 ヴェノムシロップは一つ誤解をしていた。愛とはすなわち相手を理解すること。相手を理解しなければ正しい協力、連携はなしえない。

 人は目の前の困難や強敵を打ち倒すために、手を取り合うタッグを組むことで力を得てきた。満足感を得るだけの精神論でもなければ、傷のなめ合いの作法でもない。本物の愛とは、困難に打ち勝つ方法論だ。


「死ね! メアリー・リヴィングストン!」


 ヴェノムシロップがゾンビダニエルと共にラリアットを繰り出す。それはもはや捨て鉢の攻撃だ。

 ロナルドが両手を組んで振り下ろす、ダブルスレッジハンマーでゾンビダニエルを祭壇に沈めた。

 そしてメアリーはヴェノムシロップのラリアットをくぐり抜けるように組み付く。そのまま相手の下半身をつかみ、風車のように回転する。


「でえええい!!」


メアリーは全力でヴェノムシロップを投げ飛ばす。

 そして空中のヴェノムシロップめがけてドロップキックを繰り出した。

 命中の直前、ヴェノムシロップはメアリーに向かって中指を突き立てた。それは無様に敗北しようとも、最後まで邪悪たらんとする悪魔流のプライドであったのかもしれない。


「決まったー! 公爵令嬢ドロップキックが炸裂ぅー!!」


 ヴェノムシロップが鉄茨に叩きつけられ、高圧電流がその身を焼く。


「がああああああ!!」


 絶命したヴェノムシロップの体はどす黒い灰となって消える。悪魔が命を落としたとき、死体は残らないのだ。

 死霊術を操る者が死に、ゾンビダニエルが動かなくなる。


「勝者メアリーならびにロナルド!」


 二度目の神前決闘が終わり、天から聖鐘が鳴った。

 死闘を終えたメアリーは緊張の糸が切れて倒れそうになる。そこをロナルドがさっと受け止めた。


「ロナルド様、ありがとうございます」


 最初、メアリーはロナルドが肩を貸してくれるのだと思った。しかし彼はメアリーを抱き上げて、神殿の外へと歩き出す。


「あ、あのロナルド様、おろしてくださいまし」

「他人から見て分かるような姿勢を示さないとならない」

「え、それはどういうことです?」


 扉をくぐり抜けると、避難していた立会人たちが待っていた。


「おお、ロナルド、無事だったか」

「メアリー!」

「父上とリヴィングストン公爵にお願いがあります。メアリーを私の妻に迎えることを、どうかお許しください」


 突然のことに国王はすぐに言葉が出てこなく、また周囲の者たちも戸惑いを隠せなかった。

 唯一、リヴィングストン公爵は娘のメアリーを見つめた。この男で良いのかと無言で問う。

 メアリーはうなずき、無言で答える。この男以外に考えられないと。

 

 その瞬間、天から光が降り注いだ。それに威厳さや荘厳さはないが、心に安らぎを覚える不思議な温かさがあった。

 何事かとどよめく人々に、〈公平の天使〉と〈言葉の天使〉が現れる。


「人の子らよ! 神は今、メアリーとロナルドを祝福されました! 人生という長い道を共に戦い続ける夫婦タッグパートナーとして、神は二人をお認めになったのです!」

「素晴らしきファイターたちに幸あらんことを!」


 神がメアリーとロナルドを夫婦として祝福した。もはやこれに異を唱える者はいない。人々は拍手を持ってこれを認めた。



 サチコ・リヴィングストン公爵夫人はウィンストン家にいた。

 屋敷はゾンビの巣窟になっていた。ヴェノムシロップはカトリーナだけでなく、当主ロバーツをはじめとするウィンストン家の人間や、屋敷で働く全ての使用人までも殺してゾンビにしていたのだ。

 

 おそらく数ヶ月前からこうなっていたのだろう。単純にゾンビ化と言っても悪魔が使う死霊術にはいくつか種類がある。ウィンストン家の者たちに施されていたのは、ある程度は生前と同じ行動をとれるタイプだ。ヴェノムシロップはこれを使ってウィンストン家を操り、正方王国に様々な損害を与えていた。

 ダニエルの婚約破棄などそれらの内の一つに過ぎないのだ。


 婚約破棄騒動から神前決闘が始まるまでの1週間で、ロナルドの家臣たちはウィンストン家が悪魔に乗っ取られている事を突き止めた。その時、サチコが協力を申し出てきたのだ。

 悪魔の根城に乗り込むのだ。万難を排すべきと判断したロナルドはその申し出を受け入れた。

    

「まさかたったお一人で殲滅されるとは思いも寄りませんでした」


 サチコにはロナルド配下の騎士の一人が護衛として付いていたが全く必要なかった。騎士はきまずそうに苦笑いする。

 サチコは全てのゾンビを一撃で倒した。死霊術で操られるゾンビには魔法的核が存在する。それを矢で撃ち抜いたのだ。スマートアローと呼ばれるそれは、サチコの故郷の技術で作られた武器で、自動追尾機能を持つ。

  

あっさりとゾンビを倒したサチコの姿を見て、騎士は彼女が協力してよかったと思った。ゾンビを制御する核は魔力による攻撃でしか破壊できない。その核も小石程度の大きささしかないため、尋常ならざる技量が必要となる。王国最強のサチコが戦わなければ、無視できない犠牲が出たはずだ。

 戦いを終えるとサチコは手のひら大の光る板を取りだし、指先で何度か触れる。


「敵の反応はないわ。それと見取り図に存在しない部屋があるから、当主の執務室を調べてちょうだい。執務机に隠し扉を開けるスイッチがあるはずよ」


 おそらくは光る板の力だろう。サチコが言うにはこれも理屈ある科学技術ということなのだが、護衛の騎士にとっては神秘的ななにかのように思えた。

 

「それじゃ事後処理は任せるわ」

「はい、お任せください。本当にありがとうございました」


 ウィンストン家から去るとき、決闘神殿がある方角を見ると天から光が降り注いでいるのが見えた。

 サチコはその光を知っている。かつて自分とリヴィングストン公爵が神に夫婦として認められたときに現れたのと同じだ。


「幸せになりなさいメアリー」


 母としてサチコは娘の未来を祝福した。

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公爵令嬢ドロップキック・鉄茨と雷の死闘 銀星石 @wavellite

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