05 問えば響く君の答え

「ジャン」


「サン・テールでいいですよ、母上」


「いや、失地王サン・テールと馬鹿にされていると聞いたがゆえ」


「私は気にしません」


「わたしが気にする」


 わたし――アリエノール・ダキテーヌと、末っ子のジャン・ド・プランタジュネ、またの名をジョン・オブ・プランタジネットの会話である。

 ここは、フォントヴロー修道院。

 二人目のつまアンリと、三男のリシャールの眠る場所。

 イングランドの言い方で言えば、ヘンリー二世とリチャード獅子心王ライオンハートが眠る場所だ。

 今、五月の雨の中、この修道院で、尼僧となったわたしが祈りを捧げる中、ジャンのおとないを受けたという次第だ。


 あれから。

 末っ子のジャンは、次男ジョフロワの忘れ形見・アルチュールを捕らえた。

 それを知ったフランス王、つまりわたしの最初の夫――ルイ七世の息子、フィリップ二世は兵を退いた。


「さすがに尊厳王オーギュストと称するだけあって、堂々たるものでした」


 そう言ってジャンは、わたしのしぼった山羊のミルクを飲んだ。


「……旨い」


「それは重畳」


「……こうして母上の絞ったミルクを飲み、作ったチーズを賞味できるのは、母上の世話をする私の役得というところですな」


「ちがいない」


 わたしとジャンはしばし笑った。

 そう、話が逸れたが、わたしはミルボーの戦いのあと、隠棲することにした。

 かつて、最初の夫、ルイ七世を僧侶と馬鹿にしたわたしが尼僧とはお笑い草だが、いささか疲れたというのもあるし、それに……ジャンに後事を託そうと思ったからだ。

 それに。



「父上と兄上の墓守をしたい……と?」


「そう」


 実はこちらからそれを勧めようと思っていた、とジャンは語った。


「もう母上は充分働かれた。この世が劇場であるならば、もはや終演。今は舞台袖で休まれるがよろしい。先に役を終えた父上や兄上と」


「ふ……だが、わたしはいわば悪役。今や伝説の域に達しつつあるアンリとリシャールは迷惑するやもしれぬぞ?」


 前の夫よりも若くて野心的という理由で、乗り換えた女。

 他にも吟遊詩人や東ローマ帝国皇帝など、いろいろと浮名を流した。

 なるほど、リシャールにとっては最愛の母かもしれないが。

 それでも、そのリシャールの為とはいえ、彼の国を――イングランドから多額の散財をさせ、国庫を傾けた。


「……父上は納得くで母上と結婚していたのです。文句は言わせません」


 ジャンはずっと夫と一緒にいたので、その言葉には迫力があった。


「……兄上に関しては、好きに遠征したり、合戦で威張ったりして恨まれ、捕まった兄上自身が悪い。ゆえに、こちらも文句は言わせません」


 現に、散々となった国庫を歎いているのはこちらだ、とジャンは肩をすくめた。

 そしてひとしきりわたしが笑うのを見守ってから、こう言った。


「悪役というのなら、私も悪役でしょう。父を最後に裏切り、兄の居ぬ間にまつりごとに手を出したり……挙句の果てに、父上と母上の領地を損なっている」


「それは……」


 リシャール自身の言ったとおり、やむを得ないところもあったと思う。

 それに、ジャンが受け継いだ頃には、プランタジネット朝の国庫は枯渇し、大陸側の領土はフランス王フィリップ尊厳王に蚕食され、今でも押されているという有り様だ。


「すまぬ、ジャン。これすなわち、皆、アンリやリシャール、そしてわたしがを過ぎたせいだ」


「そんなことはありません」


 私とて、今、やっております。同罪です。

 ジャンは笑いながら、そう言った。



 ジャンはチーズに手を伸ばした。


「うん。旨い。これも上出来ですな、母上」


「……欲しければ持ってお行き。それよりお前、これからフランスとどう対するつもりだ? 何でも教皇猊下げいかの許しを得て、イングランドを攻めるという話も……」


「それなら問題ありません」


 そこでジャンは一度チーズを咀嚼して、それからつづきを話した。


「イングランドを一度、教皇猊下に差し上げようと思います」


「何と。だが」


「そう。いかに教皇猊下とはいえ、イングランドを直接治めるわけにはいかないでしょう」


 つまりジャンは、改めて「与えられる」かたちで、イングランドの王として「再任」される……と目論んでいた。


「そうすることにより、イングランドはとなり、オーギュストは教皇猊下の許しを得たことが、かえってとなります」


「……ふむ」


 なかなかの慧眼だと思ったが、それでもオーギュストが兵を挙げたらどうするか。

 そう問うと、響くようにジャンは答えた。


「甥のオットー。彼は神聖ローマ帝国皇帝になるつもりでいます」


「ああ……確か、マティルダの子で、リシャールが育てていたとか」


 マティルダは長女だ。ザクセン公にしてバイエルン公の、ハインリヒ獅子公デア・ルーヴェに嫁いだ。オットーはマティルダとハインリヒの息子だ。


「……そうか、神聖ローマ帝国とプランタジネット朝の挟み撃ちか」


「ご明察。さすが母上。打てば響きますな」


「言うてくれる」


「しかし……そううまくいくのだろうか」


 「その時はその時です」と言って、ジャンは立ち上がった。

 そろそろイングランドに戻る刻限らしい。

 窓の外を見ると、折からの雨が上がっていた。

 時は五月。

 五月の雨が止み、初夏の太陽がきらきらと輝いて、窓から垂れる水滴を金に照らしていた。


「 Golden Rain ! 」


 ジャンはまるで少年のように笑いながら叫んだ。

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