第5話 ヒルデガルドとの出会い
アルティミアの門を潜ると、さっきまで、固い大理石の床の上にいた感覚だったが、下草を踏む音が聞こえた。それから草原の匂い、花の香り、空は晴天、太陽の光がやけに眩しかった。門をくぐり切ったところで、背後から石がこすれる重量のある音が鳴り響く。振り返るとアルティミアの石の扉がゆっくりと閉まっていく。神は満面の笑みを浮かべ、無邪気に手を振って「君たちの活躍を楽しみにしているよ」と言い残す。アルテミアの扉が閉まりきった後、徐々に透けてはじめ、消えてなくなった。残ったのは、草原の上にぽつんと取り残された俺たちだけだった。
そして、身体に異変を感じる。これまでずっと気怠かった倦怠感が一気になくなり、肩の凝りも治っている。さらに頭の中にかかっていた霞のようなものも綺麗さっぱりとなくなっていた。
「ほぉ、これが転移ってやつか。ん?」
自分の声に違和感を感じ、どこか若返ったような気がする。俺は自分の手を見つめる。
そこには、十代前半くらいの男の手があった。指が長く肌の色は白い。握ってみると自分の思い通りに動く。やはり自分の手だ。男の手にしては細くてかわいい。
「あれ? 俺の声が高くなってないか? なぁ、山田?」
隣にいる山田に声をかける。すると山田は驚いたように目を見開いた。
「だれっすか?!!」
「誰って、俺だよ、早島だよ」
「え?! そんなわけないじゃないですか! そんな美少年のはずがないっす!」
山田は目を凝らし、疑う。早島も山田の言葉に疑問する。
確かに十代の時は今よりはましだったが、美少年ほどではない。どちらかといえば、あー田舎の子だねぇ、ってな感じな顔。
「え、俺、本当に美少年なの?」
「はい……とてもかわいい顔してます。ルイ君みたい」
「え? 今なんて言った?」
それに山田は慌てて両手を振る。
「なんでもないっす!!」
「よくわかんないけど、なぁ、俺、自分の顔が見たいんだけど、鏡とかある?」
「はい! ありますよ!」
そう言って、山田はスーツの胸ポケットからから丸い形の二つ折りになったコンパクトな鏡を取り出し、渡してきた。
「ありがとう」と言って受け取ると、早速自分を見る。そこに映っていたのは、金髪の肩まである長い髪、碧眼で中世的な顔をしている美少女だった。思わず二度見してしまう。
「え? 俺、女???? これ、女だよね???」
「女なんすかね」
「いや、どう見たって女だろこれ。まつ毛長いし、二重だし、肌白すぎだろ……」
あ、っと俺はあることを思い出した。それは性別を一発で判別できる方法。視線を下へと向ける。男の勲章、男にしかないもの。ズボンの中をチラリとみる。
「うん……ある」
早島は少しだけ安心したが、まだ自分の身体なのか、どうかが信じられなかった。
「一応、男みたいだわ」
その報告に期待していたのか山田は笑みを浮かべる。
「ほんとっすか??」
「なんで、嬉しそうなんだよ」
「だって、ルイ君にそっくりなんすもん」
「だから、ルイ君って誰だよ」
「ひ、秘密です」
山田はなぜか慌てふためく。そして、あることに気が付いた。視線の高さがおかしい。いつも山田を見下ろしていた自分が、逆に見下ろされていることだ。さらに服がダボついている。
「なんか縮んでないか?」
「はい、背が低くなってますね」
「マジかよ」
山田の身長が175センチぐらいに対して、俺の身長は150センチほどしかない。小学生高学年くらいの体格だ。もともとは自慢ではないが180センチはあった。
「でも、それがいいと思います。その方が可愛いです。絶対に」
「おい、褒めてるつもりかもしれないけど、バカにしてるだろ。まぁ、いいや。このままここに留まっているわけにもいかないし、何かイベントが起きそうな雰囲気もないもんな」
早島は辺りを見渡す。どこまでも続く草原と丘陵、遠くの方では森が見える。人工物のようなものも痕跡もなく、ただ草と石ころしかない。ヨーロッパの広大な草原地帯にいるような気がした。
「どうするんですか先輩?」
「んーむ」
早島は考えた。ゲーム開始直後、だいたいは戦っている中か、もしくは森の中に飛ばされているパターンが多い。どちらも違うとなると、自分で移動して、街を見つけ出し、キーパーソンになりそうなやつを見つけるパターンかな、と見た。
「よし、とりあえず、街を探そう!」
「はい! 了解っす!って、どこに行くんです」
「えっと、あっち!」
早島は適当に指差す。その指先を追って見つめる山田が首を傾げる。
「なにも見えないんすけどっ」
「いいの! あっちなの! 俺の勘がそっちだと告げているんだ!!」
山田は勘弁してくれ、という顔をしたあと、じゃあ他にはという顔をした俺に対して、諦めたようにぼそつく。
「はぁ……なら、行きましょう」
「おう!!」
早島と山田は歩き出した。
♦♦♦♦♦
しばらく歩くと丘があり、それを登っていく。すると前方に街道らしきものが見えてきた。ようやく人工物だ。人がいるということに安心する。街道を進めば必ず街へとたどり着く。
「やったぜ! これで一安心だな!」
「よかったっすね」
早島たちは街道を目指し、そこから舗装された道を進む。しばらく進んでいると街が見え始めた。石造の建物が並ぶ中世のヨーロッパのような街並み。遠くからだからはっきりとはわからないが、どこかどんよりとしているように見えた。動いている人の姿もない。
近づくにつれて、街の様子が明らかになっていく。
建物は煉瓦造りのものが多く、中世期の建物に近い感じがする。しかし、ところどころ崩れ落ちており、廃墟感が漂っていた。守るべきはずの石壁は崩れ落ち、鉄の門は錆びつき、窓は割れている。
そして、何よりも目につくものは、街中に転がる死体の数々。甲冑を着た兵士、ボロ布をまとった老人、鎧を身につけていない兵士など様々だが、みな一様に倒れ伏している。
「うわぁ……」
山田は衝撃的な光景のあまり、口を手で覆ったまま、絶句していた。早島も言葉を失う。これはゲームの世界なのか? それとも本当に現実なのか? そんな疑問さえ浮かんできた。
「なにがあったんすかね」
早島は近くに転がっている木片を拾い上げる。木を少し握ってみると崩れてしまった。
「燃えた後……なのか」
その木片を地面に捨てると、さらに進んでいく。すると大きな広場に出た。そこには多くの人間が横たわっていた。まるで戦争でもあったかのように、人間の死体が無造作に並べられていた。
「なんだ……これ……」
早島は目の前に広がる凄惨な光景を見て、吐き気を覚えたが、グッと我慢する。山田も目を逸らし、口元を押さえながら、早島の後についてきていた。
死体が並ぶ近くに一人の女性が立っていた。赤髪に長い髪を後ろで団子にしていた。金の耳飾りをつけている。背丈は178センチほど。山田より少し高い。そして、スリムな長い手足。モデルのように美しかった。そして、右手には長剣を持っている。彼女はこちらに気がつくと、驚いた顔で声をかけてきた。
「あなたたちは? 一体、どこから来たのですか?」
早島たちは彼女の問いに対して、答えられなかった。
「えっと……」
女性は革製の装備で整えていた。軍隊の兵士というよりはどちらかとういうと自前の装備に見える。右手に持つ長剣には血がついていた。おそらく、お見下ろしていた兵士を殺したのだろう。
「……この街の人間ではなさそうね」
「えぇ、ここへは偶然立ち寄っただけです」
「そうだったんですね」
そういうと女性は剣を振って、血を払い飛ばし鞘に納めた。
「あの、つかぬことを伺いますが、この街に何があったんですか?」
早島の言葉を聞いて、女性は不思議そうな顔をした。
「レイデン王国の仕業よ」
「レイデン王国?」
「えぇ。西の果てに最近出来た新興王国で、隣国に宣戦布告をしては、領土を広げてきています。そしてこの街も同じく、レイデン軍の攻撃にさらされています。街のほとんどは機能を失い、生き残った者もわずか。もはやこれまで……というやつですね」
悲しげな顔を浮かべた。そこに死んでいる兵士とは違う装備、彼女と同じような装備をした兵士たちが駆け寄ってきた。
「ヒルデガルド隊長、無事でしたか!」
「ええ、私は大丈夫よ」
「そうですか、それは良かった」
「それよりも状況を教えて」
「はい。レイデン王国軍の兵士は全滅しました。しかし、我々の損害も大きく、次、攻撃されたら……」
誰もが顔を伏せて、悔しそうな顔をした。それにヒルデガルドは静かに瞼を閉じる。再び、瞼をあけて短く答えた。
「わかったわ」
「隊長、この者たちは?」
「私もよくわからないのだけど……旅人のようね」
「旅人!?」
兵士は驚きの声をあげた。
「こんなところに旅人なんて……」
「でも、事実、彼らはここにいるわ」
視線が早島と山田へと向けられる。服装は彼らの時代から推測して中世ヨーロッパ、装備からしても12世紀~14世紀といったところか。そうなれば20世紀の文明の服装なんて、見たとこもないだろう。不釣り合いなものに違いない。
「どこから来たのかわからんが、ここは危険だ。街から離れた方がいい」
そう警告されるが、ヒルデガルドと呼ばれた女性は俺たちを心配するような目で見た。
「このまま行かせるのはかえって危険かもしれない。どう? 私たちと一緒に来ない? 行くあてがないなら、しばらく身を隠せる場所ならある」
「いいんですか?」
「ええ、困った時はお互い様よ」
「ありがとうございます」
早島は頭を下げた。
「じゃあ、ついてきて。お前たちはレイデン王国軍の警戒にあたれ。またきたらすぐに知らせるように。私はこの人たちをオーデン砦に連れていくわ。生き残った兵士、それに使えそうな物資などは回収するように」
「わかりました! おい! みんな! 手分けして集めろ!!」
部下と思われる兵士が指示を出すと、他の兵士も動き出す。
「さぁ、行きましょう」
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