第2話 異世界への道 その2

「あれ、ここは……?」


真っ白な空間、何もない無が永遠に広がる。音も風も何もない場所に早島はただ一人ポツリと立っていた。


「あーなんだ、夢か?」


非現実的な空間にいる。それが夢じゃなければ、どう説明するのか。とりあえず、周囲を見渡してみる。するとなぜだか背後から誰かの視線を感じたので、振り返ってみた。


そこには見上げるほどに巨大な石造りの門がそびえたっていた。門の周りには古代ローマのような壮大で緻密な彫刻が施されており、まさに神殿にふさわしい威厳を放っていた。思わず、おぉ…と声が漏れる。迫力には圧倒されてしまう。


その石門の前に色白い肌をした美少年が素足で立っていた。素足かよ、と思いつつも目を凝視してみる。


性別はどちらかわからない。中性的で髪は金髪ロング。そして、外国人特有の青い瞳、服装はトーガというこれまた古代ローマ帝国を彷彿させるような服装だ。


頭には金の冠を身に着けていた。それだけで、この美少年がただの美少年ではないことがわかる。裸足だし。


目の前にいる美少年は自分のことを認識しており、笑みを浮かべたあと小さな口を動かしては、何かを言っているような気がした。


しかし、声が小さくて何を言っているのか聞き取れない。


そう思った途端、耳元、いや、頭の中で声が響き渡る。


『――――選ばれし者よ、転移の門の前で唱えよ魔の言葉。アルティミアに来たければ、己の力で門を開けよ―――』

「え、何を言っているんだこいつ?」





♦♦♦♦♦





 ――――突然、肩を押され、揺さぶられたと同時に目の前の景色が一瞬で変わる。さきほどまで、白一色だった空間から色鮮やかな世界が広がった。電話の音、誰かの接客声、そして、キーボードが叩かれる音、印刷機の稼働音、様々な音が耳に飛び込んでくる。頭の中でプチパニック状態だった。


「え? あれ?」


背後に誰かが立っているような気がしたので、慌てて振り返ってみた。すると眼鏡をかけて、スーツに身に包んだ中年の男が立っていた。


首からは名札をぶらさげている。


「―――早島君、大丈夫かね?」


中年の男は早島を見下ろすと眉を八の字にして、心配しているようだ。


「あ、え、て、寺澤さん……」


早島の職場の上司にあたる寺澤だった。とてもやさしくて、部下の失敗にも寛容的、叱責されているところを見たことがない。部下のミスは俺のミスだ、ってセリフ、かっこよかったなぁーと思いながらハッとした。


「あ、えっと?」

「……居眠り?」

「あ、いや、その……」


居眠りをしたつもりではなかったが、目の前で広まっていた光景が夢だったとしか思えず、言い訳するのも嫌だったので、正直に謝ることにした。コクリと縦に振る。


「すいません……」

「あははは。疲れが溜まっているのかもね。無理は禁物だよ~」


居眠りをしたことを認めたのにも関わらず、怒ることなく笑って済ませてくれる。ほんとうにいい上司だ。でも、このタイミングで声をかけてくるってことは――――嫌な予感がする。


寺澤は一笑いしたと思うと思い出したかのように小脇に抱えていた分厚いファイルを取り出す。


「おぉ、そうだそうだ。これ、悪いんだけど、明日までに頼む」


満面の笑みで、分厚い書類を机の上にどっと置いた。それを見て、苦笑いした。


「ん?」

「いやぁー実はね、梶木君がデータをミスっちゃってね、作り直しになったんだよ。そもそも、数値ずれてるし、ちゃちゃっと作り直してくれよ頼む」


 早島はこの瞬間、残業が確定しかけた。だが、今日こそはと早島は意見具申するつもりだっや。

 

今日、ノー残業デーなんだ!と。そう言おうと決めて、視線を上げたときにはすでに寺澤の姿はなかった。


「あ、え?」


文句を言われる前に退散するように手をひらひらさせながら頑張ってくれ、と言い残し自分の席へと戻っていった。


「なんだって?!」


悪魔だ…あれは悪魔だ……


残されたのは山のような書類。あ、渡し忘れてたといって追加の資料までも持ってくる始末。


こうなったらさっさと終わらせればいいんだろ、と思いつつデスクの片隅に置かれた書類にチラリと視線を向ける。恐る恐る、手を伸ばし、内容に目を通してみた。この段階で、まだ会議資料作成のパターンでも適当に数値をのっけて、それっぽいグラフを書いて、「である」「可能性が予見される」「検討すべき」というワードを使いまくれば、うまく文章を間延びさせて書くことができるし、それっぽく見せることができる。


期待しながら内容を呼んだ。


「うげっ……。これ……適当にできないやつ」


今回の書類内容は本部へ送る書類らしく、適当にはかけない。


「となるとだ、しっかりとした数値根拠に、グラフなどを駆使して、作成しなければ……」


視線をパソコンの画面、右下へ向ける。


時刻は「18:50分」になっていた。俺の定時は「17:00」まで。


「残業だ……てか、すでに残業中だ……ちくしょぉ…」


デスクへ額を置き、身体を預け、うなだれた。すると早島の横で仕事をしていた部下の山田が覗き込んできた。


「残業ですかー? せんぱーい~?」


 何か勝ち誇ったような様子で、ニヤけながら言う。その顔がとても憎たらしい。かわいいけど。ため息をついて言い返す。


「……お前も残業だろ」


 同じ時間帯に出勤しているので、明らかに彼女も残業している。しかも早島よりも仕事の量は多いはずなのに、余裕そうな表情である。まさかと思うと山田はニヤニヤしながら言った。


「私はもう帰りますよ~?」

「へ? どういうことだ?!!」


 早島は呆然として山田を見つめる。彼女はそんな俺を見てクスッと笑うと手を頭に当てて、敬礼のような仕草をしながらウィンクをする。


「じゃあ、お先っす~」


 そういって、椅子から立ち上がり、背伸びをして、自分の荷物を片付け始めた。


「ちょ、ちょ、ちょっと!! あいや、またれい!!」


 思わず、歌舞伎のような口調になってしまった。それに山田も気づいたのか、また吹き出して笑っている。くそ、可愛いな! そんなことより……


「何で帰るんだ?!」

「え、むしろ、帰っちゃダメなんですか?」

「いや……ダメじゃないよ、そりゃあ、仕事が終わって、早く帰れるのは嬉しいに決まっている」


でも、早島は彼女が残ってくれることを期待しているのだ。なぜかって、寂しいからだ。一人ぼっちになるのが嫌なのだ。情けない男だと思われるかもしれないが、それが本音だ。だから、咄嗟に思いついて嘘をつく。


「お、俺、今日誕生日なんだよ!」

「あ、そうなんですか? おめでとうございまーす」


 ペコリと愛想笑いしたあと、そのまま去ろうとしたので、また呼び止める。


「だから、誕生日なんだって!」

「なんで、二回も言ったし……。はぁ……それがどうしたんすか?」

「俺も早く帰りたいんだ!」

「……帰ったらいいじゃないすか」


 ド正論。ぐうの音も出なかった。しかし、ここで諦めてはいけない。何とかして彼女に残ってもらわねば……。何かないか?! 何かないのか!?


「俺、今日は早く帰りたいから、この仕事を一緒に手伝って欲しいんだけど……」

「それなら、私じゃなくて他の人にも頼んでください~」

「た、頼む!!  何でもするから!!!」


 頭を深々と下げる。これで駄目だったら土下座も辞さない覚悟だ。すると、上からため息が聞こえてくる。そして、困ったような声色で彼女は言った。


「しょうがないっすねー。じゃあ、少しだけっすよぉ?」

「ほ、ほんとか?!」

「出来損ないの早島先輩を助けてあげないといけないですしね」


そう言って、微笑む。その笑顔に少し見惚れてしまったことは秘密にしておこう。それにしても出来損ないとはなんだ、とツッコミを心の中で入れる。


「あ、そうだ。コーヒー奢るよ」

「どうせ、また100円の缶コーヒーでしょ?」

「100円では不服と言うのか」

「それは、感謝の気持ち次第ですね」


 つまり、足りないといいたいのだ。なんとも厚かましいことか。


「ぐぬぬ……130円まで出すから」

「160円」


財布の中身を思い出す。まだ、200円は入っていたはずなので、その提案を受け入れた。渋々と後ろポケットから財布を取り出し、ファスナーをあけ、振ってみる。


チャリンと金属音がした。


160円を取り出し、手渡す。


山田は笑顔で受け取ると自販機へと向かう。


機械音がしたあと、缶ジュースが落ちるガタンという音が聞こえる。それからプシュっという音がした。山田は缶コーヒーを飲みながら歩み寄ってきて、左手を出してきた。


「ん」

「はいよ」


そういって、上司から渡された書類を半分渡す。山田は受け取ると自分のデスクへと戻り、腰を下ろした。


「うげっ」


真横から悲鳴の声がもれる。


「やばいだろ? この書類」

「まじ、最悪っす」

「ごめん、ありがとう」

「はぁ……どいたま……」


そういって、隣からキーボードが叩かれる音がするのを聞きながら早島は、手元にある書類に目を向け、深いため息をつく。そして、マウスを操作して、データを入力していく。


「くそ……明日こそは絶対に定時で帰ってやる……」




♦♦♦♦♦



 

 それから数時間後、ようやく終わりが見えてきた。最後の確認を行い、保存して、電源を落とす。


 ふぅ……終わったぁ…… 腕を上げて、大きく背筋を伸ばす。肩こりがひどい。

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