第8話 夏が来た


「さて、と。次は何処へ行こうかね」

「それは分からないよ。風が教えてくれるんじゃない?」

「そう……だよな」

「つっても、当分寒いとこは懲り懲りだがな」

「同感。今度はあったかい所が良いね」


 アレックスとルピアが戻りの船を待っている間、こんな会話をしていた。

 あれから五人はビハール港まで戻っていた。

 今度は誰も迷わず真っすぐに。

 あれ程荒れていた風も落ち着き、青空が全てを占めている。

 周辺の雪も完全に融け、焦げ茶色の土が五十年ぶりに姿を見せた。

 数か月後には、この土も無数の草に覆われるだろう。

 


「それにしても、あんた達よくアイツの弱点が分かったね」

「ああ。紐綴じの本の隅に書かれていたのだ。【グラキエースは頭頂部のみ非常に脆く、私が知る間、頭を伏せる事は決してしなかった】とな」

「へえ」


 そう。フィリアは本を閉じる前、この一文を偶然見つけていたのだ。


「んで、その頭のてっぺんには、微かな傷跡が確かにあったよ。もしかすると、そこがあの大臣が楔を打った場所だったんじゃないかってね」


 アレックスが付け加える。


「あ~あ。ホント不覚だったなあ。く~、本当はあたしもこの手で倒したかったのに~」


 ルピアが心底悔しそうに拳を作る。


「それは同感」

「私もです」


 ルークとレナも悔しそうな顔をする。


「仕方ないことだろう」


 珍しくフィリアが窘める。その手には【紅蓮のフルート】が握られている。

 そして四人の手にもある物が。

 それは銀細工のペンダントとブローチだった。


「まさかこんな物があったなんてな」

「これだけでも盗賊冥利に尽きる褒美だよね」

「そうですね。……本当にとても綺麗です」


 ルークとルピアが先程とは打って変わって上機嫌でペンダントとブローチを見つめる。

 レナもうっとりとしながら見つめている。



 あの後……。

 五人が喜び合って、少ししてさあここを出ようとした時だった。


「我が国を助けてくれて有難う」


 後ろからくぐもった声がして振り返ると、玉座にぼうっと若い男が現れた。

 後ろの玉座が透けて見える事からやはり幽霊だ。

 身なりが非常に立派であること、そして王冠。王族の者に違いなさそうだ。


「貴方は……」


 おずおずとレナが訊く。


「私は二百年前、冒険者に助けを請うた者です」

「それじゃあ、二百年前の王子だった人……?」

「いかにも」


 ルークが尋ねると、王子の霊は頷く。(ここでは王子としておこうと思う)


「私は死してからずっと国が気がかりだった。国は平穏を保っていけるだろうかと。だが、魂となってしまっては何も出来ない。だからこの謁見の間で国の行く末を見守っていた。だが、まさか子孫がこのような失態を犯すとは思っていなかった……」


 王子の霊はひどく悲し気な顔になり、首を横に振る。


「あの大臣の子孫には悪いことをしてしまった。我が子孫があのようなことをしなければ、再びこの悲劇を生み出すことは無かっただろう。だが、これは私自身の責任でもあった。私の代でこの禁書を処分するべきだったのだ」


 王子の霊が玉座から、そっとかつしっかり握ったその分厚い表紙のそれが、禁書そのもの――今回の事件を五十年前、いや二百年前に起こしてしまった元凶だ。

 表紙は黒く無地で文字は何も書かれていない。

 勿論、中身はグラキエースだけではない。

 命を削る禁断の呪文、氷とは対に灼熱の国と化す事をなす悪魔を召喚するなど、世界のあらゆるタブーがこの一冊に刻まれている。

 だが、一見何も変哲もないこのような本を、何も知らない誰かが手に取ったら、想像も出来ない恐怖に染まってることは容易い。

 そんなことになれば、第二、第三のロンベル王国が誕生しかねない。


「だが、私はもうこの身で本を処分する事が出来ない……。そこで貴方方にお願いします」


 必死に縋るような眼差しで頼み込む王子の霊。


「そこの精霊使いの方……」

「あ、はい」


 突然指名されたアレックスが、少し動揺しながらも返事を返す。


「貴方の火の精霊の力でこの本を燃やしていただきたいのです。もうこのような怖ろしい物はこの世に残したら、また新たな脅威を生み出すでしょう」

「……分かりました」


 アレックスは引き寄せられるように玉座へ近付いて、斧の刃先を禁書に向ける。


「では……【紅蓮よ、天まで焦がせ サラ】」


 アレックスが唱えると、刃先からサラが現れる。

 サラはアレックスを見て頷き、真紅色の息を禁書に吹きかける。

 ボォォォと静かな炎は、メラメラと音を立てて燃えていく。

 それを遠目でレナ達は無言で見つめている。

 王子の霊も。

 炎は禁書を抱きしめる様に包むと、少しずつ黒くなってゆき、次第に炭になって跡形も無くなった。


「終わったでやんよ」


 サラが達成した声で告げる。


「ああ、ご苦労だったな」


 サラは戻っていった。


「有難う……。貴方方には誠に感謝しても足りないくらいだ。お礼にこれを……」


 王子の霊は右手を玉座に掲げると、ズズズとゆっくりと玉座がずれてゆき、その下から長方形の薄い木箱が出て来た。


「これは子孫に残そうと思っていたものだったのだが……もうこうなってしまっては、託すことも出来ない。それに、生前この国を救って下さり、私の勇気を与えて下さった冒険者の方々を思い出す貴方方に差し上げます」


 王子の霊は箱をアレックスに渡し、これから向こうへ行くという顔をしながら、


「王国は滅んでしまいましたが、魔の手が無くなった事で心残りはもうございません。それでは……」


 王子の霊はすぅっともやの様に溶けて消えていった。

 五人はそれを静かに見届ける。

 それを合図に、厚い雲から切れ目が出て、久々にこの大陸に陽の灯を取り戻す事が出来た。


「お、おう、そうだ。これは……」


 少しぼーっとしていたアレックスが我に返り、薄い木箱を取り出して四人の元へ戻って来た。


「これが……」


 アレックスが錠を外して開けてみると……。


『!』


 五人は驚いた。

 中には銀細工で出来た美しいペンダントとブローチが二つずつ出て来た。


「凄い……何て美しいの……」


 宝を見慣れているルピアでも、心奪われてこれを言うのが精いっぱいだった。


「でも、四つしかないぜ」

「そうですね」


 ルークとレナが言うと、


「私はこれで良い。代わりにこれを受け取ることにしよう」


 フィリアが大切な宝物を抱える子供の様に【紅蓮のフルート】を見つめて言う。


「そうか。それも良いかもな。もう人のいない遺跡に安置するよりも、な」


 アレックスは笑みを浮かべ、サファイアが埋め込まれた楕円形のペンダントを手に取る。


「んじゃ、これも~らい」

「あ、アレックス狡い!」

「いーじゃんよ。後三つあるんだし」

「そういう問題じゃないよ。ったく……」

「まあまあ。そうですね……では私はこれを」


 レナが手に取ったのはルピーがはめ込まれた六角形のブローチだ。


「それじゃあ、あたしはこっちをもらお」


 ルピアはレナとお揃いのシトリンがはめられたブローチを取る。


「じゃ、俺はこれだな」


 ルークは最後に残ったアレックスと同じデザインのエメラルドが埋められたペンダントを取った。


「いやあ~、こんなのを貰えるなんて、きつかったけど来て良かった」


 ルピアが嬉しそうに、漸く太陽が顔を見せた空にブローチをかざしながら眺める。

 太陽にかざされたそれは、銀と淡い黄色に光る。

 今度こそ五人はこの城を後にした。


 後で分かった事なのだが、あの禁書は二百年前、王子の霊の祖父が研究の為にとある魔導師の商人から買ったものだそうだ。

 だが、祖父は禁書の内容に恐れ、書庫の奥にずっと封印していた。

 大臣はそれを知っており、それを利用したのだ。

 これが悲劇の始まりになるとは誰も知る由もなかったろう。



「あ、やっと来たよ船」


 ルピアがこっちへ向かって来る船を指さす。



 五人は乗り込み、船はフォード大陸を後にした。


「なあルーク」

「ん?」

「お前、俺らと一緒に来る気は無いか?」

「え?」


 ルークが意外そうな顔をする。

 実はこれが終わったら、また一人旅に戻ろうと考えていたからだ。


「そうね。あたしも賛成。もうあのしがらみが無くなった今だったら、絶対楽しい旅になるだろうし」


 ルピアも賛成する。レナとフィリアも首を縦に振る。

 誘いはとても嬉しい。この四人と一時の旅はなかなか楽しかった。

 仲間と組んで旅をする事の楽しさもあった。

 けれど……。


「……悪いけど、俺は一人旅の方が性に合ってるんだよ。だから遠慮しとく」

「そっか。……分かった。でも、さよならは言わないよ。もしかしたら案外近い内に再会できるかもしれないからね」

「ああ。ルピア、アレックス、レナ、フィリア。今回は有難う」

「いえ。私の方こそ有難うございました。ルークさんに拾われた命、大切にします」


 レナに改めて言われ、照れながら頷くルーク。


「新しい飲み仲間が増えると思ったけどな。けど、仕方ねえな。ま、元気でやんなよルーク」


 少し寂しそうな声を出しつつも、いつも通りあっけらかんとして手をひらひらさせたアレックス。

 こういう感じのは慣れたので、自分も手をひらひらと返した。


「最初は半信半疑だったが、今となっては貴重な体験が出来た事。感謝する。ルーク、またいつか」


 少し固い別れを言いつつ、笑みを浮かべるフィリア。

 自分も笑みを返す。

 そして……。


「ルーク。今回であんたとの蟠りが解けて、あたしも本当に良かったと思ってる。また……ね」

「ああ……」


 ルピアとルークは手を握り合い、船がトゥールへ着くまでの間ずっと見つめあっていた。

 まるで卒業式の様に……。



 トゥールへ着いた頃には、既に藍色の帳が半分以上下りていた。

 その日の夜も、町の門で飲み物と食事をテイクアウトした。

 五人で開かれる最初で最後の宴だ。

 『乾杯!』



 翌朝、ルークは発っていった。

 ルークの顔からは、フォード大陸へ行く時と比べると、格段に顔色が良くなっている。

 ルピア達は、ルークのスリムだがしっかりした体格の背中を見送った。

 その姿が見えなくなるまでずっと……。


「行ったな……」

「うん……」


 アレックスはパチンと自分の両頬を目を覚ます様に叩き、


「さ、俺らも行くとするか」


 と、デイパックを担いで足を右へ向ける。


「はい。今度は何が待っているでしょうか?」


 レナも意気揚々と足を右に向ける。


「分からない。だが……それが何であろうと進むのが冒険者だからな」

「そうだね。あ、でもその前にさ」

「何だよ」


 アレックスが訊くと、


「フィリア。一曲奏でてくんない?」

「あ、そうですね」

「そうだな、頼むよ」

「分かった」


 フィリアは頷き、青空を一瞥した後【紅蓮のフルート】を口に当てる。

 三人は目を閉じて、その旋律に耳を傾ける。

 

 空は濃い青に染まり、入道雲が立ち昇っている。

 夏が来たのだ。

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魔の氷に縛られし国 月影ルナ @shadow-tsukikage

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