第4話

数日後、退院が決まった。入院費などはすべて会社が払ってくれることになった。入院している間は、会社の仕事を休んでいた。実はぼく会社員だったんです。ぼくの仕事は主に営業で、顧客への挨拶まわりをしていた。もちろん仕事が忙しいときには休むこともあったが、ほとんどのときは仕事をしていた。

ある日の仕事の帰りに、ふっと思いついたことがあったのでそれをメモ用紙に書き、その紙をビリビリに引き裂いた。それからそのメモを会社まで持っていって部長のデスクの上に置き忘れて帰宅することにした。その翌日出勤してみると、やはり部長がメモを見つけてくれていた。ぼくはそのメモを見て思った。あのときこう書いてなかったっけ? と記憶をたどると、確かに書いてあった。それならこれは「やるべきことリスト」だなと思い、毎日少しずつ書き加えていくことにした。こうして完成した「やることリスト」を持って取引先に行ってみた。「これ見てくださいよ」と言って部長に見せたら部長が言った。

「うん。で?」

で、とはどういうことだろうと思ったので質問してみた。すると、その言葉の真意は「それで?」ということで、もっと詳しく説明しろという意味合いの返事のようだ。そこで「これをご覧ください」と説明しようとしたら、部長は「そんなことよりもさ」とぼくの説明を中断して、自分の用件を切り出した。ぼくは自分の「やるべきことリスト」を見せられなかったばかりか、その説明さえできなかった。

退社したとき、ぼくは思った。あれ、なんかちょっとまずいぞ。このままではだめだと。何かをしなければいけないと。そこでぼくはまず最初に「健康な体になること」「ちゃんとした文章を書く技術を身に付ける」の二つのことを実行しようと考えた。そしてその次に、これらの目標を達成するための具体的な計画も立てた。具体的には次の三つを考えた。1、健康な体を手に入れて、2、きちんとした文を書いて、3、自分の考えを伝える という三つのことだ。この計画に沿って日々の生活を過ごしていった。

すると、ある日の晩に突然、ふっと考えたことがあった。それはこんなことだった。1、健康な体を手に入れても、ちゃんとしていても、文章が書けてもその先どうなるんだろう? 2、文章は書けるようになったとしてもその後どうしていけばいいんだろうか? 3、考えを伝えようとすれば、どうやってそれを伝えていけばいいんだろか? ぼくが考えたことについて書き出す。1、健康な体にならなくてもよくなりましたね? じゃあぼくが今、考えているのは何ですか? 2、その先には何もありません。3、その先にも何も存在しませんよね? だって何もないのにそれを表現することはできますかね。4、では何のためにぼくはここに来たんでしょう。5、ここに来て何をしたら良いんですか? 何の意味があったんですか。6、では、何の意味があるんでしょうか。7、答えは一つしかありえなくて、8、その一つの解答こそがぼくがここに来た意味になるはずですよね。そう考えると、「ここでぼくがしたいことはなんだ?」と訊かれて、即答することができたはずだと思ったけどその問いの「答え」というのは、いったい何のことなのかわかりませんでした。「ぼくはどこに行くのか」という問題に対して「ぼくの向かう場所はあるのか」ということを考えてみることさえしませんでした。「ぼくの進むべき道とは」という言葉を使う人もいましたが(「人生において自分がなすべきこと」と言い換えると、わかりやすいかもしれません)、「人生における自分とは」と考えることはしましたが「人生の目的」とか「使命」について深く考えようとすることは一度もしてこなかったのです。それはたぶん、ぼくはそういった言葉や思考に抵抗を感じていたからだと思います。でもこれからの人生を歩もうとするならばそれらについてももっと真剣に考えて行かないといけなくなるんだと思い始めています。そこで、ぼくは自分の人生を振り返り始めたわけですが、ぼくの人生は何のためにあったのかと考えようとしたときにふと気づいたことがあったのです。それは、そもそも「自分の人生を生きる」ってなんでしょう? と問いかけたことです。自分のために、誰かが自分のためを思って行動してくれると、「自分は他人に支えられて生きているのだ」ということを強く感じてしまいます。しかし、自分がやりたいと思って行動をした結果、それが上手く行ったとしても他人のせいにして良いわけではないだろうと考えたのですね。自分のために誰かが頑張ってくれたらその気持ちに感謝します。感謝することはもちろん大切なんですけれど。それでは自分が自分でなくなってしまう気がしてしまうんですよね。こうなって欲しい。あってほしい。そうなったらいいなぁ~。

なんて思った結果が上手く行くとすごく嬉しいんだけど。ぼくの思う理想と、現実とのギャップが激しくなるにつれ、なんか悲しくなってきたり。結局は「うまくいかなくても仕方がない」ということで諦めたり、自分を責めたり、自分に嘘をつくようになってしまっています。ぼくの場合は「どうせダメならやめておけばいいや」となってしまうことが多いかな。そんなぼくが本当に望むことは何なのか。そのことを考え始めるようになったきっかけは「自分の人生の目的や目標を考えることで、より良い人生にしたい」「より充実した日々を送りたい」と思っている人たちがいることを知ったことだったのです。もちろんぼくだってそうしたいさ。けどな、無理なんだ。無理なものはむ・り!! ただでさえ、自分のことだけ考えればいいと言われて、自分のことすら考えたくないのに他人のことまで考えられるかよっ!! と思ったりもしているわけですよ。それに「自分の人生の目的をはっきりさせるべきだ!」とか言って、あれこれ教えてくる奴がいたとしても……「そんなこと言ってる暇があったら自分の人生どうにかしろや!!」とぼくは言い返してしまうと思います。他人の人生よりもまずは自分がしっかりしなければ意味がないと思うから……。

最近になって、自分について色々考えた結果、自分のことについてもっと知りたくなりました。自分について知っていくうちに自分について考える機会も増えてきたような気もしてきて。ぼくのことをぼく以上に理解する存在はいないかもしれない。でもぼくには、自分のことをよく知らないままでいることはできない。このままでは、自分が何者か分からない状態のままで一生を過ごすことになるのではないかと思ってしまいます。だからって、こんなところでいつまでもグダグダしててもしょうがないことくらい分かっていたけれどね。とりあえず「行動してみないことには始まらない。とりあえず一歩前に踏み出してみるか……」そう考えて始めたものの、その先に進むのはなかなか難しくて難しいですわ(^_-)

う~ん、やっぱりぼくには難しいのかな(笑)誰かに相談してみたいと思っていましたが、なかなかそういう相手がいないものですね。自分の悩みを話すことが難しいのはもちろんのことだけど(相談相手が悩んでいる可能性もあるし)、その話をすること自体が相手の悩み事を増やす可能性があるからだ。そもそも悩み事が他人に伝わると自分もまた別の形で同じことで悩んだりもするものなのですかね……。そういうこともあって気軽に話しにくいのですよね、実際。それに加えて最近はさらに話すのが難しくなってきているような気がします。なぜなら、それは「自分はどうなのか?」という疑問と「他人はこう考えているんじゃないか」という思い込みに振り回され続けているからです。自分が一体誰なのか。何者なのか? どうして生まれてきたのか?……答えが分かりませんでした。そして、そのことにずっと違和感を抱き続けてきていました。しかし、「答えなんて自分で出すしかない。他人の意見に流されないで自分の意見を貫き通すべきだ!」と言いながら、他人に頼りっきりになっていたのかもしれません。その結果が今の状態でしょう。ぼくがここにやってきた目的はなんでしょうか?……よく分からなくなってきました。でもまあ、なんとか生きてます。(苦笑&謎かけみたいな書き出しになってしまったが……笑;)

さて、話は変わるけど、最近になって、『ASiXiiX』とかいう、脳の運動神経回路を利用して新しい感覚器官を創造する実験をやってるんですよね。まだ研究途上の段階ではあるんですが。例えば、視覚野を拡張させて、色を感じ取った後にそれがどういう色合いかということを識別することができるようになったり、視覚だけでなく聴覚にも影響を与えることができるようになって、より高度な情報処理が可能になるとかってことが実現可能になりそうで。あと面白いなーと思うのはその技術は身体的な動作とは全く関係ないんだけれども、「脳内だけで処理できるなら身体を動かせない人でも可能だよな!」と閃いたことです。

ぼくたちは普段無意識的に、身体のどの部分にも触れることなく様々な物を認識しているし、実際に身体に触れずに情報を読み取ることもできるわけですよ。それを応用すると、目や耳で得た情報を身体のどの部分を使って認識するか? というプロセスを全て排除することができるはずなんですよ。つまり、頭だけで物事を認識するようなことが実現できてしまうという。まぁ、これはあくまでも理論上はそうなるというだけの話で、今のところ誰も試したことは無いのだけれど、もしかしたらいつかはそういう日が来るかもしれないよな~と(なんかSFみたいだ)。

あともう一つはですね、これは「BMI2」の話に絡んでくるんだけど。ぼくらは普段、意識しているかいないかにかかわらず常に何かを考えて生活しているじゃないですか。そしてそれは常に「何かを考える」という形で行われていて、その思考内容は「記憶されているデータ群」に保存されているはずだし、そのデータ群は、人間の頭脳や脳細胞といった機械ではなく、あくまで有機的に繋がっており、かつネットワーク上で管理されてもいるという感じなので。まぁ、こういうのをまとめてしまうと「人間の精神は電子化された状態で、その情報データは全部『一続きの世界の中』に存在する」っていうことなんだよなぁ、と。これまたすごい発想の飛躍だと自分ながら思うのだけれども、ぼくらが日々当たり前のように考えていることを一度解体してしまうとこうなるのか! みたいな(いや、ちょっと言い過ぎか?)。

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