秋葉と水の国

@nin123

第1話

 秋葉は小学五年生である。今日もランドセルを背負って、下校中である。

「おーい」

 どこかから男の声がして、秋葉は立ち止まった。ランドセルが重たい。

「おーい。こっちだよ。こっち」

 声のする方を、秋葉は見る。そこには、電柱と水溜まりしかない。

「そう、ここだよ、ここ」

 秋葉は電柱の方に近づく。電柱の後ろに誰か隠れているかと思ったが、誰もいない。

「下、下」

 見ると、水溜まりに自分の顔がうつっている。その水溜まりから、男の声が聞こえる。

「そう、水溜まりだよ、正解」

「……なんで水溜まりがしゃべってるの?」

「なんでって言われてもね。本当はどの水溜まりも、しゃべれるんだよ」

「嘘だ」

「まあ嘘だと思ってもいいけどね。君、退屈そうだね。名前は?」

「……秋葉」

「秋葉か。君、こっちの世界、来る?」

「は?」

「どうせ暇でしょ。こっちにおいでよ」

「暇じゃないし。宿題とか、ピアノのレッスンとかあるし」

「まあまあ、そう言わず。ちょっとだけ」

 突然、水溜まりから人の手が出てきて、秋葉の足を掴む。

「きゃっ」

 秋葉は抵抗するが、水溜まりの中に体を引っ張られる。

 五秒後、秋葉のランドセルだけがその道に残った。水溜まりには初夏の空がうつっている。


 秋葉が目を覚ますと、そこは銀色の世界だった。道も壁も、家も全部銀色だった。

 銀色の服を着た男が立っている。肌も銀色だ。

 これは夢? 秋葉はそう思った。

「ようこそ秋葉ちゃん、水の民の世界へ」

「……水の民?」

 秋葉は起き上がりながら聞く。

「そう、我々は水の民なんだ。水の世界に住む、水の民。美しいでしょう」

「美しいっていうか、全部銀色だね」

「そう、銀色。この世で最も高貴な色だ」

「私、帰りたいんだけど」

「元の世界にかい? それはちょっと待ってくれ。せっかく水の世界に来たんだから、楽しんで行ってほしいんだ」

「でも、用事あるし。ピアノのレッスンとか」

「大丈夫、ここで何日過ごしても、外の世界の一秒にも満たない。安心して過ごしてくれ」

「本当?」

「本当だ。水の民は嘘をつけない」

 そこへ、全身銀色の中年女性が通りかかる。銀色の帽子を被っている。男は女性に話しかける。

「やあ、町長」

「園田さん、お久しぶりです。お元気ですか?」

「ええ。町長の方こそ、お元気ですか? 隣町との抗争、どうなりました?」

「その件は、明日の集会の時に」

「まだ続くんですね、争いが」

「そうですね。ではまた、明日」

 町長は背を向けて去っていく。

「争いって?」

 秋葉は園田に聞いてみる。

「我々は隣町の火の民と、争っているんだよ。もう五年になる」

「なんで争ってるの?」

「些細なことだよ。町長が料理中、指先を少し火傷したんだ。それでキレて、隣町の火の民に宣戦布告したんだ。それからは、戦争だよ」

「火の民っていうのもいるんだね。全身銀色?」

「あいつらは、金色だ。汚い色だよ。さて、そろそろうちで、ご飯でも食べようか」


 秋葉は園田の家にいた。出てきた料理は全て銀色だったが、味は普通だった。

 秋葉は園田の家に泊まった。ベッドも布団も銀色だったが、普通によく寝れた。園田はソファーで眠っていた。

 翌日、園田と秋葉は集会場にいた。

 町長が、銀色のスピーカーを使って怒鳴っている。

「私が指先を火傷した時、どれほど恐怖を感じたか、皆さんに分かるでしょうか? あれほどの痛みと屈辱は初めてでした。火は恐ろしいものです。そんな火と共に暮らす火の民は、本当に恐ろしい民族です。我々は、火を消す水の民として、断固戦います。負けてはならないのです。火傷の痛みをなくすために」

 ウオーと、歓声が上がる。

「ノーモア火! ノーモア火傷! ノーモア火の民!」

 ものすごい盛り上がりである。

「ノーモア火傷! ノーモア火傷!」

 園田も叫び続けている。秋葉は耳が痛くなって、一人で集会場を出た。

 銀色の川沿いの銀色の道を、一人で歩く。争いなんてどうでもいいから、もう元の世界に戻りたいんだけどな、と秋葉は思う。園田に頼めば帰れるだろうか。それとも帰してくれないだろうか。


 その日の夜、園田の家で二人で夕食を食べながら、秋葉は言ってみた。

「もう、元の世界に、帰りたいんだけど」

「もう? 早すぎない?」

「だってもう、大体見たし」

「隣町との抗争は? 気にならない?」

「別に。どっちが勝っても私関係ないし」

「冷たいなあ。火傷も冷えちゃうよ。冷たい冷たい」

「で、どうなの? 元の世界に帰してくれるの?」

「…………実は」

「何?」

「実は、一度連れてきたら、もう元の世界には帰せないんだ」

「は?」

「ごめん」

「は? 何それ?」

「これからも二人で仲良く暮らそう」

「は? 何言ってんの? 冗談でしょ?」

「冗談じゃないんだ。こちらの世界に入ったら、もう元の世界には戻れない」

「何を言ってるの?」

「ごめん。僕の出来心で、拉致してしまった。申し訳ない」

「……ここで何日過ごしても、外の世界では一秒にも満たないって」

「それも嘘だ。こちらの一日は、外の世界の四十日になる」

「…………帰れないの?」

「そうなんだ。ごめん」

「………………」

 秋葉はその夜、ふて寝をした。

 夜中に目を覚まし、家の外に出ると、夜空まで銀色だった。星が瞬いている。

 一生この世界で暮らすのか。園田と。

 涙が一筋、秋葉の頬を流れた。


 翌日、なぜか爽やかな気分で秋葉は目を覚ました。

「おはよう」

「おはよう、秋葉ちゃん。火の民の奴ら、今日攻めてくるって」

「本当?」

「たしかな情報らしいよ。僕たちも、戦闘の準備をしないと」

 秋葉は朝食の銀色パンを食べながら、なぜかやる気がみなぎっているのを感じた。

 やるぞ。

 火の民を、ぶっ倒してやる。

 秋葉が自分の手を見ると、少し銀色になっていた。

 私も水の民になったのだ。

 きっと、そうなのだ。

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