地獄の扉
西野ゆう
第1話
「絶対にあそこだ。絶対にあそこにあるんだよ」
数千年前に記されたという少女が抱える本の文字は薄れ、明確に読み取れる箇所は僅かしかない。
その本は、少女がまだ文字も読めなかった幼い頃、偶然に村の神殿で見つけた。
「手に取り、持ち去れ」
その時の少女の耳に届いた声は、明らかに本から発せられた意思だった。それに従い本を手にしたその日から、本に書かれている内容に確信が持てた今日のこの時まで、少女にとっては気が遠くなるような時間が過ぎていた。
「第六の山に隠されたトンネルが現れる」
その他の「呪文」「扉」「生贄」「解放」といった文字はとぎれとぎれだ。
その先で唱えるべき呪文などはまだ少女には見当もつかなかったが、トンネルらしきものが麓から見えただけで、今は満足だった。
その嬉しさからか、少女は幼馴染の少年の背中を見つけた時、本のことを話してした。
「ナオ、この本を見て」
その声に振り向くナオと呼ばれた少年の胸には、少女が差し出した本と非常に似ていながらも、内より正反対の意思が漂う本が抱かれていた。
「ミル……」
振り向いたナオの視線は、少女ミルの手にある本に吸い寄せられていた。ミルの視線もまた、ナオの胸にある本から離せなかった。
「読めたのか?」
「うん。ナオのは?」
「読めた。あの山の雲の中に……」
「トンネルがあるんだよね! きっとあの向こうには……」
「ダメだよ! 行っちゃいけないんだ!」
恐怖に怯えた表情で訴えかけたナオに、ミルは首を傾げた。
「そう、書いてあるの?」
「そういうわけじゃないけど、行けなくする方法が書かれてあるし」
「それっておかしいよ。だって、こっちの本には、行く方法が書いてあるんだもん。ナオはトンネルの向こうの世界に行ってみたくない?」
ミルがそう問いかけても、ナオは首を横に振り続けた。
「ダメだって……。多分だけど、その道は地獄への道なんだ」
「なに、地獄って?」
「分からない。けど、怖い魔物とかが沢山いて……」
言いながらナオは本をミルの前で開いた。
「なに、これ……」
本の絵を見た瞬間、ミルは震え始めた。あまりにも恐ろしい絵だった。魔物に襲われ、苦しみ、口を大きく開いている異形の者たちの苦悶の叫びが聞こえるようで、ミルは自分の耳を押さえた。その拍子に、ミルの手から本が落ちた。
「手に取り、扉を開け」
落ちた本からの声がふたりの耳に届き、次第に深くふたりに入り込んでいった本の意思は、ふたりの足をトンネルへの道に向かわせていた。
気づけばトンネルの入り口。ふたりは揃って息を飲んだ。麓の村からでは見えなかった光景だ。その壁は、明らかに蠢いていた。
「このトンネルの先だぞ? 絶対地獄ってやつだ」
ナオは震えながらミルの顔を見てそう言った。
「でも、このままここにいたら、私たちも壁の一部になっちゃいそう」
「わかった。行くよ」
「うん、行こう!」
ふたりの足は同時に駆け出した。
壁で蠢いていたのは、無数の手だった。
壁から出ていたのは腕だけではない。ミルやナオと同じ年頃に見える、同じような姿をした者たちが、無数に隙間なく積まれている。ある者は顔を出していたが、声は出せぬようで、ただ苦悶の表情を見せるだけだった。これが本にあった生贄なのだろう。
「ミル! 見えた! 大きい扉だ!」
その扉を見たミルは圧倒された。
上を見ても、左右を見ても、その全容は確認できない。
「本当に、これが開くのかな?」
ミルは自信なさげだ。
「呪文、言ってみるしかないよ」
ミルは頷いて本を開いた。本の文字がこれまでよりもハッキリと見える。
呪文の途中から扉は輝き始め、ミルが最後の言葉を発すると、扉は目を開けていられないほどの光を放った。
ミルとナオは、眩しさに固く閉じていた目を、ゆっくりと開いた。
まだ眩辺りは白くぼやけている。ただ、どこかに出たのは間違いない。ふたりの頬を、やさしい風が撫でている。
ふたりの横をゆっくりと通り過ぎた風は、生贄を捉えていた力を剥がした。
身体の自由を取り戻した者たちが、ミルとナオのふたりが開いた世界へと向かう。その足音が聞こえ、ふたりが振り返った。
「良かった。壁から出られたんだね!」
先頭を歩いてきていた者がミルに近づくと、ミルに抱きついた。
「ありがとう。まさか、また自由になる日がくるなんて思ってもいなかった。私はメグ。あなたは?」
「ミル。こっちはナオよ」
「ミル、ナオ。本当にありがとう」
そう言ってふたりに何度も礼を言った少女は、ミルによく似ていた。
身体の割に大きめの頭。顔の三分の一ほどもある大きな目は黒く輝き、横に広がる口には鋭い牙が何本ものぞいていた。腕は細長いが、掌は大きい。指は三本で鋭い爪は黒鉄のように輝いている。
その少女が、外の世界に足を踏み出しひと言溢した。
「地獄の扉が開かれたのって、本当に久しぶりなんだよ」
地獄の扉 西野ゆう @ukizm
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます