朝陽

 最近、美桜ちゃんの雰囲気が変わった。

 細い身体がふっくらとして丸みを帯び、俺を見上げる瞳が熱を持ったようにうるんでいる。

 少女から大人の女性に変わっていく彼女を見て、自分でも驚くほど動揺した。


「赤ちゃんの頃から知ってるからかな。いい加減俺も子離れ、いや妹離れしないとな」


 常連の居酒屋で友人のれんにこぼした。

 蓮は数少ない友人のひとりで、小学生のときからの付き合いだ。

 

 あの頃、お化け屋敷と呼ばれていた草薙の家の噂を教えてくれたのは蓮だった。

「朝陽は霊感があっていいなあ」と蓮は羨ましがったが、白いフワフワしたものの正体は白狐だったから、霊感は関係なかったと思う。

 

 蓮は、朝陽の話を聞きながら、こいつバカじゃないのかと思っていた。

 いくら小さい頃から知ってるといってもただの他人だ。年齢だって、せいぜい一回り違うくらい。それくらいの歳の差のカップルなんてうじゃうじゃいる。


 その子が女っぽくなったから妹離れって……。


「ぶはっ!」


 こらえきれずにとうとう吹き出した。


「わっ! なんだよ、汚いな」


「ごめんごめん。それで、美桜ちゃんがどうしたって?」


「気安く名前を呼ぶな。知り合いでもないくせに」


「ひどい! おまえが紹介してくれないからだろ。だいたい、あの家の人と仲良くなれたのだって、俺がお化け屋敷のことを教えてやったからだろ。ちょっとは感謝しろよな」


 朝陽はハァとため息をついた。


「おい、こら。聞いてんのか?」


「実は、このあいだ美桜ちゃんが男友だちにキスされてるのを見たんだ」


「えっ、嘘! 口に!?」


「そんなわけないだろ! ほっぺだよ、ほっぺ。ふざけてたんだろうけど、ついカッとなって怒鳴っちゃったんだよなあ。大事な妹に手を出された気がしてさ」 


「いや、それ、ヤキモチ焼いただけだろ」


「は?」


「だから、好きな女に手え出されたから怒ったんだろ? 妹とか、なにカッコつけてんだよ」


「な、なに言ってんだ! 馬鹿なこと言うな!」


 俺が美桜ちゃんを好き? まさかそんな。いくつ違うと思ってんだ? 相手は女子高生。俺はもうおっさんだぞ。


「いや、まだおっさんじゃないだろ。俺と同い年なんだから悲しいこと言うな」


「あれ? 俺、声に出してた?」


「出てたよ! 逆になんで今まで気がつかないかなあ。おまえ、酔うと美桜ちゃんの話ばっかしてるぞ。一回り年下でも、もう高校生だろ? 十八になれば結婚だってできるんだし、もう我慢しなくていいんじゃないか?」


「べつに我慢してたわけじゃない……仮にそうだとしても、大事な人たちの娘だぞ」


「そんなこと言って誰かに取られたらどうすんだ。魅力的な子なんだろ?」


「そりゃあ……可愛い子だよ。しっかりしてて、人のために頑張れる優しい子なんだ。なんか、そばにいるといっぱい甘やかしたくなるんだよなあ」


「溺愛じゃねえか。とっとと告白してこい」


「そんな簡単にはいかないよ……でも、よく考えてみる」


「おお、そうしろそうしろ。今日は飲むぞー!」


 酒を飲みながら、朝陽は自分の心に問いかけていた。


 いつからだ? いつから好きだった?



 大好きな奏多さんと美月さんの大切な赤ちゃん。

 その小さな手で指を握られたとき、なによりも大事にすると決め、ずっとそばで見守ってきた。


 美しい花に囲まれ、神様や白狐と共に暮らす不思議な家族。

 あの人たちがいてくれたから、俺はまっすぐに生きてこられたんだと思う。


 伯父さんも伯母さんも優しかったし、いとこたちとも何とか折り合いをつけて生活していたが、あの家が自分の居場所とは思えなかった。

 

 両親が亡くなっていることは、すぐに学校で噂になった。

 小学生の子どもが一人で親戚の家に住んでるんだから、ばれるのも時間の問題だったのだろう。

 クラスメイトたちの同情するような言葉や視線が煩わしかった。

 

 そういえば、こいつは変わらなかったな。

 隣にいる蓮に目をやる。


「なんだよ」

「いや。可愛いやつだと思って」

「ぶはっ!」

「あー、またかよ」

「今のはおまえが悪いだろ!」


 

 中学生のとき、伯父さんと伯母さんが話しているのを偶然聞いた。


「子どもたちもまだまだお金がかかるし、パートにでも出ようかしら」

「まあ、大学はみんな奨学金をもらえば何とかなるだろう」


 俺は大学に行くつもりはなかった。

 返済することを考えると何百万もの奨学金を借りてまで勉強したいとは思わなかったし、なにより、早く自立したかった。

 高校では早いうちから先生に、卒業後は就職したいと相談し、伯父さんたちにも正直な気持ちを伝えた。


 就職と同時に家を出た。狭いアパートだが風呂もついてる。俺だけの部屋。

 しばらくは解放感で満たされたが、そのうち無性に寂しくなった。

 

 暗い気持ちになるたびに、白狐や美月さんたちに会いに行く。

 優しさに触れては立ち直り、またすさんでは癒される。

 そんなことを繰り返しながら、俺は大人になった。



   ◇


「奏多さん、怒るかなあ」 

「娘はやらんってか? アハハハハ」

「黙れ、酔っ払い」


 ちょっと、いや、かなり怖いけど正直に伝えたい。

 美桜ちゃんに惹かれていると。

 もちろん、彼女にも伝えなければ――きみが好きだと。




  ――――――――――――――――――――――――


  読んでいただきありがとうございます。

  今日は次の最終話も投稿します。



   









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