初恋の人と白狐

 学校から帰ると、玄関に黒い革靴が置いてあった。

 朝陽あさひ兄ちゃんが来てる!

 わたしは急いで靴を脱ぎ、茶の間に向かった。


「お帰り、美桜みおちゃん」

「朝陽兄ちゃん!」

「美桜も何か飲む?」

「うーん、芋羊羹ようかんなら緑茶かな」


 茶の間にいる母と朝陽兄ちゃんは芋羊羹を食べながらまったりしていた。


「目ざといわね。朝陽くんが持ってきてくれたのよ」

「ありがとう、朝陽兄ちゃん。久しぶりだね、うちに来るの」


 わたしは朝陽兄ちゃんの隣に座った。この部屋は畳の上にちゃぶ台が置いてあるので、なんとなく昭和の香りがする。昔ながらの茶の間って感じ。畳にぺたりと座ると落ち着くのは日本人だからかな。


「ここんとこ忙しくてなかなか来られなかったんだ。でも、いつも来たいと思ってるよ。ここは俺にとって大事な場所だから」

 

 それを聞いた母が嬉しそうな顔をする。


「あの可愛い朝陽くんが、こうして立派に働いてお土産まで買ってきてくれるなんて、月日が経つのは早いわねー」


「もう大人ですから、いつまでも子供扱いしないでください」


「ふふ、ごめんね」


 朝陽兄ちゃんはわたしの兄ではないが、わたしの産まれたばかりの写真にも写っているくらい、我が家とは長い付き合いだ。朝陽兄ちゃんが小学生のときにうちの両親と知り合い、ちょこちょこ遊びに来るようになったと聞いている。



「朝陽兄ちゃん! これ食べたら庭を見に行こうよ。秋の庭、まだ見てないでしょ?」


「ああ、そうだな」


 生暖かい目でお母さんがわたしを見ている。にやにやしないで欲しい。

 わたしが朝陽兄ちゃんに片思いしてることはとっくにばれていた。ひと回りくらい離れているけど、愛があれば歳の差なんて。

(まあ、全然女として意識されてないけど)

 

 朝陽兄ちゃんは小さい頃に両親を亡くし、伯父さんの家で暮らしていた。就職を機に家を出て、今は近くで一人暮らしをしている。いつかその部屋に行くのがわたしの夢だ。

 朝陽兄ちゃんの身長は178センチ。高校のときに弓道部にいたせいか、細身だけど引き締まった身体をしている。

 写真を見せてもらったことがあるが、弓道着を着た朝陽兄ちゃんがカッコ良すぎて悶絶したものだ。その写真は現在わたしのスマホの待ち受けとなっている。


 縁側から庭に出ると、ピンクの秋桜こすもす、藍色のリンドウ、白いダイヤモンドリリー、青紫の桔梗など、秋らしい楚々とした花が咲いている。


「あー、ここに来ると生き返るな」


 朝陽兄ちゃんがネクタイを緩めて笑顔を見せる。ぐはっ。大人の色気にやられてしまう。


「仕事、大変?」

「そうでもないよ。ちょっと疲れてるけどね。美桜ちゃんは? 学校どう?」

「小学校のときの友だちと一緒のクラスになったから楽しいよ。勉強は嫌いじゃないし」

「それは良かった」


 朝陽兄ちゃんは、祠の前に来るといつも手を合わせる。

「ご無沙汰しています。いつも見守ってくださり、ありがとうございます」

 

 うちの庭には祠がある。今どき珍しいんじゃないかな。

 昔、火事で焼けてしまったので新しく作り直したそうだ。

 石の台座の上にある祠は、高さ1メートルくらいで赤い屋根の下に両開きの格子戸がついている。


「うちの祠って結構立派だよね。綺麗だし」


「そうだね。ここには大切な神様がまつられてるから」


「ふうん。ねえ、神様の眷属って知ってる? 神の使いって言われてる」


「知ってるよ。ここの神様の眷属は狐だよね」


「朝陽兄ちゃん……見えてるでしょ、狐」


「えっ!?」


「ふふ。ちょっと挙動不審なときあるし、見えてるんじゃないかなあと思ってた……実は、わたしもだいぶ見えるようになったの。子供の頃は気配くらいしかわからなかったけど、今では尻尾とか背中とか、もう少しで顔もはっきり見えそうなんだ」


「そっか、そうだよね。あの人たちの娘なんだから当たり前か」


「やっぱり、お父さんもお母さんも見えてるよね!? 二人ともそのこと隠そうとしてるみたいだけどバレバレなんだもん。なのにコソコソしちゃってさ……わたしだけ狐が見えないからだろうけど、ちょっと寂しいよね、そういうの」


「狐じゃない。白狐だよ」


「白狐?」


「うん。自分で言ってた」


「えっ、朝陽兄ちゃん、声も聞こえるの!?」


「うん。でも、最初は姿も見えなかったんだ。ただフワフワしたものが飛んでるなってくらいで。気になって毎日目を凝らしてたら段々姿が見えてきて、はっきりと顔が見えたとき『白狐』って呟いたら、目の前に現れて話しかけてきたんだ」


「じゃあ、わたしもはっきり見えるようになったら声も聞こえるかな!?」


「うーん、どうかなあ……ここまではっきりと見えて白狐の声まで聞こえるなんて、この家の人以外で初めてなんだって。なんでかなって、奏多さんも美月さんも不思議がってた」


「そっか……わたしも見たいなあ」

 

 なんだかものすごく悲しくなって、涙が出てきた。


「美桜ちゃん……」


「だって、ちっちゃいときから、いっつも助けてくれたんだよ。病気のときはそばにいてくれたし、怪我しないように見守ってくれて、なのに、わたしだけ見ることもできないなんて、そんなの……うっうっ、うわぁああん! わたしも見たい! 会いたいよぉ、白狐ぉおおお」


 子どもみたいで恥ずかしいのに止まらない。

 夕暮れ時の静かな庭にわたしのバカみたいな泣き声が響く。



 ――あるじ……。

 ――いいよ。かわいそうだもんね。でも、ぼくだってそばにいて助けてるのに、全部白狐のおかげだと思ってるのは、なんかしゃくだなあ。

 ――すみません。そこはちゃんと訂正しておきますから。

 ――ふふ、嘘だよ。美桜によろしく。



 泣き叫ぶわたしの前に、いきなり白いもやのようなものが立ちこめ視界を奪った。


「なに、これ……」

 

 靄は次第に一つの塊となり、やがて真っ白な狐に姿を変えた。


「まさか……白狐?」


 そうだよと朝陽兄ちゃんが言う。びっくりして涙も引っ込んだ。

 白狐は想像していたよりずっと大きかった。わたしとあまり目線が変わらない。


「目は金色なんだね。それに真っ白で綺麗な毛並み。やっと会えたね、白狐」

 

 手を伸ばして触ると、もふもふとした感触があった。白狐が口を開けた。


「ぼくも会いたかったよ、美桜」

「こっ、声が聞こえ――」


 思わず朝陽兄ちゃんの顔を見ると、良かったねと笑った。


 嘘みたい。

 わたしは白狐に話しかけた。


「白狐の喋り方、可愛いね」

あるじと似てるんだよ」

 ちょっと得意げだ。

「主って、もしかして神様のこと?」

「うん、そうだよ」


 本当に神様がいるんだ。でも、なんでうちに? 

 頭がぐるぐるしていると白狐が言った。


「あのね、美桜のそばにいたのってぼくだけじゃないよ。いつも神様もいたんだ」


「神様がどうしてわたしなんか気にするの?」


「えーっとねえ、美桜のお母さんの美月は、子どもの頃から主の姿が見えたんだ。だから、この土地は美月が継いだの。主は美月のことが大好きだから、美桜のことも大事に思ってるんだよ」


「そうなんだ……朝陽兄ちゃん知ってた?」


「まさか。さすがにそこまでは知らないよ」


「凄いね、お母さん。まさか神様まで見えてたとは」


「奏多も見えるよ」


「え、お父さんも!?」


「美月の伴侶だから、美月と同じように神様と話もするし、触れるよ」


「奏多さんまで……」


「あははは……」


 なんかもうびっくりし過ぎて何も言えない。

 すごすぎでしょ、わたしの家族。




 

 




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