番外編 少年と白狐
その家の前を通ると、いつも色々な花の香りがした。
高い塀にぐるりと囲まれた大きな家は、小学校でお化け屋敷と呼ばれている。
◇
この町に来たのは半年前。
両親を事故で亡くし、父の兄である伯父さんに引き取られることになった。
伯父さんの家には高一と中二の
「今日から
「片づけたけどさあ……
「何言ってんの? 女の子の部屋に男が住むなんてありえないよ」
「男って、まだ小五じゃん。なに、おまえ。こんなチビ、男として意識してんの?」
「ふざけんな! 馬鹿!」
「二人ともやめなさい!」
伯父さんは二人を止めて、ぼくに声をかけた。
「ごめんね、朝陽。狭いとこだけど、お兄ちゃんと仲良くするんだよ」
「はい。ありがとうございます」
雅樹くんは部屋の真ん中に(あきらかにあっちの方が広かったけど)衝立を置き、
「ここが境界線だからな。黙って入ってくんなよ」
「わかった。迷惑かけてごめんなさい」
「いや、べつに迷惑ってわけじゃ……まあ、なんか困ったことがあったら言え」
「うん」
雅樹くんは口は悪いけど良い人だと思う。
なるべく邪魔にならないように気をつけよう。
伯父さんも伯母さんも優しいし、少なくとも高校を出るまではここに住まわせてもらわないと。
ぼくには、他に行くところがないんだから。
そんな毎日の中で、通学途中にお化け屋敷の前を通るのが楽しみだった。
「なんで、あの家はお化け屋敷って言われてるの?」
クラスメイトの
「あの家には色んな噂があるんだ」
連くんは声をひそめた。
「白いフワフワしたものが飛びまわってるとか、やばい草を栽培してるとか。それにあそこの桜の木、おかしいんだよ」
「何が?」
「まわりの桜がみんな散ったあとも、あの家の桜だけずっと咲いてるんだ」
「ずっとって、どれくらい?」
「二週間くらいかな」
「それは確かにおかしいね」
なかなか散らない桜かあ。
ぼくは春が来るのが待ち遠しくなった。
お化け屋敷から、冬なのに甘い花の香りが漂ってくる。この家の庭はいったいどうなってるんだろう。
地肌をさらす桜の木を見上げていると、白い何かが動いているのが見えた。
「えっ?」
じっと目をこらすと、尻尾のようにも見える。
まるで大きな獣が空を飛んでいるような……なんだか怖くなって、走って家に帰った。
次の日、蓮くんに報告した。
「ぼく、見たよ。白いフワフワしたやつ。なんかの尻尾みたいだった」
「ほんとか!? すげえな。俺なんか一度も見たことないんだ。何回も見に行ってるのに」
蓮くんが羨ましそうに言った。
「じゃあ、帰りに一緒に見に行こうよ」
「行く行く!」
ぼくたちは連れ立って、お化け屋敷を見に行った。塀の外でしばらく待っていると、前に見た白いのが飛んできた。
「あっ、いた!」
「えっ、どこ?」
「ほら、あそこ! 桜の枝の先」
「えー、どこだよぉ」
「ああっ、消えちゃった……」
「くそっ、見えなかった」
「うそじゃないからね!」
「わかってるよ。お化けって霊感がないと見えないんだって。お父さんが言ってた。朝陽は霊感があるんだよ。いいなあ」
幽霊とか見たことないんだけどなあ。
それからも白いフワフワは何度か姿を見せた。
だんだん輪郭がはっきりしてきて、ふさふさの尻尾や、その先にある背中や四本足、さらに狐のような顔まで見えるようになった。
「白い狐……
ぽつりと呟いた瞬間──ぼくの目の前に、見上げるような大きな体の白い狐が舞い降りた。
金色に光る目がぼくを見て言った。
「ほう、とうとう我と目が合うまでになったか。人の子よ」
口を開けると、鋭い牙がのぞく。
「き、狐のお化け!」
「お化けじゃないよ!! ゴホン。我は神の使いだ」
「神様の……もしかして、神様もここに住んでるの!?」
「なぜ、そんなことを聞くのだ?」
「いつも花の香りがしてるから……もしここが天国につながってるなら、お父さんとお母さんに会わせて欲しい……」
語尾がだんだんと小さくなる。自分でも馬鹿なことを言ってると思う。でも、神様がいるなら天国があってもおかしくないはずだ。
「おまえの父と母は亡くなったのか?」
「うん。二人とも死んじゃった。ぼ、ぼくを置いていなくなっちゃっ……」
急に涙があふれてきた。
伯父さんの家では我慢してるせいか、なかなか止まらない。
「泣かないでよぉ」
あせった狐の口調が急に変わった。
「ちょっと待ってて! 帰らないでね」
と塀の向こうに跳んでいく。
戻ってきたときには、口に大きな花束をくわえていた。
狐は、ぼくの前にふわりと着地し、花束をぽとりと落とした。
「もしかして、ぼくにくれるの?」
「うむ。父と母の仏壇にでも供えるがよい」
色とりどりの花の中に、お母さんの好きだった水仙があった。
「……ありがとう、狐さん」
「妙な呼び方はよせ」
「じゃあ、なんて呼べばいい? 神様の使いさん?」
「白狐でよい。さっきもおまえがそう呼んだから、つい姿を見せてしまった」
「白狐……また会える?」
白狐は何も答えないまま空高く舞い上がり、ちらっとぼくを見たあと、塀の向こうに消えていった。
◇
白狐が庭に降り立つと、この家の持ち主である
「おかえり、白狐」
「ただいま」
「花束は喜んでくれた?」
「うん。水仙が特に気に入ったみたい」
「へえ~。いやあ、びっくりしたよ。『なんでもいいから急いで花束を作って』なあんて言うから。いったい誰にあげたのかなあ?」
「みいちゃん、白狐をいじめちゃ駄目だよ」
美月に話しかけたのは、
腰まである長い銀色の髪、真っ白な肌、不思議な緑色の瞳をした美しい人──いや、人ではない。
彼は、この家の屋敷神だ。
「
美月は神様を光と名付けていた。
「みいちゃん。白狐はぼくの眷属だよ? どこにいて何をしてるのか、ぼくにわからないわけないでしょ」
光は長い年月を子供の姿で過ごしてきたせいか、いまだに幼い話し方をする。
「あ、そっか。じゃあ光が教えてよ。白狐は誰に花束をあげたの?」
「みいちゃんが期待してるようなロマンティックなことじゃないよ。相手は小さな男の子だもん」
「ふうん。でも、どうしてその子に?」
「白狐が『我は神の使いだ』って言ったら、その子が『ここが天国につながってるならお父さんとお母さんに会わせて欲しい』って言ったんだ。それは無理だから代わりに花をあげたんだよね? 『父と母の仏壇にでも供えるがよい』って言って」
光が面白がって白狐の真似をする。
「白狐! あなた、子供相手にそんな変な喋り方したの?」
「だって、その方が迫力が出るでしょ? 他の人間と話すの初めてだし、ぼくの話し方、威厳がないって奏多が言うから」
「……旦那さまにはわたしからじっくりと注意しておきます。白狐の話し方は光とそっくりだから、変えない方がいいんじゃない?」
白狐は
「ほんと? 主と似てる?」
「似てる似てる。だから、次にその子に会ったときは普通に話すのよ」
(ただでさえ見た目が怖いんだから)
「うん。そうする!」
その夜、美月は夫の奏多に今日の出来事を話した。もちろん、白狐をからかわないように注意することも忘れない。
「ごめん、ごめん。もう言わないから。でも、その男の子、白狐が見えて話もできるってことは、光のことも見えるのかな?」
「うーん、どうかなあ。白狐の気配を感じたり、体の一部が見えたりする人はたまにいるからね。試しに春になったら庭に招待してみようか?」
「いいんじゃない? 俺も会ってみたい」
「ふふ、楽しみだね」
◇
数か月後、満開の桜の下でティーパーティーが開かれた。
招待客はひとりだけ。
バラのアーチの向こうに足を踏み入れた瞬間、朝陽は「わあっ」と声をあげた。
庭に咲き乱れる花々は想像以上に美しく、鮮やかな色であふれている。
あたり一面に漂う花の香りに気持ちがほぐれて、朝陽はふうっと力を抜き、白狐に言った。
「やっぱりここは天国とつながってたんだね」
白狐は朝陽に体を寄せて、そうかもねと呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます