悪婦の悪戯

 実はクォーツ民意国にいるアルバート教の信者の中には、途轍もなく面倒な立場の人間が複数いた。


(なぜこんな面倒なことに……)


 その筆頭がデイヴィットという名の壮年司祭だ。


 太っているように見えて実はがっしりとした体形の彼だが、ここ最近の心労が原因でやつれており、体重もかなり落ちている。


 そんなデイヴィットは、アルバート教における聖女の末裔、ヴェロニカと共に巡礼のためこの地にやって来たのだが、運命に翻弄されていた。


(背信者共に巻き込まれるとは!)


 その運命にデイヴィットは憤る。


 彼は旧サファイア王国が水攻めで大混乱している最中、ヴェロニカ達と共に民衆の救助に尽力したが、その混乱はアルバート教の総本山に帰還できない程だった。


 そして総本山からの援助がやって来たかと思えば、なんと彼らは勝手に出奔した背信者で、デイヴィット達は気が付けばクォーツ民意国に根を張った背信者達に巻き込まれてしまう。


 ここで問題なのは、デイヴィットを含めた最初に旧サファイア王国で活動していた者達は、総本山の制御を外れた背信者達と己は違う存在だと定義していることだ。


 そのためクォーツ民意国内のアルバート教徒は、一刻も早い総本山への帰還を望んでいる一派と、このまま神の国を作り上げる使命で燃えている背信者の二つのグループが存在していた。


(幸いヴェロニカ殿も帰りたがっているから、説得はする必要がない……)


 背信者への憤りを落ち着かせたデイヴィットは、最大の懸念事項であるヴェロニカの動向は片付いていると考えた。


 聖女の血筋の末裔である彼女は、その信仰心から現地の人間を助けたが、デイヴィット達と同じく総本山を出奔したとは全く考えていない。


 寧ろ背信者達に嫌悪を抱いているのだが、いくら世間知らずでも今の状況でそれを露わにすれば危険だと判断しており、表向きは普段通り表情を取り繕っていた。


(やはり背信者共は危険すぎる。このままではヴェロニカ殿を旗頭にして戦争を仕掛ければ、聖女の血筋は流血の代名詞になってしまう!)


 デイヴィット達が心底恐れているのは、背信者が聖女の血筋を旗頭にして惨劇を生み出し、それが歴史に残ってしまうことだ。


 背信者の理性に全く期待していないデイヴィットは、彼らが他の神を信じる者達を虐殺して、それがあたかもヴェロニカの許しを得たかのように振舞う可能性が高いと思っていた。


(問題は裏の連中だ……)


 興奮したり冷静になったりと忙しいが、精神的に不安定になるほど事態がひっ迫していた。


 壮年で聖女の付き添いを勤められる程度には位が高いデイヴィットは、数人だけアルバート教の暗部に所属する人員を知っている。


 イザベラ、アマラ、ソフィーの予想は正しかった。エレノア教には及ばないが数々の危機に直面したことのあるアルバート教は、表に出せない人員が存在しており、歴史の闇で活躍していたのだ。


 そしてデイヴィットにとって一番の大問題なのだが、その暗部に所属している人員の一人が背信者のリーダーであるデクスターの近くにいたことだ。


 これが背信者を殺す為に近づいたのならまだよかったが、デイヴィットには寧ろ積極的の協力しているように見えた。


 つまり、クォーツ民意国を脱出するならば、何人いるか分からない裏の人員を潜り抜ける必要まで発生していた。


 だが事態は急に動く。


「っ⁉」


「火事だあああああああ!」


「火事だ! 火事だぞおおおおおおおおお!」


 元は王城だった建物のすぐ近くで瞬く間に煙が上がり、本能的に火を恐れる生物の一員である人間は、すぐさま消火するため慌ただしく動き始めた。


 それを認識したデイヴィット。いや、背信者ではない正しきアルバート教の者達の行動も早かった。


「ヴェロニカ殿、ご無事で⁉」


「は、はい!」


 元王城の一角にいるヴェロニカのところに全員が集合すると、彼女の無事を確認して安堵した。


 つまり、一石二鳥と言っていい。


「デイヴィットいるな⁉」


 突然名を呼ばれたデイヴィットは、ぎょっとしてヴェロニカの部屋の入り口に向き直る。


「ユルゲン!」


 だがそこにいた人物の顔を見た途端、デイヴィットは歓喜の声を漏らす。


 壮年で街中にいれば特に目立たない細身の男は、デイヴィットとほぼ同時期に入信した親友、ユルゲンだ。


 そしてこの男、ある時を境に人付き合いが悪くなり、デイヴィットとも交流をほぼ断っていた。


 普通なら訝しむところなのだが、アルバート教に詳しくなるとそれが秘匿された部署に配置された者に特有する行動だと理解できるようになる。


 つまり、態々ユルゲンが他にも数名を率いてここにいる理由は一つだ。


「全員、巡礼に参加してた者達か⁉」


「そうだ!」


「逃げるぞ全員付いてこい! デイヴィット、皆に保証してくれ!」


「私の友人でアルバート教の同胞に間違いない!」


 ヴェロニカがいることを確認したユルゲンは、端的に必要なことだけを口にして行動を開始する。


(かなり焦っている! 総本山の突き上げが酷いのか!)


 この強行突破とも言える救出劇に、デイヴィットは総本山の焦りを感じ取る。


 正しい認識だ。


 どうもクォーツ民意国で、アルバート教が他の宗派を排斥しているらしいという話が各国に伝わり始めている。そんなところへ聖女の血筋に連なるヴェロニカが、背信者の言う通りの声明を出してしまうと、その血筋の名声は地に落ちるだろう。


 更にアルバート教の教皇は背信者のデクスターを可愛がっていたことで求心力を落としているため、別の看板として機能するヴェロニカは絶対にアルバート教の総本山が確保しなければならないのだ。


 そのためなんとか機能を維持している暗部の人員を総動員して、ヴェロニカ救出作戦が慌てて実行されていた。


 幸いだったのは対サンストーン王国のため、背信者に与した裏の人員がこの場に殆どいなかったことだろう。


 ……イザベラはそれを把握する手段を有していた。


 この救出作戦そのものだ。


 そして、デイヴィットやヴェロニカ達はなんとか総本山への帰還を果たしたが、この情報もまた悪婦にとっては大きな情報だった。


 ◆


「聖女が救出されたとか。素晴らしいことですね」


「はい」


 サンストーン王国王城の一室で輝きに満ちたイザベラが微笑むと、側近の女神官が頷いた。


 ヴェロニカが救出されて総本山へ帰還すると、統制が緩んでいるアルバート教から即座に情報が漏れた。


「ですが、それでもギリギリだったと思います」


「ええ。今を逃せば彼女は死ぬしかありません。これ以上遅延していたら、間違いなく担ぎ出されていたでしょう」


 女神官が考えを口にすると、イザベラは大きく頷いた後にお茶を飲んだ。


「それにしても……腰が重いと言うか……」


「ここ二百年程は落ち着いていた弊害でしょうが、まさか針でつつく必要があるとは思いませんでした」


 女神官が言い淀んだ理由を正確に察したイザベラは、苦笑を浮かべて千年近く前を思い出す。


 古代アンバー王国崩壊後に乱立した宗教勢力は常に危機と隣り合わせだったため、生き残っている宗派は指導者達が即断即決で正しい選択をしてきた。


 しかし、長く続いた平穏は怠惰を招き、それはアルバート教にも蔓延していたようだ。


「聖女の安否を気にする者も落ち着くでしょう」


「皆さん、随分と心配していたようですからね。それはもう」


 女神官の言葉に、イザベラは愁いを帯びた表情を作り出す。


 アルバート教が主に活動しているターコイズ王国内では、ヴェロニカを心配する声が大きくなり、それもあって救出作戦が急がれたのだ。


「それにしても、やはり専門家を持っていましたか」


「はい」


 何処かわざとらしかったイザベラの声音が真剣なものに変わる。


 敵地のど真ん中で聖女の救出。更に、そこそこ離れているアルバート教の総本山とクォーツ民意国の位置関係を考えると、どう考えても腕利きのスキル所持者が暗躍して、距離すら短縮したと結論するしかない。


 だがそれならもっと早くヴェロニカを回収できたはずであり、スキルに何らかの制限があることまで予測できる。


 つまりこの件はイザベラにとって得だけを生んでいる。


 妄信者が聖女の名で団結することを防ぎ、アルバート教が秘密の部署を所持していることが確信できた。そして、ヴェロニカが無事に帰れたということはいくつか考えられる。


 暗部の組織が割れずに、背信者に付いた者達が存在しない。もしくは、背信者側が別の件で手が離せない状態だ。


「まあ、こちらも事が起こる前に把握できるか分からなかったおまけでした」


「はい」


 再びイザベラは微笑む。


 イザベラにすれば、ヴェロニカはクォーツ民意国にいない方が望ましかった。


 世間知らずながら死地に駆り立てる特別な象徴と、優秀な参謀の外部装置が組み合わさった場合、大抵は碌でもない事態が引き起こされる。


 だがそれは防がれた。後はアルバート教とヴェロニカが、クォーツ民意国と背信者の非道を訴えれば少々の効果が付属するだろう。


「アルバート教の責任を問う声が定期的に流れれば、余計必死になって聖女を使いクォーツと背信者を非難するでしょう」


「はい」


 その付加価値を発生させるため、イザベラはこれまた少々の悪戯を続ける。


「どうせ来るのは間違いないのですもの。纏まりはない方がいいでしょう」


「はいイザベラ様」


 清廉潔白。最も偉大な輝かしき女教皇。


 そして世論、民意の寄生者であり、場合によっては天敵になり得る怪物だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る