闇の巣穴
現在のサンストーン王国王城は、蜘蛛、蜂、毒蛇、蟷螂、蠍を混合した怪物の巣穴に手を突っ込んだ方がマシの伏魔殿と化している。
その最たる要因は、【傾城】リリーが張り巡らせている警戒網のせいだが……。
「はわー……」
そのリリーはすやすやと眠るクラウスが可愛くて堪らないらしく、緩んだ表情で見つめていた。
「寝顔がジェイクとそっくりだ」
「本当ですねー」
周囲の状況を全く気にすることなく熟睡している姿はジェイクと同じようで、レイラの言葉にリリーは大きく頷いて同意した。
「ははあ。こんな感じで寝てるのか」
クラウスの父であるジェイクは、息子の寝顔を見て自分はこんな風に寝ているのかとある意味感心する。
その寝相は太々しいとも表現できるもので、小声で話している大人達など知ったことではありませんと言わんばかりだ。
「ジェイク様も眠りが深いですから」
「確かに。あんまり夜中に起きた覚えがないなあ」
リリーはジェイクだけに艶めいた笑みを浮かべる。
行軍中ならともかく自室にいるジェイクもまた熟睡するため、横にいる誰かにすれば寝顔を見放題だった。
「頬を摘まんでも起きないと思うときがあるくらいだからな」
「ははは。それは流石に起きるよ」
レイラの言葉に対して朗らかに笑うジェイクだが、リリーは知っている。少なくともジェイクは、唇になにかが接触しても起きないことを。尤も態々言うことではないので、リリーは場の雰囲気に合わせて微笑むだけである。
『早寝早起きは健康の秘訣ですわ……!』
なお普段はジェイクの頭でキンキン煩い【無能】も空気を読んだのか、最近はよく小声でキンキンしていた。
意味があるかは分からない。
◆
それから暫し。
夕日に照らされた王城で影が奔る。闇が蠢く。
窓に。暗がりに。柱の裏に。扉の裏に。
どろりとした暗黒の塊が、後宮の庭園にあるベンチに腰掛けた。
「……」
金の瞳を輝かせるリリーが庭園の影と一体化して、後宮全体に意識を広げる。
細いまま肉食獣より危険な四肢、かつてと違いすらりとした身長。男なら誰もが虜になる起伏を持ちながら、兵器としての完成度を高めたリリーにとって、アルバート教が台頭する兆候は心底鬱陶しかった。
(古い宗派なら表に出せない、秘匿した戦力を持っていない筈がない)
クォーツ民意国そのものは素人の暴走だと見切っていたが、アルバート教の背信者は別だ。かなり古い部類に位置するアルバート教が直面した危機は一度や二度ではなく、それらを切り抜けたことを考えると、何かしらの戦力を保持していると考えるのは当然だ。
(イザベラさんの企みが上手くいけば弱体化する筈だけど、結局はなにかしらの刺客を送り込んでくる)
だが背信者は奇妙な爆弾でお手玉をしており、イザベラが少しだけ。ほんの少しだけ足を引っ張る計画を実行中だった。
尤もその計画が上手くいっても、リリーは自分の出番があると確信していた。そのため彼女の神経が通っているかのような後宮は蜘蛛の巣であり、必殺の致死圏と化している。
今もそろそろ巣に帰る時間帯なのに迷い込んだ蜂が庭園に侵入して……美しい花に擬態していた影が一瞬で飲み込んだ。
もしこれを認識できた裏の者がいれば、顔を真っ青にして即座に退散しただろう。
影が赤や青色の花に擬態して虫を飲み込むなど、どう考えても凶悪なスキルが関わっているのは間違いない。しかも高速で動き回っている蜂を、遠隔操作の影を用い一撃で仕留める腕前なのだから、この周囲一帯が完全な死地だった。
「……」
ジェイクの前では美しく咲き誇るリリーは、その絶技を誰かに誇るでもなく、喜怒哀楽を感じさせない表情で無感動に眺めていた。
虫けらだろうが毒虫は毒虫であり、時として歴史を変えかねない存在だ。ましてや今はクラウスがいるため、尚更排除する必要があった。ただ、レイラが常に近くにいる状況で、クラウスに接近できる毒虫が存在するとは思えないが。
「……」
ベンチから立ち上がっても無言のリリーの頭ではあらゆる想定がされている。
後宮、廊下、庭園、誰かの私室での戦闘。敵の技量、装備。最悪の場合の逃走経路も含めてだ。黒真珠の最高傑作に慢心はない。
「ジェイク様!」
そしてジェイクの私室を訪れたリリーの顔が緩みきる。
殺人兵器としてのリリーと、ジェイクの女であるリリーは同じだ。二つとも彼女の顔であり、演技をしている訳ではない。
「ちょっと素振りしないと。やっぱり適度な運動は必要だね」
「そうですね!」
執務で肩が凝ったのか、腕全体をぐるぐると回すジェイクへ、リリーは甘ったるい声を吹き込む。
ジェイクにとって完全に習慣となっている木剣の素振りはまだ続いており、さっぱり才能がない割にはそこそこ見れるものになっていた。
そしてリリーは、ジェイクが動きを止めたタイミングを見計らって、彼の腕の中に収まるように抱き着いた。
「ジェイク様」
「どうしたの?」
「うふ。こうしたかったです」
「そっか」
「はい」
他愛もない会話をしながら、リリーはジェイクへ匂いをこすり付けるように動く。
この世のどんな凶器よりも恐ろしい存在は、今日もまた王の隣で華やかな香りをまき散らすのであった。
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