馬鹿とアホの戦い

 戦争の定石と言うべきか、遠距離から攻撃できる弓は大抵の場合で最初の一撃となる。


 だがもっと古い定石を持ち出した者がいた。


「我こそはモルガナイト王国のマクシム国王陛下に仕えし騎士、アロイスなり! 愚かな反徒共よ、大人しく首を差し出せ!」


「は?」


 複数の従者を引き連れて突出したアロイスという名の騎士の攻撃ならぬ口撃だが、これにはクォーツ民意国だけではなくアメジスト王国のハーヴィーもぽかんとした。


 何度も述べたことだが、旧エメラルド王国が奇襲攻撃で混沌の時代を引き起こすまで、大規模な戦乱は古代アンバー王国崩壊直後だけだ。もし戦争が起こったとしても短期間で終結したり、一方的な併合があっただけで、複数の国を巻き込んだ戦争など、アマラ、ソフィー、イザベラなど限られた存在の記憶にあるのみである。


 そのため長い平穏は一部の国において奇妙な文化、つまり戦争や戦いにおける儀式、もっと酷い言い方をすれば演劇のような手順を作り出した。


「なにをしているのだ! 早く連れ戻せ!」


 ただ問題なのはこの儀式的行事を一応王政同盟の盟主であるハーヴィーが知らなかったことと、クォーツ民意国が貴族的美意識と無縁だったことだろう。


「矢を放て!」


 堂々たるアロイスの言葉は、クォーツ民意国になんの感銘も齎さず、代わりに弓矢での攻撃という形で返ってきた。


「お、おのれ卑怯者共め! ぎゃっ!?」


 アロイスは自分で貴族世界に喧嘩を売った反徒という名称をクォーツ民意国に対して使ったのに、彼らが自分達のルールを守ってくれるというおめでたい思考のまま、夥しい矢が鎧の隙間に潜り込んでしまい討たれた。


「見たか! 我々は必ず勝てる!」


「おおおおおおお!」


 だが愚かさと間抜けさの結果だろうが、騎士を一方的に殺したことでクォーツ民意国の士気は上がった。


「卑怯者め!」


「よくもやったな!」


 一方、頭の中が古き良き時代の王政同盟の一部は怒り、これまた戦意が猛り狂う。


 ここから恐ろしい激突が始まる。


 と言っていいものか……。


「弓隊、撃て!」


「反撃だ!」


 両軍で飛び交う弓矢の嵐。なのだが、その半分ほどは敵陣に届かず中間点に落下し、第三者が見れば空を弓矢が埋め尽くす恐ろしい光景でも、地面を見ると途端にどうなってるのだと首を傾げるだろう。


 弓というものは一日二日で習熟できるものではなく、きちんとした技量が必要なものだ。


 それを念頭見れば、まずクォーツ民意国の兵は全く戦地へ立ったことのない者達が多い。しかも、まだサファイア王国だった頃にサンストーン王国へ攻め込んだ際、王族が引き連れた精鋭の軍が散々打ち破られたため、きちんと訓練を受けた兵というものが消失している。


 それは王政同盟も似たようなもので、本来は中核を担わなければならないアメジスト王国の主力は既に川で沈み、この地に派遣された軍は二線級の貴族と兵達ときたものだ。


 結果的に巻き起こったのは、一応弓矢は使えます。といった程度の者達による弓合戦で、もしレオがこの場にいれば泡を吹いて失神してしまいかねない程のお遊びが起こった。


 なにせレオが作り出したサンストーン王国の長弓部隊は間違いなく世界最精鋭の集団であり、比べるのも失礼なほどの差がそこにあった。


 もう一点、この両者には共通点がある。


 兵の数は多いくせに揮系統があやふやなせいで、複雑な作戦行動が全く行えないのだ。


 王政同盟は盟主であるハーヴィーの権威が低く、しかも他国の寄せ集めで意思疎通に難がありすぎ、一方のクォーツ民意国はあまりにも単純な話で、管理できない大兵力が集まっているだけの素人集団である。


 このあまりにも酷い水準でバランスが取れている両軍だが、違うところも少しはある。


「風の刃よ!」


「炎よ!」


 スキルによる攻撃では圧倒的に王政同盟が優位な点だ。


 意図的に掛け合わされたリリーや、エヴリンなどの突然変異的な人間を除いて、大抵は貴族に連なる者達に発現するのがスキルなのだから、当然王政同盟の方にスキル所持者が多い。


「ぎゃあああ!?」


「足が!? 足がああああ!?」


 そのスキル所持者から迸る様々なエネルギーは、クォーツ民意国の軍勢に着弾して少なくない被害を生み出す。


 なにせクォーツ民意国軍は十数万にも及ぶ大軍で、しかも密集しなければ戦場の恐怖に耐えられないのだから、爆発など被害範囲が広い攻撃は効果的だった。


 そして退いた場合は食糧不足での瓦解が目に見え、さりとて足を止めていてはスキル攻撃の的になる。


 だからこそクォーツ民意国軍の選択肢は、サンストーン王国へ攻め入って全滅した友軍と同じだ。


「全軍突撃!」


 全軍での総攻撃だ。


 しかもサンストーン王国へ攻め入った軍と違って、十数万が一斉に突撃すれば簡単に止められるものではない。


 そう考えない者もいるようだが。


「行くぞ!」


「突撃だ!」


 王政同盟の騎馬隊が両翼からクォーツ民意国軍を包み込むように突撃を開始した。


 流石に彼らも真っ正面から十万以上の軍に突撃すれば絡み取られることが分かっているため、端の密度が薄い箇所か、もしくは後方を狙うようだ。


 現状、大軍に正面から突撃して敵を粉砕できる練度を持つ重装騎兵を所持しているのは、紛れもない軍事大国サンストーン王国を含めた数国のみである。


 ただこの突撃、少々の問題を孕んでいた。


「ちょっと待て……騎馬隊の後ろにいる歩兵はなんだ? まさか……!」


 王政同盟の誰かが予定外の事態をすぐに察する。


 騎馬隊がこじ開けた傷を広げるため、後から歩兵が突っ込むことは確かにあるが、この戦いにおいては予定になかったことである。


 つまり。


「手柄を立てるのだ!」


「突っ込めー!」


 武功を求めた一部の独断専行である。


 王政同盟に参加している軍の本国、そして責任者はできるだけ自国の被害を押さえながら、クォーツ民意国に打撃を与えようと考えていた。


 しかし、現場に疎く武功は欲しいという者達にとって、それらはあまりにも消極的な策であった。


 尤も独断専行は独断専行であり、命令に従わず行動したという悪評に繋がるが、こういった場合に使える魔法の言葉が存在する。


「武功があればいい!」


 不思議なことだが古今東西に共通して、命令無視や独断専行は戦果と結果を出せば帳消しになるどころか、プラスに働くという思考を持つ者が一定数いる。


 そういった者達が騎馬隊の後ろからくっ付いていたのだが……。


 上手く機能した。


「ぎゃああああ!?」


 上手くいった最大の要因は、クォーツ民意国軍の槍が安価で製造しやすい短槍ばかりだったことだろう。


 そのせいでクォーツ民意国軍は十分な備えを行えず、端を通り抜けるように突撃した騎馬突撃をもろに食らい、その後に遅れて到着した歩兵達に傷を広げられてしまった。


 だがそれでも。それでも大軍は利点なのだ。


「行けええええええええええええええええええ!」


 矢とスキルを受けながらも、クォーツ民意国軍の中央が王政同盟に食らいついた。


 後世において口の悪い者達から馬鹿とアホの殴り合いと評される戦いは、言葉通りの殴り合いにもつれ込む。


 そのため説明も殆ど必要ないだろう。


 剣が、斧が、槍が入り混じり、ただただ血と死が生み出され、場所によっては武器が壊れたせいで本当に殴り合いが発生する混沌が続くだけの話。


「目が!? 目がああああ!?」


「ひいいいいいいいいいいい!?」


「ぎゃっ!?」


 そこに目新しい戦術もなく、輝かしい伝説も誕生せず、あるのは悲鳴と怒号、断末魔のみ。


 だがそれは中央部の話だ。


「後ろを薙いで行くぞ!」


「おお!」


 クォーツ民意国軍は王政同盟の組織的な騎馬隊と独断専行し続けている歩兵隊に対して後手後手であり、今も後方を脅かされている。


「後ろに回り込まれてるぞ!!」


 そして、補給というものがないクォーツ民意国軍は後方を遮断されることに対し敏感になっている。


 更に加えるとクォーツ民意国軍は完全に兵站切れを起こしており、一日、もしくは二日ほど何も食べていない者が多かった。この敏感さから生み出される恐怖は軍を慄かせ、行動を鈍らせてしまう。


「これヤバいんじゃないか!?」


 弱兵は勝利を確信できなければ脆い。そして指揮官は少なくとも勝利できると錯覚させなければならないが、全体が多すぎて統制が困難な以上、恐怖は滲むように広がっていく。


「押せえええええ!」


「おおおおおおおお!」


「やっぱりヤバいって!」


 しかもその恐怖のせいでクォーツ民意国軍は押され始め、新たに負けるという恐怖が発生する悪循環だ。


 だが前線にいる兵が後ろをかき分けて逃げられる筈がなく、戦い自体は続いている。


 逆を言えば最後方にいる者達には退路があった。


「こ、これだけ味方がいるんだから、俺がいなくてもなんとかなるよな」


 クォーツ民意国軍の後方にいたある若者の呟きだが少々の矛盾がある。


 なんとかなるなら、そもそも逃げなくてもいいではないか。


「民意はまた別のチャンスで広げたらいい」


 そして青年にとっては、退路のない自分の生まれ育った村を守る戦いとかならともかく、民意を広げるという建前には別の機会がある。


 その時にまた頑張ればいいじゃないかと思った彼は、敵の騎馬隊が通り過ぎたのを確認して……逃げた。


 やはりこの辺りがクォーツ民意国軍の明確な弱点だろう。


 勢いに乗っている間は必要以上に進むくせに、僅かな恐怖があれば途端に理性を失う素人集団で、しかも数だけはいるから自分がサボっても大丈夫と思い込む無責任が蔓延しやすいのだ。


 ついでに言うと、誰かが逃げたなら自分も逃げていいだろうと思い込むのは人としての性か。


 一人、二人、次第に十人、十数人と纏まった数が後方から離脱し始める。


「逃亡者だと!?」


 それにクォーツ民意国軍の中央にいた指揮官達が気が付いた時には、かなりの数が逃げていたが、彼らは解決策を持っていた。


「残っている弓矢を逃げている者達に使え!」


 恐怖だ。


 逃げたら殺すぞと脅すのは軍において基本的なものだが、それをするなら初めから予定しておくべきだった。


「裏切りだ! 裏切りだああああ!」


「アメジスト王国の街で加わった連中が裏切ったぞ!」


 乱戦中にいきなり自軍の後方に向かって弓矢が放たれ始めたら、一部の素人が裏切りと誤認するのは当たり前の話だ。


 しかも悪いことに、クォーツ民意国軍にはアメジスト王国へ攻め入った後に加わった、アメジスト王国の民も混ざっている寄せ集めなのだ。そのため自軍が劣勢になると、後から加わった者達が裏切ったという叫びに説得力が生まれ、酷い時は付近にいた元アメジスト王国の人間を殺してしまう事態が発生した。


 この急場を凌ごうと思い至った脅しは余計に混乱を招き、全軍崩壊のきっかけを生み出してしまったのだ。


 もうこうなるとどうしようもない。


「落ち着けー! 落ち着けえええええええ!」


 指揮官達がどれだけ叫んだとしても、腰が引けた上に疑心暗鬼に陥った軍など最早軍とは呼べない存在である。


 腰が、足が、体がどんどんと後ずさり、逆に王政同盟は前へ、前へと進んでいく。


 そして分水嶺を超える。


「逃げろおおおおおお!」


 クォーツ民意国軍、全面壊走。


 士気が崩壊した蝗達は、今死ぬよりも逃げることを選択したのだ。


 傷だらけだろうがまだ七万人は十分に動ける大軍がである。


 だが図らずともこのいきなりの全面壊走は、アメジスト王国のハーヴィーが最もしてほしくないことの一つだ。


「追えーーーーー!」


 絶叫を上げるハーヴィーにとっては、自国内に夥しい野盗が発生するのと同じであり、同じ懸念を持っていたからこそジェイクは自国に攻め入ってきたクォーツ民意国軍を誰も許さず皆殺しにしたほどだ。


「追うのだーーー!」


 しかし幾らハーヴィーが絶叫を上げても、王政同盟も無傷とは程遠い有様だ。


 十万の軍勢と殴り合った王政同盟の中央は疲労困憊であり、死者だって数多く発生している。すぐ行動できたのは、高揚している騎馬隊と独断専行を行った部隊だけであり、追撃は完全なものとは言えなかった。


 ただこの逃げまどった者達が全員野盗化した訳ではなく、多くの者はクォーツ民意国に逃げ帰ろうとして……。


 その道中にある、民意を広げたはずの街の人間によって殺されるか、受け入れを拒否された。


 クォーツ民意国を受け入れたアメジスト王国の街にしてみれば、そのクォーツ民意国が敗北したなら自分達は単なる裏切り者として処分される。


 それなら残された手段は泥船にいるのではなく、クォーツ民意国に降伏したのではなく騙していたのです。ほら、クォーツ民意国の兵の首だってあります。という言い訳を用意することだ。


 ただ流石に一塊になっている集団には対抗できないため門を閉じるに留まっていたが、補給の当てがないクォーツ民意国軍にとってはそれだけでも致命傷に近い。


 手薄な集落から奪うと言っても限度があり、多くのクォーツ民意国兵が野垂れ死んでしまう。


 その結果、七万の兵がそのまま全部野盗になる最悪の結果こそ免れたが、それでも生き延びた者はいるし、なにより王政同盟は費用を回収できる見込みがない。


 馬鹿とアホの殴り合いと称される戦いは、一応の勝者のような存在を生み出すに留まっただけだった。

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