港の決着

 クォーツ民意国の軍港だが、既に複数の戦闘を行っているアメジスト王国側には意識を向けていた。


 ただアメジスト王国の有力な軍港を制圧して、海路で物資を前線に運搬する段階だ。そのため制圧した軍港を奪い返されたり、輸送船団が途中で襲われることは想定していても、いきなりクォーツ民意国内の軍港が攻撃されることはないだろうと判断されていた。


 つまり単純に表現すれば、ありったけの物資が集まっているクォーツ民意国の軍港は油断していた。


 更に軍港の上層部にとっても自軍はそろそろサンストーン王国に攻め入ったか? それともまだ国内を移動しているのか? という認識なのだから、そのサンストーン王国に攻められるという発想は全くないと断言していい。


 尤もその自軍とやらは既に壊滅しており、僅かな生き残りは食べるものも乏しく半死半生で道を彷徨っている有様であったが……。


 ともかく、そんなことを知る由もない軍港に襲い掛かったのが、ジェイク率いるサンストーン王国軍なのだ。


 勿論突然の敵軍が現れても、クォーツ民意国の軍港は組織的な抵抗を……。


「うん? あの旗って……」


「は? サンストーン王国?」


 できなかった。


 重ねて述べるが、軍港の上層部ですら対サンストーン戦線がどうなっているかいまいち把握できていない状態であり、軍港の下っ端に至ってはそもそもサンストーン王国と戦争している自覚がない者までいる始末なのだから、即座に反応できなかった。


 極めつけは軍港の責任者の素質だ。


「なに!? サンストーン王国の船団だと!?」


 腹がでっぷりと突き出た肥満体の中年男性、ウィーバーはサンストーン王国の船団が襲来した報告を受けると、脂ぎった顔に冷や汗を流して素っ頓狂な声を上げる。


「交渉の使者を乗せた船団ではないのか!?」


「いえ! それにしては船の数が多すぎます!」


 絶対にないとは言い切れない可能性を思いついたウィーバーだが、それなら大船団で来る必要はない。


(なんでこんなことに!)


 何かしらの志がある訳でもなく、後方の安全なところでふんぞり返っていたウィーバーは、自分が戦いに巻き込まれるなどとは夢にも思っていなかった。


 サファイア王国の体制が解体された余波で、元々軍港を管理していた貴族の紐付きだった者達は全て排除された。


 その後釜に座ったのが元は商人だったウィーバーで、物資の管理や輸送という点では優れており問題なかった。


 問題だったのは彼はあくまで商人であり、命を捨ててまで国家の利益を守る気が全くなかったことと、船長は沈没する船から最後に脱出するものだと考える者達と対極にいたことだ。


 つまりである。


「逃げるぞ!」


 危ないことは下っ端か切り捨てていい存在に押し付ける、成功した商人の習性も合わさりウィーバーは、側近達と共に逃げることにした。


 クォーツ民意国が、貴族階級とそれに連なる者達を皆殺しにした弊害がもろに出たといっていいだろう。


 千年に渡り受け継がれてきた領地、貴族という責任が己の全てと言っていい者達なら、少なくともいきなり逃げるといったことはそうそう起こさない。だが彼らを削りすぎたせいで、国家への責任や責務、国防など考えたこともない層を頼らなければならないのが、クォーツ民意国の現状だ。


 しかしながら、白昼に堂々と責任者、大将が現場に気付かれず逃げることは中々に難しい。ましてや普段は表に出ず、肥満体で動きが鈍いなら猶更だ。


「ウィーバー様!?」


「どこへ!?」


「逃げるのですか!?」


 ウィーバーが転がるように馬車へ乗り込み、どこかへ走り去った光景は多くの兵が目撃してしまった。


 当然ながら不利な状況での敵前逃亡が一旦引き起れば、連鎖反応してしまうものである。ましてや責任者が真っ先に逃げたとなれば、引き起こされるのは一つしかありえない。


「ウィーバーが逃げたぞ!」


「あのデブ野郎!」


「どうすんだ!?」


「どうするもこうするも戦えねえだろ!」


 我が物顔で軍港を支配していたウィーバーとその取り巻きは、そのまま指揮系統の頂点だったのにそれがごっそりいなくては戦えない。それに一番偉い人物が逃げたとなれば、残された者達の心理的な壁を途轍もなく低くした。


 逃げてはならないという心理的な壁を。


「逃げろ!」


 大軍との戦いなど全く想定していない軍港の兵は、迫る船団と逃げ出した責任者という二つの後押しを受けて逃亡する道を選んだ。


「陛下……その、どうも敵全体が逃げているのではないかと……」


「ええ……」


 スキルによって視力を強化しているリリーが心底困惑したようにジェイクへ報告したが、返答も当然ながら困惑したものになる。


(エヴリンはかなり楽かもって言ってたけど……)


 なおジェイクの脳裏に浮かぶエヴリンは、流石にこの事態は想定していなかったが、仕事自体はかなり楽に終わると予見していた。


「……一応罠を警戒しながら行動する」


「はっ」


 結局ジェイクの目の前にあるのは、管理人が逃亡して船や港に集められたままとなっている、大量の金と物資の山である。


 それはこれから決戦をしなければならないクォーツ民意国軍の生命線。どころではない。クォーツ民意国の心臓そのものだった。


 キンッ。と、最も熟成した匂いを嗅ぎつけた女が、再び遠く離れたサンストーン王国の王宮で金貨を弾いた音が響いた。

























『おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!』


 やはりこの存在がどこまで介入していたか、誰も知る術がない。少しだったのか。それなりだったのか……あるいは……。


 だがいずれにせよ……人が人である限り、全てを砂上の楼閣に変えるこの存在に対抗できないのかもしれない。


『おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ! おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!』


 最早正体を知る人間が誰もいないナニカはゲラゲラと笑い続ける。

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