曇天の戦い
天を矢の雨が覆う。
【戦神】レオが軍の実権を握ってからは特に力を入れていた、通常の人間の背丈ほどもある長弓を扱う部隊がある。
飛び道具による距離の暴虐はますます加速すると睨んでいた生前のレオは、素質に左右されるスキルによる遠距離攻撃ではなく、鍛錬と技術である程度の成果が見込める精鋭の長弓部隊を求めた。
その結果、武門の名家であるヘイグ公爵を筆頭とした幾つかの貴族が長弓の扱いに特化した人材を育成し、左右の腕や胸の大きさが違う精鋭達が誕生した。
(こいつらヤバいな。スキルなしでこの練度か)
かつて旧エメラルド王国に属してジュリアスが敗走しかけたきっかけを作り、ジェイクが大公時代のアゲートに転がり込み、サファイア王国のライアン王子を殺害することに成功した弓の達人アーノルドもこの戦いに参加していた。
そんな彼でも驚愕する部隊は、ぎりぎりと弦を引き絞って機械のように矢を放ち続ける。
だがアーノルドに対して長弓部隊も似た気持ちだ。
(俺らが三人がかりでようやく張れるってどんな弓使ってんだよ……やっぱスキルってヤバいわ)
何気なく弓を扱っているアーノルドだが、行軍の際に明らかに特注である彼の弓に興味を持った長弓部隊の者が関心を示し、試しに使わせてもらったことがある。
だがなんとアーノルドの弓は、左右で腕の太さに違いが出るほど長弓を扱い続けた者達ですら三人がかりで挑まなければならず、はっきり言って人間が扱えるようなものではなかった。
アーノルドはスキル【強弓】のお陰でこの弓が扱えるが、【風読み】で風の流れを認識したことによる精度の良さも考えると、世界屈指の弓の達人に挙げられるだろう。
なお一番であると断言できないのは弓を含めた殺しの技術に特化し過ぎているリリーと、そもそもそういった比べ合いで例えにしてはいけないレイラがいるからだ。
話を戦場に戻そう。
統一された意思の下で放たれた矢に比べ、クォーツ民意国は話にならない対応だ。
「敵だああああ!」
「前進だ! 前進しろ!」
「囲まれるぞ! 横に部隊を動かせ!」
「弓で反撃だ!」
「待て! 突出するな! まだ持ち場を離れるな!」
「退路を確保しろ!」
この叫び、現場の独断ではない。
複数いる中枢の指揮官が一斉に叫び始め、指揮系統が確立されていない愚かさのツケを今更支払う羽目になった。
勿論数で勝っているんだから突き進めと言うだけの単純さならなんとかクォーツ民意国軍も機能するが、戦場の混乱で多数決をしている余裕などある筈もない。
出会い頭で顔を思いっきりぶん殴られたら、手足が勝手に動くどころか頭の意思も統一できないなど、愚かを通り越して救いようがないだろう。
結果的に起こったのは一部だけ突出した部隊、包囲に怯えて持ち場がぐちゃぐちゃになろうが動いた横の部隊、まばらな弓による反撃を行う部隊、周りが移動しようがその場に固執して邪魔をする部隊、逃げ道を探す部隊という混沌だ。
それに場所もよくなかった。
「このまま水攻めするに違いない!」
「いやだああ!」
被害を直接受けた当事者こそ少なかったが、国内で起こった川の氾濫による惨事は全員の記憶に新しく、川を背にしていることは彼らクォーツ民意国に強いストレスを与えてパニックを誘発したのだ。
「我々にはアルバート神のご加護がある! 突撃すれば忽ち異教徒共を殺せるでしょう! さあアルバート神様を信仰するのです!」
この混乱という火に油を注いだのがアルバート教の狂信者だ。
本気で彼らは神への信仰心さえあればこの危機を打ち破れると、
だが信仰心による精神性と根性で補給が満たされ、物資を気にすることなく勝てるなら、世界はもっと単純だっただろう。
国家と戦争に必要なのは、曖昧な目的意識と妄信による精神論ではない。
確固たる指揮系統による目標と現実なのだ
そして矢は信仰心に関わりなく、全てに等しく降り注いだ。
「ぎゃあああ!?」
「げぎゃっ!?」
「ああああああああああああああああ!?」
しなり、風を切り裂き、そして落下した強靭なる弓矢は肉体どころか、粗雑な鎧をも貫通して大地に血の雨を降らして地獄を生み出した。
そこにいたのはサンストーン王国を貪る意思を宿した蝗ではない。栄達と高貴なる身分を夢見た希望はない。信仰心による輝きを目指した志はない。
どこまでもどこまでも愚かな人間という肉の名残でしかなかった。
そして如何に人死にが多かろうが、極論すれば押し入り強盗と強姦を繰り広げようとした愚か者達が、サンストーン王国という家に押し入ったはいいものの、家主に反撃されて死んでいるに過ぎず、無慈悲に淡々と弓の雨は続いていく。
一方、クォーツ民意国から放たれた反撃の矢は、そもそもサンストーン王国の前衛にすら届いていなかった。軍にいて一応弓の訓練も経験している者達が放った矢であったものの、完全な専門職が扱う長弓とは射程において差があり、高所という訳でもないので当然の話だ。
結局クォーツ民意国は、手が届かない場所から一方的に殺され続けてしまう。
「突撃! 全軍突撃!」
だが流石にこのままここにいれば死ぬことは誰もが理解したので、既に死傷者だらけのクォーツ民意国軍は全軍で突撃することにした。
徒歩で。
当たり前の話だがただでさえ高価な軍馬を維持することは、中央から遠い者達ではほぼ不可能だ。そのため中央政府の意向が強いアメジスト王国へ侵攻したクォーツ民意国軍にはそこそこの軍馬がいたが、この場にいるのは元々荷馬車で使っていたような馬でしかない。
その陳腐な表現をすると素人な馬は戦場でパニックを起こして逃げてしまい、クォーツ民意国軍には機動力というものがない。
つまり弓に対して騎馬で距離を詰めて対処することができないのだ。
更に近づいたことで通常の弓による射程範囲にも入ってしまい、矢の雨の密度が更に濃くなってしまう。
既に……いや、始める前から勝敗は決していると言ってよかった。
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