愚かな行軍
サンストーン王国に飛翔しようとしたクォーツ民意軍だが早速蹴躓いた。
「青空の市民会の方が遅れていますが、先ほど早馬の使者が到着しました。その使者によると待つようにとのことです」
サンストーン王国へ攻め入る軍を激励すれば士気が上がるだろうと、クォーツ民意国の中枢である青空の市民会の一員が来る予定だったのだが、その到着が遅れていたのだ。
(馬鹿な! もう軍は集結しているんだぞ!?)
(何を考えているんだ!?)
この素晴らしい激励を待つ側の指揮官達は内心でこれでもかと罵っていた。
四万人以上の軍勢は現地にかなりの負担を強いており、いればいるほど兵糧が減っていく有様だ。そのため一刻も早く出陣しなければならず重要人物の来訪など待てなかった。
だが軍事的視点の正解と政治的視点の正解は必ずしも合致しない。
青空の市民会はクォーツ民意国の頂点であり、その一員を放っておいて出陣すれば恥をかかせて睨まれるだろう。
それでは戦後の出世に影響が出るのは明らかであり、軍が集結している街を治めている者達にとっても軍がこれ以上いては困るが、かといって青空の市民会の一員に睨まれても困るため軍を追い出せなかった。
ではその青空の市民会の一員は何を考えていたのだろうか。
(支持層を増やさないとな)
医師をしていた四十代の男、エモリーは青空の市民会の一員であるが強固な基盤を持たない浮いた存在だ。
そのため自分をアピールするために、集結する軍に激励を送り知名度を高めることを思いついた。
だが性格や習慣がもろに出てしまった。
高度な医学を身に着けているエモリーにとって、金も学もない平民の患者はどれだけ待たせてもいい存在なのだ。そして医者の数が少ないため、気に入らないなら来るなと言える圧倒的な立場であり、平民相手なら少々時間にルーズだった。
更には青空の市民会という特権階級に参加したことでその特徴は増大し、雨の日の移動を避けたせいで到着が予定より遅れてしまった。
つまりクォーツ民意国軍は政治家のパフォーマンスと、門外漢が到着は数日程度遅れても問題ないと判断した結果に振り回されたのだ。
それでなにを得られたのか。
「我ら青空の市民会は、勇敢なるクォーツ民意国軍の奮闘に期待する!」
「おおおおおおおおおお!」
三日遅れて到着したエモリーの演説によって、政府が自分達に期待してくれているのだと軍の士気が向上したこと。
(これで多少のアピールにはなったな。後は勝つだけだ)
この地を思ってのことではなく青空の市民会と首都で、前線を視察したとアピールできると考えたエモリーの自己満足。
「出陣!」
もう兵糧がギリギリで焦る軍の首脳部。
「早く! 早く行くのだ!」
青空の市民会など無視して出陣し、一刻も早くエレノア教の大神殿を破壊せよと主張したのに無視されて苛立っているアルバート教の狂信者達。
この四つがエモリーの成果だ。
そして成果と勝利を欲する青空の市民会、市民、軍、アルバート教にとって兵糧がギリギリな程度で、軍の出陣を取りやめる発想はない。
結局、四万を超えて五万には届かない程度の軍勢は、慌ただしく出陣してサンストーン王国へ羽ばたいた。
そしてまた蹴躓いた。
勝つと思い込んで行軍しているのだからそこに悲壮感はなく、寧ろ意気揚々と思い込んでいた兵の一部が悲劇に見舞われた。
「げっ!?」
荷馬車の馬を操って楽をしていた青年は、バキリという音と共に発生した衝撃に悲鳴を上げる。
「ヒヒーーン!」
「落ち着け! 落ち着けって!」
そのアクシデントで馬も驚いて興奮したため、青年は慌てて宥めながら自分の荷馬車がどうなっているのか不安に思った。
「あっちゃあ。車軸が折れてるな」
「作りはそんなに古くないぞ」
馬が落ち着いた後、馬車の周りにいた者達が様子を確認すると車軸が折れていた。これでは進むことは出来ないが、不思議なことに荷馬車に使われている木材は経年劣化をしておらず、つい最近作られたことが分かる。
「素人が作ったんじゃねえのか?」
「あり得るな。なんか聞いた話だが、荷馬車を作ってた組合が解散したから、新しく参入した奴が増えてるとか。それがこの道の悪さで一気に駄目になったんだ」
馬車を観察していた者達は正解を導き出す。
青空の市民会は荷馬車を作っていた組合も解散させたため、新規参入という名目で多くの素人が携わるようになった。
その素人達はただでさえ技術で劣っていた上に、同じ新規参入者達より一歩先んじるために値段を下げ、工期も短縮して売り込んでいた。
そして通常の荷馬車の多くは先にアメジスト王国との戦いで使用されたので、クォーツ民意国には荷馬車が不足していた。
ここでできるだけ安く数を揃えたいクォーツ民意国と、安く短時間で仕上げられると売り込みをかけた営業の思惑が一致してしまう。
新規参入者達は市場競争という名の下に荷馬車を作り続け、その多くが今回の戦いに持ち込まれた。
尤も通常の運用なら問題ない最低限の品質はあったのだが、他国へ繋がる道は侵攻を恐れて整備されていない。そのため悪路へ足を踏み入れた途端、荷馬車は強い振動に耐えかねて破損が……。
相次いだ。
「こっちも壊れたぞ!」
「どうなってんだ!」
安く作るために削るならまずは材料費だ。今回の場合は腐りやすく脆い木、つまりなにかを作るのに向いていないから価値が低いのに、安いからという理由でその木材を使用したために、車軸や車輪が駄目になる事態が頻発した。
だが予備の車輪や車軸はあるため、それで応急処置は出来るはずだった。
「車軸と車輪の軸穴の大きさが違うじゃねえか!」
「軸穴が大きすぎるぞ!」
「こっちは車輪の大きさが違う!」
馬鹿げた話だが、彼らは応急処置をしようとした段階でようやく車軸と車輪の規格がそれぞれの商会で違うことに気が付いた。
組合が健在だったころなら規格は最低限度でも揃っていたが、新規参入者達には横の連帯がなく、各々が好き勝手作った弊害が起こった。
いや、酷いところだと同じところで製造された荷馬車なのに、車輪と車軸の規格がバラバラなことすらあった。
「そこそこの数の荷馬車が応急処置すらできんとは……!」
「仕方あるまい。状態がいい馬車に詰め込め」
この事態に軍の指揮官達は頭を抱え、仕方なく組合が解散する前に作られて状態がいい荷馬車に荷物を詰め込み再び出発した。
だが通常より荷物を詰め込めばそれだけ負担がかかるのだ。
「こいつも壊れちまった!」
無事だった荷馬車も経年劣化と過剰な負荷で壊れ始め、その負担がまた別の荷馬車に降りかかって、更なる負荷で次の馬車が壊れるという最悪のスパイラルが発生してしまう。
ここで行軍を止め引き返していればというのは無理な話だ。
それをすれば軍を率いている者達の威信は底辺を下回り、なんの成果も得られなかった無能と評されるだろう。
だから彼らは単純な解決策を実行した。
「物資を持って歩いていくしかない」
荷馬車が運べなくなった分の物資を、兵に持たせて進軍を続けたのだ。
素晴らしい解決策だろう。ただでさえ兵糧がギリギリなのに、重い荷物を人間が運んで行軍速度が遅れることを無視すれば。
「サンストーン王国に攻め入れば金も美女も好き放題で手に入れられるぞ!」
兵達は重い荷物に苦労しながら、指揮官達の激励を信じて行軍し続ける。
以前のサンストーン王国との戦争で、従軍している男が多く死んで女が若干余っている地域もあったが、彼らが欲しているのは美女であり、金を手に入れて栄達して見せるという野望もあった。
だが体は正直だ。
兵糧は減っているが武器や野営に必要な道具は重いくせに消費されるものではなく、慣れない道を進んでいく者達の体力を確実に蝕んでいった。
「ね……熱が出た時の薬があったよな?」
だから体調を崩した者が薬を飲んだ。ただそれだけの話の筈だった。
「ごぼっ!?」
その薬を飲んだ男は血を吐いて死んだ。
軍に薬を納品した薬師の中に、薬師とは言えないような素人が混ざっていたのだ。
そして素人が薬を作れば大抵はよくないことが……稀に毒が作られる。
「薬に毒を混ぜた奴がいるのか!?」
「素人が作ったのが混じってたんじゃないか!?」
「飲み薬は駄目だ!」
この話は瞬く間に軍全体に伝播してしまい、混乱と共に薬が飲めなくなる疑心暗鬼が広がった。
結果的に軍では体調を崩そうと薬が飲めず、無理をして行軍する者が続出することになる。
更にこのタイミングでいよいよ兵糧の残りが僅かとなり、重労働の割には全く足りない食事のせいで士気が下がり続けた。
それでも彼らが行軍を止めないのは、豊かな地を目指すという蝗の本能なのだろう。
「後はここを渡ればサンストーン王国だ!」
それでもついにサンストーン王国の目と鼻の先まで到着したが場所が問題だった。
クォーツ民意国でトラウマを持っている者が多い川を渡らなければならないのだ。
大した幅がある訳ではないが流れが急で、殆どの兵が泳いだ経験がないため落ちれば溺死してしまうだろう。
しかもかつてサンストーン王国に攻め入ったサファイア王国軍は、敗れて撤退している最中に追撃を恐れて橋の一部を破壊していた。
そのため石橋の途中が途絶えており修復が必要だったが、しっかりと修復する余裕も技量もないため、木を伐採して束ね、それを途絶えている個所に設置して臨時の橋とした。
「水攻めの心配はないようだな」
ここでクォーツ民意国軍が恐れたのはやはり水攻めだ。
一応この川の権利は旧サファイア王国が握っていたため、周辺にサンストーン王国の村は存在しなかった。そのため氾濫させても被害を受けるのはクォーツ民意国側だけなのだ。
だが上流を探索してもそれらしい痕跡は見当たらず、彼らは恐る恐る橋を渡り切った。
「よし! あとは近くの街に攻め入るだけだ!」
敵地に足を踏み入れただけで満身創痍な間抜けの指揮官達はそう叫んだ。
彼らはサンストーン王国の戦略目標を見誤った。いや、想像すらしていなかった。
サンストーン王国が欲しているのは単なる勝利ではない。
「やるぞ!」
「炎よ!」
川を見下ろせる小高い丘で陽炎と声が揺らめいた。
自分で考えていながら、防衛戦でかつタネが割れれば索敵を念入りにするだけで対策される、一回だけしか使えない手品とこき下ろした戦争の天才の単なる思い付き。
十万の軍勢に転移魔法を用いて敵本陣を奇襲するなどというものでも、突然軍を召喚するといったものでもない。
ただ少しだけ、魔法や映像、光に関わるスキル所持者が頑張っただけだ。
アゲートの地で揺らめいていた蜃気楼や陽炎と同じものの内から、火や破壊に特化したスキルが放たれた。
「なんだ!?」
クォーツ民意国軍から見れば何もない筈の小高い丘から放たれた火やエネルギーの塊は、橋の修繕された箇所に着弾し、単なる木の束でしかない部分を消し飛ばした。
「よし! 撤退するぞ!」
小高い丘に潜み馬に乗って退却している者達にとって、景色を歪ませて軍を隠すなどとてもできない。だが今その場にいる十数人程度を誤魔化す程度ならなんとかなるのだ。
そして轟いた轟音は開戦の合図である。
「なんか来てるぞ!」
「砂塵じゃないか!?」
川から少々離れていた森に隠れていたサンストーン王国の軍勢が急速に接近し、退路を断たれて混乱するクォーツ民意国軍の前に現れる。
サンストーン王国の戦略目標は単純だ。
相手が逃げだしたら野盗と化す者達で、自軍が数で劣るなら自然を利用した包囲しかない。
そして相手は何の連絡もなく軍を率いて、サンストーン王国の地に土足で入り込んできた連中である。
「攻撃開始」
そうであるからこそ。
ジェイク・サンストーンが国家と家族を守るため、皆殺しの意思を込めた命令を発する。
蒼天を矢が埋め尽くした。
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