苦労人達の歯車
集まった兵達の士気で陽炎や蜃気楼のようなものが揺らめいていると表現できるアゲートでは、スキルの確認か大地が少し蠢いたり爆発音が轟くこともある。
そして旧エメラルド王国復興の拠点として拡張され、エヴリンの様々なてこ入れもあったアゲートは三万の軍勢を問題なく維持し、より広くなった港には兵站を維持するための様々な物資が日夜運び込まれている。
だが大勢の兵の姿や摩訶不思議なスキルの余波を感じているアゲートの民に怯えはない。
「再び陛下がこの地に来られた」
彼らアゲートの民にとってサンストーン王国軍は、元大公であったジェイクが率いている軍だ。今現在も王の直轄領として繋がりがあるこの地は、なんの齟齬なく少し前と同じようにジェイク指揮の下で動いていた。
つまりである。
「陛下、ご報告させていただきます」
サンストーン王国においてアボットと並ぶ苦労人の中の苦労人、チャーリーの仕事も少し前と同じようになるのである。
尤もジェイクを金融的に支えるアゲートの正式な代官に出世したチャーリーだが、相手は大公どころか堂々たる強国サンストーン王国国王にまで駆け上がったジェイクである。
(鍛えられてなかったら胃が溶けてた)
チャーリーの内心通り、ある意味鍛えられていなければ胃が爆散していただろう。
しかしアゲートの責任者がチャーリーである以上、ジェイクに直接報告するのは義務であった。
「現在アゲート内で軍に怯えている声はありません。また、クォーツ民意国の非道が伝わっており、同調する様子はないようです」
「うむ」
チャーリーの報告にジェイクは僅かに頷く。
アゲートに限らないがサンストーン王国の諜報組織は国策として、またスライム達が陰ながらクォーツ民意国が行っている事実を流布しており、国内においてクォーツ民意国を歓迎する声はない。
寧ろなにもかも貪ろうとしている蝗への忌避感が強く、ジェイク率いる軍を頼りにしていた。
なおその集結している軍を率いる高位貴族達だが、アゲート大公時代のジェイクを支えたチャーリーに注目しており、これまた苦労人の胃を追い詰めていた。
だが注目されるに相応しい能力をチャーリーは有している。
はっきり言って軍才はあまりないが、現状維持能力に合わせ歯車として機能させることができる環境を整えれば成果を生み出すこの男は、集結する軍の受け入れを問題なく処理しており、【政神】ジュリアスがいたら思わぬ拾いものを見つけたと思っただろう。
そんな苦労人だが、妻の方も苦労している。
(忙しいいいいいいいいいいいい!)
アゲート城を駆けまわっているエミリーは、チャーリーの妻として様々な貴族に挨拶を行い、不備がないかの確認をしながら使用人達を統率していたので、軍や諜報部、夫と同じく全力で回転している歯車だった。
尤もかつて滞在した古代王権とエレノア教教皇の対応、更には【傾国】レイラという修羅場を潜り抜けたエミリーはこの程度で止まらない。
(頑張れ私ー!)
結婚してもまだまだ心が若いエミリーは、アゲート城を駆けまわり続けるのであった。
◆
アゲート城には別の苦労人もいる。
(補給は問題ない)
それが商人でありながら貴族となったフェリクスだ。
国境貴族との縁が深いフェリクスは、それだけ戦場となる地点への理解が深いため兵站に大きく関わっており、必要な物資を手配していた。
そして主戦場になると目されているのはエバンの領地だ。
彼の領地はかつてサファイア王国の第二王子が率いる本軍が進路に選ぶほど道が平坦で険しくない。これは軍とは呼べないクォーツ民意国にとっては重要なことで大軍を活用するため、とだけ言えればよかった。
だが実際はそれだけにとどまらず、クォーツ民意国の軍は山や複雑な道を通ると脱落者が大量に発生して、行きだけの兵站すら維持できなくなる馬鹿げた存在という背景がある。
実際にアメジスト王国軍に攻め入った十万の軍は平地だけを移動しているのだが、これは平野部分の農業が盛んで食料が多く現地調達が容易ということも挙げられる。
(よし、次の仕事は……)
商人として貪ることしかできない存在に敗れる訳にはいかないフェリクスは、地図に記載されたクォーツ民意国との国境にある川をちらりと見て再び仕事に戻る。
◆
一方で別の苦労人。
(急に忙しくなりよって! 程々に薬師の仕事して楽隠居決め込むつもりがパアじゃ!)
名を誰も知らず単にお婆と呼ばれている、かつての黒真珠の元締めは薬師として薬を作りながら文句を垂れ流す。
勿論軍やアゲート城には薬の備蓄はあるが、それでも三万の軍勢ともなればどれだけあっても困ることはなく、お婆の薬店にも注文が舞い込んできた。
(老後のためには仕方ない!)
そのためお婆は既に老人のくせに老後の金だと自分に言い聞かせながら、薬の専門家として苦労する。
(デイジーのお産の準備もせんといかん!)
前職を考えれば単に苦労するだけの立場になったことが奇跡だろう。
そして最後に最も苦労している者達を紹介しなければならない……。
「クォーツ民意国……指揮系統が確立されてないなど本当に素人集団ではないか……!」
「どんなに精査しても敵は軍なんて呼べねえ……」
アゲートで変わらず活動を続けている戦争分析班の面々は、生まれてきた時代が悪かったとしか言いようがない苦労を背負い込んでいた。
◆
一方、苦労とは真逆。楽観と理想を盲目的に信仰する者達。
再び目があるとして例えるならば。
変わらずじーっと見つめられていた。
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