飛翔する民意

 以前にも述べたが、アメジスト王国とルビー王国には隙があった。いや、隙が生まれてしまった。


「やはりよくないか」


「はっ。当主が亡くなった辺境伯での混乱は更に酷くなっています」


「くそっ!」


 アメジスト王国の王、ハーヴィー・アメジストは腹心の諜報員ブレイクの報告に頭を痛める。


(勝てると思い込むことほど馬鹿げたことはないな!)


 もしサファイア王国に進行する前の自分に会えるなら、ハーヴィーはこれでもかと悪態を吐いていただろう。


 だが仕方ないことだ。サファイア王国は事実上の王位継承者が討ち死にするほど、サンストーン王国に敗北したのだから、誰がどう見ても弱った肉でしかなかった。


 当時のハーヴィーと同じ状況に置かれたなら、ほぼ全ての王がサファイア王国に勝てると確信するはずだ。


 それは家臣も同じで仮想敵は競争相手のルビー王国だったほどである。


 結果、確信と油断のツケを両国は支払う羽目になった。


 中でも痛手だったのは、サファイア王国との国境を守っていた辺境伯とその周りを固めていた騎士も全滅したことだ。


 辺境伯は広大な領地を治めながら国防の最前線にいる立場であり、軍事指揮権すら有している大貴族だ。


 つまり利権が複雑に絡み合っているため、とんでもなく面倒なことになった。


 ぽっかりと空いた利権と席次を巡り、残っていた辺境伯家の家臣同士が、新当主そっちのけで酷く対立し始めたのだ。


 そこへ証文の履行を求める商人、身内が戦死したことで生活の保障を願う家臣の遺族、働き盛りが帰ってこずに焦っている農村の訴えが加わり、国境を守るはずの辺境伯領はほぼ機能不全に陥っていた。


「余への反発も変わりないか?」


「はっ……」


 ハーヴィーのしかめっ面が酷くなる。


 辺境伯領の混乱を許容できる余裕はアメジスト王国にない。そのためハーヴィーは様々な手で混乱を治めようとしたが、サファイア王国との戦争を主導したのは間違いなくアメジスト王家とその周りにいる重臣たちなのだ。


 つまり辺境伯領の家臣達にしてみれば、今現在の混乱は王家が余計なことを企んだからこうなったのだという被害者意識がある。そのためハーヴィーに対し、国難を招いた王は黙ってろと反発していた。


 アメジスト王国全体が、弱ったサファイア王国に対し好戦的になり、辺境伯領のいる者達も大いに乗り気だったが、負けたなら話は変わるのである。


「奴らは間違いなく攻めてくる! 一刻も早く守りの準備を整えなければならないというのに!」


 一軍の消失で求心力が落ちているハーヴィーは、クォーツ民意国とやらを名乗る新国家が即座に攻め入ってくると考えていた。


 これは民意の暴走を予想していたのではなく、クォーツ民意国が上手くいく筈がないと考えていたからだ。


 貴族という政治が行える人材が殺された国など、直ぐに行き詰まることは目に見えていた。そして行き詰まった国家の常套手段は国民の視線を外に向けること。つまり戦争だ。


 人間は最終的には結局どうしようもなくなるのに、今日凌げれば明日は何とかなると考えて、しかも今日の悪足掻きを実行に移しやすい生物なのである。


「内の情報統制も変わらんか?」


「はっ。尾ひれがついて、クォーツ民意国は楽園などという噂が広まっております」


 更に悪いことは続く。


 アメジスト王国もルビー王国も、クォーツ民意国が碌でもない失敗国家であると宣伝していたが、混乱のせいで徹底することができなかった。そのせいで中途半端に情報が伝わってしまい、クォーツ民意国は民衆にとっての楽園などと伝わっている場所すらあった。


 結果論だが、これならクォーツ民意国の政治体制を秘匿していた方が、まだ時間を稼げたかもしれない。ただその場合は、何かの拍子で情報が漏れてしまうと、民が免疫を付けずいきなり民意の国という概念に触れてしまい爆発を起こす可能性もあったが。


「とにかく、最初の一撃はなんとか防がねばならん……」


 自分に言い聞かせているようなハーヴィーだが、なにもかも悪い状況ではない。彼はある意味単純だからこそ成功する公算が大きい案を持っていた。


 しかし、それにはまずクォーツ民意国の攻撃を防ぐ必要があった。


 できるならばの話だが。


 ◆


 それから少し。


「至急! ご注進申し上げます!」


 ブレイクの部下がアメジスト王国に凶報を持ち帰ってきた。


「クォーツ民意国が動員を開始した模様です!」


 クォーツ民意国が明らかな軍事行動を開始。


 推定兵力。


「兵力は十万を超える可能性があります!」


 誰もが真っ青になった。


 二万から三万の兵がぶつかれば決戦と呼ばれる世界において、まさに常識を超えた大兵力の動員だ。


 そしてアメジスト王国は気が付いた。


 混乱甚だしいクォーツ民意国において、十万の兵力を維持する余裕などあるはずがない。


 意味することはただ一つ。行きの補給だけ持たせれば、あとは奪うだけでなんとかしようとしているのだ。


 軍、兵士などとは口が裂けても呼べない、貪ることしかできない十万を超える狂気の蝗の群れがアメジスト王国に飛び立った。


 そして……上手くいってしまった。


 十万以上の大軍が迫る恐怖と、民意が統べる国が隣にあるという甘美な誘惑に、アメジスト王国の国境近くにある街の市民は抗えなかった。そのため足元が弱い新領主達は、不穏な動きをする領民に対処する必要が生じた結果、効果的な防衛線を構築することができず、蝗が国境を突破して雪崩れ込んでしまったのだ。


 この決戦に勝ったわけでもなく結果が出ていない、まだ中途半端な成功体験はクォーツ民意国で更なる暴走を生む。


「おい聞いたか? 俺らの軍がアメジスト王国に攻め入って突き進んでるらしいぞ」


「聞いた聞いた。アメジスト王国にも協力してくれてる奴らがいるらしいじゃないか」


「やっぱり皆、王政にうんざりしてるんだ」


「そうだな。民意が国を統べることこそ正しいんだ」


「これならルビー王国とサンストーン王国にも簡単に民意を広めることができるぞ」


 民意に欲が出る。


「ひょっとしてサンストーン王国に攻め入り、エレノア教の壊滅も狙えるか?」


 アルバート教の背信者も欲が出る。


 だからこそ。


 もしソレに眼があると仮定して例えるならば……。


 ぎょろりとクォーツ民意国を覗き込んだ。

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