善の暴走

 実はこの世界、宗教勢力の腐敗は極端ではなく“そこそこ”の健全性を維持している。


 だが古いものでは千年続いている特権階級なのだから、常識的に考えるなら腐敗しきってどうしようもないことも多いはずだ。それなのにある程度健全なのはエレノア教がある意味で絡んでいる。


 この最古参、もしくは宗派によっては明確に最古と認識されているエレノア教の教皇イザベラが、姿を変えながら千年前から皆さんお行儀よくしましょうと言っているから。


 という訳ではない。


 尤もそれに近いことは近い。


 神々が落日を迎えた時期に神を貪ったイザベラは神殺しのくせに、最高位のスライムを従えてあっという間にエレノアの名前を使った宗教勢力を築き上げた。


 そして自己の優先順位が低く、イザベラに仕えているスライム達が組織を構成していることが妙な事態を引き起こしてしまう。


 同時期に形作られている真っ最中の別宗派の者達はこう思ったのだ。なんて私心がなく素晴らしい神の信徒達なのだろう。見習わなければ、と。


 そう。イザベラが愛する男を探すために作った私心しかないエレノア教は、宗派を作り上げた最初期の信仰心の厚い聖職者からすれば、ただひたすら愛の女神の名の下に教えを広めるお手本だったのだ。


 しかもそのお手本は、千年間ずっと変わらず活動を続けているのだから、他の宗派も感化されて“ある程度”は良識を持つ者が維持されていた。


 だが“ある程度”と“そこそこ”であり、やはり人間である以上、腐敗からは逃れられない。


 ◆


「複雑なことになった。サファイア王国の各地で反乱が勃発するとは」


 ターコイズ王国内に存在するアルバート教の大神殿会議室で、高位の聖職者達が頭を抱えている。そして言葉を濁して複雑なことになったと言っているが、正直に言えるなら面倒極まりない事態だと口にするだろう。


「引き上げは無理かな……?」


「ここで現地の者達を戻らせたら、アルバート教は苦しんでいる民衆を見捨てたと悪評が出回る。それに……そもそも現地の者達が戻ろうとしない」


「むう……」


 二人の高位司祭が面倒極まりない現状に頭痛を覚え額を揉む。


 サファイア王国の各地で反乱が勃発したことを掴んだアルバート教は、底なしの泥沼から聖女ヴェロニカを含んだ巡礼者達を引き上げさせたかった。


 しかし聖職者が困っている人間を見捨てた場合、その悪評は非常に長くこびり付くことになるだろう。その上更に、現地にいるヴェロニカや善の心を持つ聖職者達が、困窮している者を助けることを優先して大神殿へ帰るのを嫌がっており、状況を無難に収拾することが困難になっていた。


 極端なことを言えば、ヴェロニカ達巡礼者が水攻めの被害者たちに会った時点で、アルバート教は引くことができない蟻地獄に落ちてしまったのだ。


 幸いなことがあるとするなら、ヴェロニカは高位の聖職者達が彼女を外に出すのを嫌がった理由を証明するかのように、次から次へと病人を癒すことに成功しており、現地での名声が非常に高まっていることか。


「よろしいではありませんか!」


 そんな蟻地獄に嵌っているアルバート教の会議室に、涼やかな声が響き渡った。


 年頃は三十歳程の男性で、高位かつ高齢な聖職者達が集まっている会議室では浮いているほど若い。更に二十代前半に見えるほど若々しい顔で中性的な声を持っているため、場に合っていない異質感がある。


「なにがかなデクスター司祭?」

(猊下が甘やかすからこうも空気を読まんのだ!)


 敢えておっとりと尋ねた高位司祭だが、その内心では苛立ちで溢れている。


 浮いている聖職者、名をデクスターというが、この場にいないアルバート教教皇が可愛がっているため、周りが忖度せざるを得なくなっていた。そのせいで若いながら高位司祭に名を連ね、場の空気を読まず自分が正しいと思う意見を貫こうとするのだ。これでは高位司祭が苛つくのは当然である。


 尤も能力があるのならそれでも問題ないかもしれないが、この男、大きな問題を抱えていた。


「偉大なるアルバート神様の教えの下に、ヴェロニカ殿達は救いの手を差し伸べておられるのですぞ! まさに正しき行いでしょう!」


 この発言からも分かる通り俗な政治的行動や妥協を好まず、正しき行いとやらを最優先にするため、腐敗している高位聖職者と相性が最悪だった。


 しかもこれが理由で、腐敗を嫌い善行や正しき行いという夢を見ることができる若手聖職者達からの支持が厚く、一大勢力の主ともいえる存在なのだ。


 はっきり言って政治的な活動で立場を手に入れた現在の高位聖職者は、デクスターを完全に持て余していた。


「我々も手をこまねている場合ではないでしょう! サファイア王国の罪なき民を導くために立ち上がらなければ!」


「なにを言っている!?」


 熱弁するデクスターを持て余していようと、こればかりは止めなければならない。


 俗な高位司祭達にすれば、未だサファイア王国という国家が健在なのに、その民を導くという発言はあまりにも危険な思想だ。


 下手をすれば民衆の蜂起の裏にアルバート教がいたと判断されてしまい、王政世界の秩序を乱したとして排除されかねなかった。


 そんなことは熱意に突き動かされているデクスターと若手達には知ったことではない。


「なにを言っているですと!? 疫病と重税に喘いでいる者達が反乱を起こしたところで、その先は全くありますまい! 我々が正しく導きアルバート神様の教えを広めなければ!」


 サファイア王国の民衆を見下しているような高慢。傲慢。だが事実である。


 明日ではなく今日のために立ち上がったサファイア王国の民に、先の発想などまるでない。そしてサファイア王国を打倒したところで知識層がいないため、行き詰まることは目に見えている。


 だからこそデクスター達は、生きるために立ち上がったか弱き者達に知識を提供して、アルバート神の教えを広めようとしているのだ。


 腐敗するのは欲や金だけではなかった。正しいという思いも腐敗する。


 そのにとっての正しさが報われるという子供の思いのまま温め続けて腐り果てた果実は、信仰心と結び付いて狂乱を引き起こした。


(殺すしかない!)


 最早デクスターを殺すしかないと判断した高位聖職者達だが……遅かった。


 デクスターを殺すための準備している間に、一部の聖職者がアルバート教のための国家を建国するのだと更に暴走。更に悪いことに、教皇ではなくアルバート神に仕えていると思っていた狂信者の類も同調してしまう。


 結果的にデクスターは多くの者を連れてサファイア王国に出奔。


 そして破門されようが、自らの当たり前な正しさのために行動するのであった。


 ◆


 一方俗世の頂点。国家の主であるジェイクはその真逆。


「来ないならいい。だが来るなら殺す」


 彼はサンストーン王国という国家の責任者なのだ。善意で底なし沼との共倒れなど論外である以上、いずれやってくる狂気の蝗を殺すための準備を整えていた。

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