噂の裏側

 きっかけは人間が確かに繰り返してきた行動だった。


「ヒューゴ様……その、商人共が押しかけております」


「くそっ! 意地汚い金稼ぎ風情が!」


 サンストーン王国との戦いで囚われているサファイア王国の貴族、ゲーンズ子爵の息子で十代半ばのヒューゴは家令が恐る恐る報告してきた現状に悪態を吐く。


(馬鹿親父め! なんで俺が尻を拭かねばならん!)


 その内心では家長である父ゲーンズに決して口に出せない罵りも加えていた。


 尤もゲーンズの行動も、ヒューゴの罵りもその両方が仕方ないことだった。


 ゲーンズが率いた軍は、故ライアン・サファイアが率いる本体の先遣隊のような役割を持っていたため、決して見窄らしいことがあってはならなかった。もし貧相な装備で出陣すれば他から、特にライバル視して共に行動していたハリソン子爵から侮られることになるだろう。


 そのためゲーンズ子爵は急に通常以上の税を課し、商人からも金をかなり借り受けて軍を整えていた。


 これでサンストーン王国への侵攻が成功したなら、次期王が率いる本隊の先遣隊という名誉、戦利品と恩賞、新たな領地などが加わるのだから、ゲーンズや商人達も十分元が取れると判断した。


 失敗したため、後に残ったのは多額の借金であるが。


 しかも領民兵、ゲーンズの周りを固めていた騎士の多くが戻らず、それどころかゲーンズ本人が捕虜になる有様だ。


 面子で生きている貴族のゲーンズがそれを優先するのは当たり前。その後始末を押し付けられた形になっているヒューゴの怒りは至極正当。そして金が回収できないと焦る商人が押しかけるのも当然である。


「商人共め首を刎ねてやろうか!」


 ただ、ヒューゴからすれば、平民風情が領主の館に押しかけているのが許せず顔を真っ赤にした。


 これがゲーンズが長男であるヒューゴを、絶対に勝てると思い込んでいたサンストーン王国との戦に連れて行かず、初陣を飾らせなかった理由でもある。


 ゲーンズに似て、いや、それ以上に短気で怒りっぽいのだ。そのため不満なことがあると態度に出てしまうため、ゲーンズはそれが気に入らず疎んじていた。家令が商人達のことを恐る恐る報告したのもこれが理由で、叱責や怒りを向けられることを酷く恐れているからだ。


 とは言えヒューゴの現状を考えると、父に怒りを向けるのは仕方ないことだろう。


「ヒューゴ様ご報告が……やはり後は手を付けられない金ばかりです。現状では全額を返済できる見込みはありません」


「くそっ!」


 そんなヒューゴの下に、領地の予算を管理している者が言い難そうに事実を報告した。


 借金でカツカツになっている上に、大量に戦死した家臣の遺族への生活保障も重く圧し掛かっている。だがこれをしなければ、領主一族は全く頼りにならないと判断され、最悪の場合は家臣団から見捨てられる可能性があった。


「解決策は!?」


 ヒューゴに金の解決策を聞かれた家臣は困り果てた。


 子爵程度の領地なのだから、素晴らしい特産物がある訳でもなく、金山銀山を抱えてもいない。


 どこの貴族も自分のことで手一杯であり、王家の援助なんてものも期待できない。


 急に労働力が減少したのだから税収がいつも通りな筈もない。


 まさに詰みかけているのだ。


 ただ二点、禁じ手が残されているが。


「借金を踏み倒すか……税を上げるしか……」


 究極の二択だ。


 借金の踏み倒しで問題になるのは、当たり前だが金を借りたのに支払うことがない相手は信用がなくなり、二度と商人達がその領地で活動しなくなることだ。その結果待っているのは干上がっての死であり、そのくらいのことは短気なヒューゴでも分かる。


「税はまだ上げられるのか?」


「恐らくですが……」


 しかめっ面なヒューゴの質問に答える家臣の顔は優れない。既にサンストーン王国と戦う準備のため税を上げており、これ以上はかなりの重税となる。ただ、村が離散しない程度には収められる筈だった。


「ならやれ。調整をしくじるなよ」


「はい」


 そして破滅への線を乗り越えた。


 実際に徴収予定だった税の額なら、農村でもなんとか生きていける程度であり、歴史的に見ても特別酷すぎるという訳ではなかった。


 ただ、明日への不安と恐怖が渦巻いている最中に、税が上がるという話が流れた時、貴族は水攻めで庶民を巻き込んだように、俺達農民が死んでもいいから搾り取ろうとしているという噂となった。


 そして彼らの中では真実になってしまった。


「税が上がっちまった!」


「もう駄目だ!」


 ヒューゴが領主代理として税を上げる布告を行った瞬間、ただでさえ恐々状態だった民衆に最早理性はなかった。


 ならば民はどうするか。


 殺される前に殺さなければならない。それが自然の摂理なのだから。


 松明を。農具を。粗末な武器を。狩りのための弓矢を。果ては包丁を持つ。


 老いも若きも、男も女も関係ない。


 村で、町で、港町、山で、平野で、あらゆるところで。


 領民全てが兵となり立ち上がった狂気と狂乱の狂奔。


 誰も彼もが足掻き、衛兵ですら形勢不利と見て市民に同調。


 結果。


 ゲーンズ子爵領、領主館陥落。ヒューゴを含めた領主の一族は全滅。


 明日ではなく今日のために立ち上がり、止まれなくなった者達の蜂起がサファイア王国全土で巻き起こった。


 尤も止まれないのは民衆だけではない。


 例えば信仰心とか。


 アルバート教内で、サファイア王国の混乱を利用してアルバート教を第一とする国家建国を目指す一派が台頭した。

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