噂
アルバート教の一団が奮闘している川沿いだけが騒動の中心ではない。
元々サファイア王国は不意打ちでサンストーン王国に一万以上の人員を送り込み、それが散々に打ち破られ、アメジスト王国とルビー王国に対しても敗戦を重ねてきたのだから、各地の被害は大きかった。
この時代、亡き【戦神】レオが構想して形になりかけていたものの、専業の兵士による常備軍は存在せず、傭兵を除いた国の兵と言えば、領主が村々に男手を出せと命じて引き連れる領民兵が殆どだ。つまり兵の損失はそのまま領地の負担、そして彼らの故郷の村への負担になる。
しかも粗雑な金貨の大量製造による経済的混乱まで起こっているのだから、あらゆる場所で不満が溜まっていた。
◆
(駄目だこのままじゃ詰む!)
サファイア王国の農民であるピーターは焦燥感を抱いていた。
この赤毛で肌が日に焼けている青年に特別な才能はない。農作業に従事しているため体は逞しいが、背も大して高くなく、実は貴族の血が流れていたり、秘められたスキルが眠っていることもない。
それどころか字も読めない、この時代どこにでもいる農民であり完全なる被支配階級だ。
強いて特別なことを挙げるとするなら、サンストーン王国への不意打ちの際、兵として連れていかれなかった運の持ち主ということか。代わりに父親は帰ってこなかったが。
そしてピーターの故郷の村は苦境にいる。サンストーン王国との戦争が勝ち戦なら、少々の戦死者が出ようと領主がお目こぼししてくれる戦利品を、従軍した農民が持ち帰り一息つくことができる。
だがサンストーン王国との戦は惨敗も惨敗であり、戦利品どころか男手も領主も帰ってこない有様だった。
(村全体が畑を維持できなくなって食えなくなる!)
そんな状況なのだから、学があろうとなかろうと。生まれが良かろうと悪かろうと関係なく、いずれこのままでは畑の維持すらできなくなると分かっていた。
「ピーター聞いたか!?」
「爺さん大事なところが抜けてるぞ」
焦燥感に苛まされているピーターが自分を呼ぶ老人の声に我に返り、要件がさっぱり分からないぞと肩を竦める。
「ご嫡男様が税を上げようと考えているらしい!」
「そんなば!?」
老人が齎した悲報に、ピーターの立場ではそんな馬鹿なとは言えない筈だがほぼ口から出かかる。
疲弊しきった領地、足りない人手、敗戦から家族が帰ってこなかった悲哀。それが渦巻いている最中に税を上げるなど正気の沙汰ではない。しかし、老人はあり得ると思っていた。
「きっとご当主様の身代金のためだ!」
老人が
基本的に戦場に出向いた貴族は、敗戦に陥ろうが金の引換券として扱われるため捕虜になる。そして捕虜となった貴族の家には面子があり、急遽次期当主を決めるのも面倒事であるため、当主の家族や重臣が采配して身代金を払おうとする。
「やっぱり身代金が足りなくて揉めてるのか?」
「きっとそうだ! それで税を上げるつもりなんだ!」
声を潜めるピーターとは対照的に老人の声は大きくなる。
領主の一族や家臣が、当主は捕虜となっているだけで無事である。すぐ戻ってくると布告している割には、無事に帰ってきたという布告はされておらず、ひょっとして身代金の額で揉めているのではと元々噂されていた。
これに関しては勘違いである。
サファイア王国はサンストーン王国に不可侵条約を利用した騙し討ちを仕掛けたため、完全に外交ルートが断絶しており、和平交渉や身代金の交渉どころかまずは外交ルートを再構築をしなければ話にならない状態なのだ。
だがまさか騙し討ちされた側のサンストーン王国から歩み寄りなどできる筈もなく、サファイア王国側も攻め入って負けた自分が急に戦争を止めようなどと言って話が纏まる訳がないと思っていたため、ジェイクが王となってからも接触をしていない。
ピーター達がそれを知らないのは、騙し討ちをしたので外交が全くできませんとサファイア王国が絶対に言えないからだ。
それにサファイア王から見れば、ジェイク・サンストーン王は自分達と直接戦っただけではなく、事実上の王位継承者であったライアン・サファイアを討ち取っているため、恨み骨髄の相手である。これに頭を下げるのは息子を失ったサファイア王からすれば面子的に不可能で、できるものならこれまた面子的に弔い合戦をする必要すらあった。
元々騙し討ちをしておいての自業自得で面子も何もないが。
付け加えるならルビー王国とアメジスト王国が水攻めで軍が消滅しようと、あくまでサファイア王国の弱体化を狙ったのも、自国が攻め入った側で交渉ができるものかという意識があったからだろう。しかし交渉相手としてサファイア王国が不適格なことも理由の一つに違いなかった。
「それに商人がせっついているのかもしれん! あいつらは金に汚い!」
「確かに……」
まだ理由があると力説する老人に頷くピーター。
こちらは勘違いではなく本当のことだ。
サファイア王国による大混乱していたサンストーン王国への侵攻は、その横紙破りは置いておくと、誰がどう見ても成功するような軍事行動だった。
当時はサンストーン王国は王都でジュリアスが反乱、レオは生死不明、しかもサファイア王国との国境を守る者達はレオ派閥で増援があるとは思えず、普通に考えるならサファイア王国の軍事行動が失敗するはずがないのだ。
それはサファイア王国の商人から見ても同じで、彼らはサンストーン王国との戦争が始まると気前よく貴族に金を貸し……現在なりふり構わず金を回収しようとしていた。
金の化身ではない普通の商人は、絶対に損しないと思っていた投資をしくじった状態であり、サファイア王国の経済状況が悪い現在、投資が回収できなければ下手をすると破産してしまいかねない。
そのため踏み込みすぎた商人は毎日領主の城や館を訪れ、貸した金なんだからきちんと返してくれと訴えているのだ。
「もし今、税を上げられたら生きていけねえぞ」
「おお! 無理だ!」
真実と間違いが混ざっていたが、税が上がる噂を否定する材料はなく、寧ろ状況証拠的が揃っているため、ほぼ間違いないとピーターも老人も思った。それ故に今もし税を上げられたなら、自分達は生活できないと恐怖した。
「ねえ聞いた!?」
そこへ今度は、中年の婦人が青い顔をしながら慌ててやってくる。
「うちの国、川を増水させて敵の軍を壊滅させたはいいけど、町とか村の被害を気にせず巻き込んじゃって、関係ない人が沢山死んだとか!」
「なんだって!?」
夫人の言葉に目を見開くピーターと老人。
噂と真実が入り混じった毒がサファイア王国を蝕む。そしてその毒は、アメジスト王国とルビー王国が吹き込むことであっという間に国という全身を巡る。
だがこの村はまだマシだった。税を上げるという噂程度で済んでいたのだ。
しかし……中には本当に税を上げ領民を搾ってしまった領地がある。
結果、毒が回り切り不安が恐怖に、恐怖が絶望に。
そして。
絶望が怒りと生存本能に結び付いた。
「もうこれ以上は無理だ!」
「国は俺達を助けてくれないんだ!」
「隣の領地じゃ皆が立ち上がったらしい!」
「俺達も続こう!」
全く関係ない場所で、時期も目的も微妙にずれていながら、民衆という多頭の怪物が立ち上がろうとしていた。
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