善
(心配しすぎだったか? いや、油断だ。判断するには早すぎる。そう思っていいのは総本山に帰ってからだ)
アルバート教の司祭デイヴィットは自分を戒めたが、一団による伝統的な布教の旅は意外というか、もしくは当たり前と言うべきか平穏だった。
かつて存在した神々に仕える聖職者を害するなど、まさに神をも恐れぬ所業であり、例え野盗の類がいたとしても害されることはそうそうない。
しかしエレノア教の大神殿が焼き討ちされるような時代であり、しかもサファイア王国は戦地なのだから油断は禁物である。
(サファイア王国も馬鹿なことをした。まさかサンストーン王国と不可侵の条約を結んでいる最中に攻め込むなんて、どこも和平交渉の仲介ができないだろうに)
善き教えを広める筈の聖職者にあるまじき呆れの感情がデイヴィットに沸き起こる。
様々な信徒と繋がっている聖職者は情報通であり、アルバート教はサファイア王国が騙し討ちの形でサンストーン王国に攻め入ったことを知っていた。
もし騙し討ちなどしていなかったら、他の王国が仲介して和平という選択肢も取れた。
しかし、たらればの話だ。
前科持ちのサファイア王国は、和平交渉の最中に軍事行動を起こす可能性が高く、仲介した者の面子は木っ端微塵に吹き飛ぶ。そうなれば国家の面子のため、したくもない軍事行動を起こさざるを得なくなり、火傷どころでは済まなくなるのだ。
尤もデイヴィットの認識では、アメジスト王国とルビー王国はほぼ戦勝国であり、奇跡的に和平交渉が纏まっても事実上サファイア王国の降伏になる。
(欲とは毒だな)
デイヴィットは坂から転げ落ちているサファイア王国を想う。
卑怯、不意打ち、騙し討ち。勝った時はいいのだ。悪名を背負おうと国体を維持しているのなら、文句は出ても軍事行動はそうそう起こされない。
強さは保証となり、どれだけ横紙破りを行おうとその強さを恐れて相手はそれを信じるしかなくなる。サンストーン王国が混乱しきっていた最中に、サファイア王国がすんなりと領地を奪い取ればより強大になり、どこも軽々しく動けなかっただろう。
だからこそデイヴィットは、より上の存在になりたいという欲はすぐさま腐りきった毒になり得ると考えた。
他人事極まる。
その欲と毒は聖職者だろうと例外ではないのに。
「ああ!? 司祭様!? よかった! 助けてください!」
「どうされました?」
絶望を貼り付け街道を走り、顔見知りの司祭に助けを求めた村人が純粋な気持ちだったように、それに応えた司祭達も純粋な善意だった。
◆
「なんたることだ!」
絶叫を上げる司祭達。
村人から知らされた川の水が増水して、アメジスト王国とルビー王国の兵らしき者達が呑み込まれ全滅したことは、司祭達にとってこの際どうでもいい。
問題なのは川の水が付近の町や村を巻き込み、泥で辺り一帯がぬかるんだことで死体の処理が全く間に合わず、腐敗と泥、汚物を原因とした疫病が急速に流行りだしたことだ。
そしてこの時代、土地に縛られた者が多く、避難したところで誰も生活の保障をしてくれないため現地に留まってしまい、疫病から逃れられなかった。
判断が遅いと言うなかれ。その土地で領主の所有物として生まれ、生き、死んでいく農民達にとって、土地を離れ外の世界に出ていくことは殆ど死と同義なのだ。
司祭が連れてこられた村でも病人が溢れ、このままでは“詰む”ことが明白だった。
「皆さん! アルバート神様にお祈りを!」
それをヴェロニカは許容できなかった。
彼女は病人の前で跪いて手を組み合わせ、己のスキルを全開にして行使すると、体から光が溢れた。
「お、おお!?」
するとどうだろうか。病に侵され体がいうことを聞かなかった村人は、まるで生まれ変わって新たな体になったかのような気分になった。
スキル【治癒】。
サファイア王国の王子スタンリー・サファイアなど、死病に侵されている者には効果がないなど例外が存在するため、ある程度のという注釈は必要だが、病気を治癒することのできるこのスキルは、各宗派に所持者が数人はいる。
その中でもヴェロニカの【治癒】はかなり強力な部類であり、アルバート教の上層部が彼女を混乱している戦地に出していいものかと悩んだ理由である。
そのスキル【治癒】をヴェロニカは使用したのだ。
(と、止め……い、いや、もし流行り病がこの一帯だけでなかった場合とんでもないことになる。手順やお布施を云々と言っている暇はない)
デイヴィットや他の司祭はヴェロニカを一瞬だけ止めようとしたが、人としての理性と善意がそれを上回った。
スキルを使っているのがアルバート教の女司祭であるヴェロニカなのだから、本来なら対象は同じアルバート教の信徒で、然るべき手順を踏んでお布施を行う必要がある。
そうしなければ他宗派との争いごとに繋がるし、敬虔たる信徒に対する施しが、単に病を治してくれるという間違った認識として広がりかねない。
だが溢れかえった病人という現状がそれを許さないし許容してくれる。
(それにここにいる者達は信徒になってくれる筈)
理性と善意が本音に、そして欲が毒に繋がった。
長らくサファイア王国で活動していたアルバート教だが、元々神々は同格であるとされているため他にも様々な宗派が入り乱れ、必ずしも一強という訳ではない。エレノア教だけではなく他の宗派も疎んじているアルバート教は、それを面白く思っていなかった。
そこへ窮地に手を差し伸べた者が、我らが神こそ素晴らしい存在であると囁けばどうだろう。
「怪我人がいればここへ!」
「しっかりしろ!」
とはいえそれは後の話だ。今は目の前の迷える者達を助けることが先であるため、アルバート教の司祭達は善意で行動した。
余談で面倒な話になる。上手くいけば迷える者達の核になれるアルバート教だが、それは川を中心にして疫病が流行りかけている場所での話であり、別の場所で立ち上がろうとしている者達にはこれまた別の頭がある。それは全く別の複数の地点でも同じであり、民衆という強大な多頭の怪物が立ち上がろうとしてた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます