きっかけの二つ目
とある三十人ほどの集団が、“一応”警戒しながらサファイア王国の港町に船から降りた。
白い司祭服を着た一団で、胸には捻じれた円のような紋章の首飾りが輝いている彼らは、最古の存在であるエレノア教にこそ一歩劣るものの、歴史あるアルバート教の信徒達だ。
「ヴェロニカ殿、足元を気を付けてくださいね」
「はいデイヴィット司祭様」
そんな集団たちのリーダーである壮年の男性、一見すると太っているようだががっしりとした体形のデイヴィットが、船から降りようとしている女司祭に声をかけた。
デイヴィットとは年が離れている若い女司祭でフードを被っている。
男にとって邪魔な布の下には短い金の髪と白い肌が輝き、青い瞳は慈愛を湛えていた。そして美貌は流石にレイラやリリーには劣るが、男をどこまでも堕落させるような彼女達とは違い、温かな太陽のような笑みを浮かべていた。
名を女司祭ヴェロニカ。壮年の司祭が態々名に殿と付けるだけあり、少し特別な立場であった。
「デイヴィット司祭」
控えていた他の司祭が小声でデイヴィットの名前だけ囁くと、彼は頷いて港町を見渡した。
それを確認した数人の司祭が港町に散らばり、どこか暗い顔をしている者達へ足を向ける。
「ああ司祭様……そうか、もうそんな時期でしたか。悪い時に訪れましたな……」
司祭の一人は何度か話したことがある老人に挨拶しようとすると、老人は暗い顔のままぽつりと話し始める。
「お久しぶりです。やはり戦況は……」
「儂らみたいなもんには噂しか流れてきませんが、内陸の主戦場では負け続きのようで、どうも……」
老人は負けそうだ。と最後までは続けなかったが、一般庶民からしても戦況は悪い。つまりルビー王国とアメジスト王国の侵略に、祖国サファイア王国は敗北するだろうと見ていた。
「ただまあ、ここからは遠いですし、流石に司祭様達を害するようなことはないと思いますが、もしいつも通り近くを回るなら、念のため気を付けてくだされ」
「ありがとうございます」
聞きたいことを聞けた司祭は老人に頭を下げてデイヴィットの下へ戻る。
「デイヴィット司祭、やはり近いという訳ではないようですが、アメジスト王国とルビー王国はかなり進軍しているようです」
「むう……」
戻ってきた複数の司祭から同じ報告を聞かされたデイヴィットは唸りながら空を見上げる。
「なんとかなると思うは思うが……」
「はい……」
デイヴィットと司祭達の語尾は弱い。
一応戦乱に巻き込まれることを警戒している彼らだが、軍に同行しているわけでもない司祭が害されるなどない。ないのだが……。
(エレノア教の大神殿が焼かれるような時代だからな……)
彼らの脳裏につい先日の大事件。最古の宗教勢力であるエレノア教が、千年の放浪の果てにようやく築いた大神殿が焼き討ちされたことがちらつく。結果的に彼らは、常識的に考えると大丈夫のはずだが、直近の非常識のせいで非常に苦しい立場になっていた。その非常識は自作自演だったが。
(上の連中はエレノア教自体もそのまま消え去ってくれてもよかったのにと思ってるようだが、神に弓引く者が現れたことを喜んでどうする)
デイヴィットの内心に顔があるなら、口いっぱいの苦虫を嚙み潰したような表情になるだろう。アルバート教は、自分達より古いエレノア教を目の上のたん瘤と思っている数少ない宗派の一つで、高位の司祭の幾人かはエレノア教大神殿焼失を祝っていた。
(中止は……できんよなあ……総本山でも揉めに揉めていたが……)
そしてデイヴィットだけでなく総本山の高位司祭達も、この後の予定を中止することを一瞬考えたが、千年近く継承されているアルバート教の伝統行事を、自分達の代で途絶えさせることができず、結果的に強行されてしまった。
宗教が世俗の事柄とは別のところにいるというのは建前であり、面子もまた切り離せないものの一つのようだ。
「皆様どうなさいました?」
不思議そうにしているヴェロニカの存在も揉めた理由の一つだ。
千年近く継承されている行事とは、毎年サファイア王国の一部地域で行われる布教の旅で、かつてアルバート教で聖女と謳われた血を継ぐ者が参加することとなっている。
そのためサファイア王国の戦乱前に、聖女を祖先とするヴェロニカの同行が決まっていたが、彼女が秘めたスキルが理由で、最初から外に出すべきではないという意見が出ていた。更にその後に起こったサファイア王国の戦乱でヴェロニカが失われることを恐れた高位司祭達は、彼女の同行だけ取りやめないかと検討した。
しかし残念ながら、戦乱前にサファイア王国に行く者の名を、最早消え失せている神アルバートに報告した形をとってしまっていた。高位司祭達はこれを取りやめてヴェロニカを外した場合、神に対して嘘を告げた背信になると恐れ、結局彼女の同行もなし崩し的に決まったのだ。
ただもう一点理由がある。聖地や重要な場所とまではいかないが、この一帯は神アルバートとほんの少しだけ所縁がある地ではないかと思われており、それも合わさって毎年の行事を取りやめることができなかった。
尤も今までアルバート神に関係する遺物やはっきりとした伝承は確認されておらず、他の宗派だけではなく現地を治める者達も本当かよと思っていたが。
「いえなんでもありません。行きましょうかヴェロニカ殿」
「はい」
伝統という見栄と面子に縛られた一同は旅に向かう。
奇しくもサファイア王国の水攻めが行われる直前の出来事だ。
奇跡的に彼らは無事だった。
アルバート神と所縁があるのではと思い込んでいる地も。
だが……司祭一行が現地に到着した時、周囲の村や町では、溢れた死体と泥によって疫病が流行ろうとしていた。
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