きっかけの一つ

 軍勢が壊滅した報をアメジスト王国が受け取る少し前。


「ルビー王国が退くことはまずあるまいな」


「はっ。仰る通りです」


 玉座に座る四十歳を過ぎたアメジスト王国の王、ハーヴィー・アメジストと追従する臣下が、自国の軍と睨み合っているルビー王国のことで頭を悩ませていた。


「だがここで退けば周辺から侮りを受ける」


「はっ」


 彼らも敵国のど真ん中で仮想敵国と睨み合っている状況が馬鹿げている自覚はある。しかし砂金があると噂されている川を手放すことはできないし、なによりここで退けばアメジスト王国はルビー王国に遠慮せざるを得ない立場であるという間違った認識が広がってしまう。


 早い話がハーヴィーは国家と己の面子を損なうことも嫌がっており、それはルビー王国の王も同じだった。


 尤も人によっては馬鹿げたことだが、王と国家の面子を軽んじられると国防の危機を招きかねないため、それを防ごうとするのは王として異端に近い発想を持つジェイクでも理解を示すだろう。


「面倒な……」


 ハーヴィーが面倒であると呟く。悪いことにアメジスト王国とルビー王国はほぼ同格であり、サファイア王国に攻め入ったのも相手に出し抜かれたくないという競争心が働いていたからだ。その上、現地の軍勢の規模もそう変わらないときたものだ。


 結果的に軍事的な決着をつけるのはリスクの大きい下策となり、政治的にも妥協ができない状況の雁字搦めに陥っていた。


「それとサンストーン王国だがどうしたものか」


 そしてもう一件、面倒とまではいかないが重要な案件をアメジスト王国は抱えていた。


「ジェイク・サンストーン。古代王権とエレノア教の後ろ盾があったとはいえ、神スキルを押しのけて鮮やかに内乱を終わらせたか。しかし現れ方が急すぎるな」


 アメジスト王国がサファイア王国を飲み込んだ場合、次はサンストーン王国と国境を接することになる。ここで問題になるのが、やはり他国から見たジェイク・サンストーンは突然現れた巨人に等しいものであり、ハーヴィーにとっても油断できない存在であった。


「何事も上手くいくとは限らんな」


 ハーヴィーのみならずアメジスト王国の首脳全員、そしてルビー王国にとっても、サンストーン王国は内乱で混乱しているままが好ましかった。それなのにジェイクが殆ど無血で内乱を終わらせたものだから当てが外れてしまった。


「陛下、ブレイク殿が謁見を希望されています」


「うん? 直ぐにここへ」


「はっ」


(ブレイクがこの時間に謁見? まずいことが起こったようだな。ルビー王国となし崩し的に戦端が開かれたか?)


 突然玉座の間の扉で控えていた者が予定にない謁見希望者の名を告げると、ハーヴィーは嫌な予感がした。


 ハーヴィーにとってブレイクという名の男は、アメジスト王国の諜報機関を束ねる者であり腹心でもある。そのため基本的に目立つようなことをしない筈なのだが、玉座の間に態々訪れてきたということは、余程の凶報を携えている可能性が高かった。


(いかんぞ。思ったより大事かもしれん)


 ハーヴィーの嫌な予感は、玉座の間に入ってきたブレイクの顔つきを見てどんどん酷くなる。三十年近くブレイクはハーヴィーに仕えているが、引き攣ったような顔を見せたのはアメジスト王国を揺るがすような一大事だけだ。


「なにかあったか?」


「はっ。少々、妙なことがありまして……」


「ふうむ。執務室で聞こう」


 敢えておっとりと尋ねたハーヴィーは、緊急事態故に玉座の間まで来たが、この場ではいきなり話せないというブレイクの意図を察して執務室へ場を移すことにする。勿論いきなり執務室へ足を運ぶ時点で、なにかがあったと噂されることは間違いないが必要なことだった。


「げ、現地の諜報員が、我が軍とルビー王国軍が増水した川に流されたと。僅かな生存者も討たれたようです」


「なんだと!?」


 目玉がこぼれそうになっているハーヴィーの判断は正しかった。ブレイクもいきなり玉座の間で軍が完全壊滅しただの言えるはずがない。


「ごっ」


 ハーヴィーは誤報ではないのかと言いかけた。しかしこんな誤報を齎した場合、その者は殺されてしまうことが分かり切っているだろう。それなのに王であるハーヴィーまで情報が届いたということは真実、もしくは何かしら根拠がある情報の筈だ。


「こちらに届いている情報は一つのため確定とは言い切れません。しかし、もし複数のルートで同じ情報が届いた場合……」


「い、急ぎ確定した情報を持ってくるのだ」


「はっ」


 歯切れが悪いブレイクをハーヴィーが急かす。断定できる情報でなかったことも、ブレイクが玉座の間で報告できなかった理由だ。


(もし本当に軍が丸々壊滅していたならとんでもない騒ぎになる!)


 ハーヴィーは最悪の未来予想図をしてしまう。


 戦争芸術と呼ばれるような包囲殲滅戦などそうそう起こることはなく、余程も余程の大敗でもなければ、負けても大抵は軍が組織として機能しながら逃げ帰ってくる。そして貴族は身代金のために捕らえられるため、軍の人間が丸々死んで消滅するなどほぼあり得ない。


 だがもしそのあり得ないことが起こった場合、貴族の多くが新たな当主を据える必要があるし、最悪の場合お家騒動で酷く弱体化するだろう。


 そして農民である領民兵の消失は、そのまま生産力の減少に直結してしまうことを考えると、事態はアメジスト王国が傾く原因になり得た。


「川の増水と言ったな……つまり下流も巻き込まれている筈。もし軍の壊滅が本当だった場合、サファイア王国で噂を流せ。サファイア王家は民のことなど虫けらのように思って、川を増水させたとな」


「はっ」


 もし情報が真実だった場合、戦争の主導権を失ったどころではないアメジスト王国は、サファイア王国に構っている暇などない。そのためハーヴィーは、サファイア王国の民を標的にして噂を流して足元を弱めようとした。


 真実かどうかは問題ではない。計略によって軍が壊滅したと公表すれば、敵意や恨みをサファイア王国に向けることが可能で、国内を一致団結するための手段にできるだろう。それに自国の軍が自然現象で自滅したなどと公表すれば、アメジスト王国、そしてハーヴィーの面子を傷つけてしまう。


 それ故にハーヴィーの企みは、軍の壊滅が確定した直後にすぐさま実行された。それはルビー王国も同様で、皮肉なことに睨み合っていたアメジスト王国とルビー王国は、打ち合わせもなしに仲良く同じ行動を起こした。


 尤もサファイア王国が民のことを碌に考えず水攻めしたのは真実であったのだが……アメジスト王国とルビー王国の予想を超えて大事に発展することになる。

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