ひと時の間

 サファイア王国で水攻めが実行される少し前。


「ごほっ。水攻めに賭けるしかないが、果たして上手くいくか……」


 サファイア王国の第一王子スタンリーは、弟であるライアンが討ち死にして軍が壊滅したと聞いた時、すぐさまアメジスト王国とルビー王国の襲来を予測して、対抗するための手段が水攻めしかないと判断した。


 サンストーン王国での敗戦、経済的混乱が合わさり王家は諸侯に命令を下すのも一苦労するほど権威が落ちきっている以上、領民すら水で流す非情の策を用いる発想になるのは仕方ないことだろう。


 しかし……。


 スタンリーには、彼自身ではどうしようもない幾つかの欠点があった。


「国内の復興には軽く百年、下手をすれば二百年は必要だろうな」


 サファイア王国の復興には百年単位が必要なことだって分かっている。それだけだ。


 部屋の本棚を見れば彼の欠点の一つの原因が分かるだろう。


 本棚に収められている本はのことを書いているものしかない。神が君臨した偉大なる古代アンバー王国の血脈を継承しているサファイア王家は素晴らしいものであり、民が王国に従うのは当然のことである。とか。歴代サファイア国王の失策や不都合な部分を隠した煌びやかな史書などなど。


 ジェイクがここにいれば、すぐさま窓から放り投げるような本ばかりなのだ。


 そして弟ライアンがそうであったように、スタンリーも本の内容を丸呑みして自分で解釈しない悪癖があった。尤もライアンと違ってスタンリーは仕方のない部分が多い。


 生来病弱なスタンリーは、サファイア王家に弱い血が現れたと王に判断された。そのため適当な本を与えられただけで、高名なアマラに診断を頼むといったこともせさられず、彼女に認識されないような幽閉状態であり、城の薬師が面倒を見ていただけだ。恥部として殺されていないのは、サファイア王に最後の情けがあったからだろう。


「民には苦労を掛けることになるな」


 だからこそスタンリーの世界は異常なまでに狭く……民というものは素直に言うことを聞くそういう生き物だと認識していた。それこそ苦労を掛けるとだけ独り言を呟く程度に。


「ごほっごほっ。ごほっ! まあ私は今年持つかも分からないが」


 そしてせき込みが激しくなるスタンリー最大の……大きすぎる欠点。


 生死の狭間にいる痩せこけた男は死生観があまりにもあやふやで、死による悲しみや怒りといった感情の力を想像できないのだ。今現在サファイア王国を存続させようとしているのも、自分が死にたくないからではなく王族としての義務感であり、それ以上の感情を持っていない。


 そして彼の献策は、窮地に陥ったサファイア王がなりふり構わず採用したことにより実行されることになる。


 狭い世界で物事を知り、王家の一員として機械的に存在するだけなのが、スタンリー・サファイアという男だった。


 一方、似たような環境であったが、人間社会そのものを露悪的に教育された者こそがジェイクだ。


 ◆


(最近静かだな。頭がキンキンしない。どうやってかは分からんけど、なんか悪いものでも食べたか?)


『こ、この男は……』


 ジェイクは【無能】が最近妙に大人しいことに気が付いていたものの、【無能】の日ごろの行いのせいで理由までは気が付いていなかった。


『それでは望み通りにして差し上げましょう!』


(ちょっ!?)


『おーーーーーーーーーーーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!』


(頭がああああああああああああああああああああ!?)


 ある意味自業自得と言うべきか、ジェイクの脳内では【無能】による特大の高笑いが直接響き渡った。


『あなたが愛読書を読んでいたから気を利かしていただけですわ』


(ご、ご先祖様に感謝感謝)


 過去最大級の爆音に襲われたジェイクは、気を取り直して読んでいた本に目を移す。著者はジェイクの遠い先祖、つまりかつてのサンストーン王国国王である。


(自分のやったこと自己採点しただけじゃなく、失敗をボロクソ書いてる王とか珍しいだろ)


『おほほほ。変わり者なのは本から滲み出てますわね』


 その途轍もなく古いはずなのに真新しいような本には、執筆者である当時の王が施政をどう考えて実行したか、その時の背景、国際情勢を添えられ、成功した結果だけではなく失敗も綴られていた。しかも、なぜ失敗したのか事細かに分析して、王が一つ失政するだけで何人死ぬ羽目になると思っているのだ間抜けめと締めくくり、自分をこき下ろしている有様だ。


(ちょっと感覚が違うから困るけどな)


『ほほほ。よくぞまあ今まで残っていたというべきでしょうか』


 尤もこの本、古すぎるため現代の感覚とはかなり違うので、解釈に苦労するものとなっていたが。


(それにしても、誰も存在を知らないのは当たり前だな。歴代の王だけが読んでたんだろう)


『王が失敗を認めている本なんて、表には出せませんものね。書いた者はちょっと正気でなかったのかもしれません』


 この本は王の執務室の目立たないところに隠されていた。少なくとも建前では、王とは間違えない存在なのだから、失政を分析した本を表に出せる筈がない。しかし王の参考書として、更にもう一つの意味で価値があるため現存してこれたのだ。


(多分、口伝はどこかで捻じ曲げられるから本にしたんだろうな)


『ふむ……なるほど』


(これは現代でも気を付けないとな)


『ええそうですわね』
























『初代サンストーン王……いったいなにを知っていた? 教えられた? まずありえない。まさか……自力で気が付いた? 私の考えすぎでしょうかね?』

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