誓い

(よし。【傾国】は抑え込めてる……というより……)


 いよいよ結婚の儀の当日だが、レイラは出席者の意識を捕えないようにするため、まず自らの【傾国】を抑え込まねばならなかった。


 しかし、至ってしまった【傾国】はレイラの制御を振り切る。という訳ではなく、寧ろ完全に静まっていた。それどころか今の彼女を他人が見れば、絶世という表現ではなく単なる美しい程度に認識してしまうだろう。


(我がことながらようやく分かってきたかもな。やっぱり【傾国】の大本は美じゃない。誘惑も単に漏れ出てただけだ。【傾国】は欠陥を抱えていたんだ)


 レイラは自分の手を掲げて眺めながら思う。


 単に美がくすんでいるのではない。レイラがなんとなくの任意で美を認識させるに至っている【傾国】の所持者は、エヴリンと同じく世界の秘密に近づこうとしていた。


(それにしても……結婚か……昔の私が聞けば耳を疑うだろうな)


 レイラは久しぶりに自分の人生を思い返す。


 父を含め村の男達全員から正気を奪い取り、母や女衆から呪われた存在として忌み嫌われた挙句に、パール王国秘密組織、貝の構成員によって拉致された彼女が、まともに結婚できる可能性などほぼ存在しなかった。


 それなのにあれよあれよと事態が二転三転し、気が付けば同じようにドタバタ劇で大公国の君主になったジェイクと結婚する日を迎えたのだから感慨もひとしおであった。


(今、私は幸せの中にいる)


 全てを滅ぼしかねなかった女は間違いなく幸福であった。


(一緒に生きよう。ジェイク)


 そして今日、それは一つの形になろうとしていた。


(あとは子供だな! 任せておけ!)


 尤もその感慨だけではなくまだ行われてない結婚の儀をすっ飛ばして、別の発想に逸れてしまうあたり、やはり冷静ではないのかもしれない。


「邪魔すんでー。光ってないやろな?」


「私のことを何だと思ってるんだ」


「そのまんまや。急に光る女」


「ぐ……」


 そんなレイラが言葉通り光っていないか確認するため親友のエヴリンがやってきたが、実際その通りの前科がレイラにはあるため反論は不可能であった。


(ほんまよう分からんスキルやな。顔は変わってないのに普段より地味に感じる)


 エヴリンは輝いていないレイラの様子に首を傾げるが、結婚の儀の参加者がレイラの美で卒倒したり魂を奪われないならその方がよかった。


(まあええわ。それよりこの後にウチも結婚や。ふひひ)


 心の中で少々気色悪い笑みを浮かべるエヴリンだけが、周りの女達で唯一まともに結婚を考えられる生活を送っていた。


 レイラは約束された騒動。リリーは黒真珠の宿命。イザベラは愛を求めた狂乱。アマラとソフィーは王族としての使命。


 故に、生まれはあくまで庶民であったエヴリンは、将来結婚をするならどうなるのかねと考える余裕があった。しかし、父に捨てられて人生は一変し、どんな巡り合わせか今日この日を迎えたのだ。


 しかし、その父のことは意図的に考えないようにしていたし、調べるようなこともしていなかった。


 結婚に対する想像をできたエヴリンだが、彼女もまた家族関係に問題を抱えており、ジェイクの周りでまともな家族関係を持っているのは姉妹であるアマラとソフィーだけだった。


 一方、全く浮かれていないプロフェッショナルがいた。


(異常は今のところない)


 普段は可愛らしい妹分で収まっているリリーが、殺しの専門家として目を光らせていた。結婚の儀で慌ただしくなっている城内は、暗殺者や工作員が紛れ込むのに絶好の機会であるため、黒真珠の元工作員達があちこちで警戒しており、最重要護衛対象であるジェイクの傍で控えているリリーも例外ではなかった。


 この現在男に化けている毒蛇も、家族という観点ではかなり奇妙人生だ。姉と言える工作員達や元締めの老婆に育てられたが、それはあくまでも裏の組織の一員であることが念頭にある関係であり純粋な家族とは言い難い。


(ジェイク様は必ず僕が守る)


 そんなリリーがついに待ち望んだ結婚の日。だがかつて自らを道具ではなく人として定義した彼女は、そのきっかけをくれた愛する者を守るため油断なく警戒を続けた。


「イザベラ猊下、こちらになります」


「はい」


 ジェイクの腹心であるチャーリーに案内されているイザベラの足は弾んでおらず落ち着いたものだ。流石人間社会に紛れ込んでいたスライムだ。落ち着いた演技も完璧だと言わざるを得ない。


(ああ! ついにこの日が!)


 なにせイザベラの内面は喜び一色だ。


 桁が違う。


 ほぼ同年代のアマラとソフィーが使命のために生きていたのに比べ、イザベラはただただ千年間愛を求め狂い彷徨っていたのだ。


 一年でも十年でも、百年ですらなく千年も。


 そしてイザベラの頭の中では事実婚状態だったが、やはり結婚の儀を行うのは特別なのだろう。彼女は弾みそうになる足を抑えながら、結婚の儀に立ち会うため式場へ向かう。


「ふむ。父と母も喜んでくれるといいが」


「喜んでくれるでしょう。ただ、ようやく片付いたかと言われるのは間違いない。もしくは、結婚できるとは思わなかった。かもしれない」


「ふっ。確かにな」


 用意された私室で、結婚の儀に招待されているアマラがニヤリと笑いながら、千年も前に死去した父母ことについて口にすると、ソフィーは嫁入りするには尊大する口調のアマラと、女なのに剣を振るって騎士に混じっていた自分の結婚は、これは無理だぞと匙を投げていた両親の顔を思い出し肩を竦めた。


 彼女達はジェイクの周りで唯一身内に恵まれていたと言えるだろう。父母とも仲が良くかつての古代アンバー城で仕えていた者の一部と仲がよかった。


 しかし環境が悪かった。


 神が根幹にいる時代であり世界だったのに、その神の末期が問題だらけだったために世が混乱して、しかもアマラとソフィーは不老不死などという人間の手に余る物まで押し付けられたのだ。


 そして千年も前に父母も数少ない友人も、仕えていた家臣達も全てが亡くなり、時間に囚われた彼女達は世を見続けた。


 いつかやってくる死を夢見て。


「さて、そろそろか。まずは招待客として大人しくしているとしよう」


「ええ」


 生を取り戻したアマラとソフィーが、また時間という名の一歩を踏み出そうとしていた。


 その再びいつかやって来ることになった死を迎える前に、今と未来を精一杯生きるため。


(いよいよ結婚だ)


 ジェイクが自分の人生を反芻する。


 不要である。恥部である。


 そう定められ、愛などほどんど知らない半生。


 王宮にあって存在しない者。


 その人生は王宮から追放されて一変した。


 囚われたレイラ。


 捨てられたエヴリン。


 道具だったリリー。


 彷徨っていたイザベラ。


 時間に囚われたアマラとソフィー。


 愛を殆ど知らないジェイクは、彼女達から貰った愛で男として立った。


 そして今日この日を迎えたのだ。


『おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ! さあ準備はよろしくて!?』


 なにがおかしいのか今日はずっと笑い転げている【無能】が、今日初めて言葉らしい言葉を発した。


(当然)


 ジェイクは簡素に答え、結婚の儀を行うための場へ歩を進めた。


 ◆


 結婚の儀はそう大したものではない。


 戦時下であることに加え、エレノア教の考えは質素なものだし、出席者だってイザベラ、アマラとソフィーのビッグネーム以外は、チャーリーを筆頭としたアゲート大公国の貴族とも言えないような貴族達や一部の有力者程度だ。


 そんな結婚の儀の会場へ、ジェイクとレイラが入って来る。


 なんとも言えない二人だ。


 人の認識に介入していようと完璧な造形で美しいレイラと、ようやく男としての体型になったジェイクは不釣り合いも甚だしい。


 しかしレイラは幸福で堪らないと言わんばかりの顔でジェイクと共に歩き、イザベラの前まで歩を進めた。


「これより結婚の儀を執り行います」


 イザベラが慈母のような微笑みを浮かべて結婚の儀を宣言した。


 そして、結婚の儀自体も元々かなり簡単な物である。


「ジェイクはレイラを妻として結婚をすることを誓いますか?」


 イザベラは古くからの結婚の儀の定めに従い、姓も付けずジェイクを呼ぶと誓いを確認した。


「誓います」


 国家の君主ではなく男としてジェイクが誓った。


「レイラはジェイクを夫として結婚することを誓いますか?」


「誓います」


 世界を支配しかねない者ではなく女としてレイラが誓った。


「誓いは結ばれました。この誓いによって今この時より、ジェイクとレイラは夫婦となりました」


「万歳!」「万歳!」「おめでとうございます!」


 イザベラの宣言と共に、出席者たちが祝福の声を張り上げる。


 古代アンバー王国当時の流れをくむ、簡素でありながら由緒正しい結婚の儀はこれで終わりである。


 だが、一部の者にはまだ続きがあった。


 ◆


 夜も更けたが、結婚の儀の会場はアゲート大公の命でまだ片付けが行われていなかった。


 本来なら夜の会場には誰もいないはずだ。


 だがそこにいる者達。


「ジェイクはエヴリンを妻として結婚をすることを誓いますか?」


「誓います」


 国家の君主ではなく男としてジェイクが誓った。


「エヴリンはジェイクを夫として結婚することを誓いますか?」


「誓います」


 エヴリンに普段湛えている、余裕のある皮肉気な笑みはない。


 社会を破壊しかねない者ではなく女としてエヴリンが誓った。


「誓いは結ばれました。この誓いによって今この時より、ジェイクとエヴリンは夫婦となりました」


 一つの誓いが結ばれた。


「ジェイクはリリーを妻として結婚をすることを誓いますか?」


「誓います」


 国家の君主ではなく男としてジェイクが誓った。


「リリーはジェイクを夫として結婚することを誓いますか?」


「誓います」


 女の姿に戻ったリリーがこれ以上なく真剣な顔で頷いた。


 死と殺しの化身ではなく女としてリリーが誓った。


「誓いは結ばれました。この誓いによって今この時より、ジェイクとリリーは夫婦となりました」


 一つの誓いが結ばれた。


「ジェイクはイザベラを妻として結婚をすることを誓いますか?」


 誓いの立会人である筈の本人がそう口にする。


「誓います」


 国家の君主ではなく男としてジェイクが誓った。


「私、イザベラはジェイクを夫として結婚することを誓います」


 イザベラがぶるりと喜びに震える。


 世界で最悪の人外ではなく女としてイザベラが誓った。


「誓いは結ばれました。この誓いによって今この時より、ジェイクとイザベラは夫婦となりました」


 一つの誓いが結ばれた。


「ジェイクはアマラを妻として結婚することを誓いますか?」


「誓います」


 国家の君主ではなく男としてジェイクが誓った。


「アマラはジェイクを夫として結婚することを誓いますか?」


「誓います」


 アマラに不遜な表情はない。


 不老不死という劇薬で誘っていた者ではなく女としてアマラが誓った。


「誓いは結ばれました。この誓いによって今この時より、ジェイクとアマラは夫婦となりました」


 一つの誓いが結ばれた。


「ジェイクはソフィーを妻として結婚することを誓いますか?」


「誓います」


 国家の君主ではなく男としてジェイクが誓った。


「ソフィーはジェイクを夫として結婚することを誓いますか?」


「誓います」


 ソフィーは無表情ではなく唇の端に笑みがあった。


 言葉で惑わしていた者ではなく女としてソフィーが誓った。


「誓いは結ばれました。この誓いによって今この時より、ジェイクとソフィーは夫婦となりました」


 一つの誓いが結ばれた。


 ジェイク。レイラ。エヴリン。リリー。イザベラ。アマラ。ソフィー。


 それぞれの誓い。


 世がどれだけ混沌としていようと、この場所こそが時代の中心だった。


 そして時代における一つの季節は終わらせねばならない。


 ◆


「出陣する!」


 手紙がサンストーン王国中からアゲートに到着した後。


 ジェイク・アゲート、大逆賊ジュリアスを討伐するため兵二千を率いてアゲートから出陣。


 大神殿奪還と再建のため多数のエレノア教司祭、教皇イザベラが同行。


 また、大神殿に滞在していた関係で古代王権の生き残りアマラ、ソフィーも同行。


 後に大義の行軍と記されたものが始まろうとしていた。


 それは同時に……長い長いジェイクとかつての家族の因縁、内乱の季節が終わることも意味していた。

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