アゲート大公国は完全に祝賀状態であった。


 根こそぎの財貨を奪おうとしたレオの手を払い除けただけではなく、アマラ、ソフィー、イザベラが避難してきたため、アゲート大公国はこれ以上ない箔を手にしたと言っていい。


 しかもである。


『アゲート大公陛下。イザベラ猊下の立ち合いで結婚の儀を行われるご予定』


 この報はアゲート大公国の隅々まで行き渡り、祝賀ムードの形成を決定付けた。


「なんとめでたい」


「いかにも」


「ありがたいことじゃ。ありがたいことじゃ」


 そのためアゲートの民は、我がことのように君主の結婚を喜んだ。


『およよよよよよよ。ついに結婚をするのですね。感無量とはこのことですわ。ぐすんぐすん』


(はいはい)


『あのよちよち歩きをしていた子が』


(はいはい)


『あのハイハイしていた子が』


(はいはい。ハイハイだけに。っていうかいつの話をしてるんだよ)


 それは勿論、ジェイクの教育係である【無能】も例外ではない。尤も彼女は手塩にかけて育てた教え子が結婚することを喜んでいたものの、わざとらしすぎてジェイクにあしらわれていたが。


『おほほほほ! 実感はありますか?』


(あるぞ。子供の時から無縁だと思ってたけどな)


『確かに王宮にいては結婚と無縁でしたね』


【無能】の問いにジェイクは心の中で人生の奇妙さを実感する。いらない存在として無視され続けた幼きジェイクは、自分が結婚するなんてことはないと思い込んでいた。


(しかも兄上達を差し置いてだし)


『知ったらプッツンするかもしれませんわね。おほほほほほほ』


 その上更に、レオは当然としてイザベラを招こうとしたジュリアスも正式な結婚の儀を行っておらず、未婚のままこの大混乱に巻き込まれたのだから、いらない存在だった三男坊がまさかの一歩先んじる形となっていた。


『では結婚の儀に参加する招待状をいただきましょうかね』


(……なんだって?)


『ですから招待状をいただきますわ。適当に一枚、貴方の机にしまっておいてくださいな。さもなくば一日中私の美声で歌を』


(はい完了)


『まあ!? 話してる最中だったのに、そんなに私の美声が聞きたくないと!?』


(絶対に一日中聞きたくない。絶対に)


【無能】の訳の分からない提案に首を傾げたジェイクだが、とんでもない脅しを受けて即座に言われた通りの行動を完了した。


 相変わらずの関係だが、若干似たような関係がアゲートにはもう一組いる。


 惚けるエヴリンにツッコミを入れるレイラだ。よく役割は入れ替わるが。


「長男の次は長女だがいつにしたらいいか……子育ては大変だから少し間を置く必要があるか? 乳母は……できるだけ私の手で育てたいな……」


(こりゃ当分帰ってこんなあ。頭ん中が全部桃色や)


 エヴリンは、部屋でぶつぶつ呟きながら家族計画を練っているレイラに呆れてしまった。


(レイラが、男女の産み分けができる筈だから任せておけとか言うた時は、まあ【傾国】ならそうなんかと思うたけど……それにしても、言った後で顔を真っ赤にしたのはアホやった)


 レイラは結婚の儀の具体的な話が纏まったことで興奮して、男の子も女の子も任せておけ。なんとかなるはずだと言ってのけた後、自分が何を言ったのか理解して顔を真っ赤にしていたが、エヴリンはスキル【傾国】はそんなところまで及んでいるのかとある意味感心して、そうおかしな話ではないかとも思った。


 王家によるが王は男だけだと定めている場所もある。そこへ女児しか生まない【傾国】が入り込めば国が傾く原因になり得るし、男児ばかりで婚姻外交ができないばかりか王位を巡って争うこともあり得る。そう考えると【傾国】の範疇に含まれていると言えるだろう。


(でもやっぱ違うよなあ…)


 しかしエヴリンは違和感を感じていた。


(国を直接滅ぼせるような存在が次の代で傾ける? そんな必要ないくらい強力やん。リリーの推測が正しかったら、全スキルを内包しとるかもしれんのに)


 そもそもが【傾国】は美で国を傾けられるうえに、あらゆる才能まで秘めているのだ。それなのにわざわざ次の代で傾かせるのは非常に迂遠だった。


(最近は何度も思うけど【傾国】は名前だけやな。なにかが隠されとる。これはその秘密を知る取っ掛かりになるかもしれん)


 エヴリンは靄のような【傾国】の端を引っ掴んだ気がした。


(男女の産み分けなんてスキル、アマラさんやソフィーさんでも知らんかった。なら最低でも世に知られていないスキル。もしくは……存在しない……)


 レイラがどうにかして貝の構成員に自分を認識させたときや、服を作るために裁縫道具を浮かせたのは全てスキルで説明できる。しかし、男女の産み分けなどというスキルは世に知られていなかった。もしあればあらゆる王家や貴族が望んだことだろう。


 だが、世に知られていないのではなく無い。そして男女の産み分けが迂遠すぎて【傾国】に必要ないと仮定するなら、そんなことができる【傾国】にある種の矛盾が発生する。


(まあ後で皆と相談やな。今は現実に引き戻さんといかん)


「先のことより今やることがぎょうさんあるで!」


「エ、エ、エ、エヴリン!? いつからそこに!? というかどこから聞いていた!?」


「長男の次は長女がどうのこうの」


「ぬああああああ!?」


 エヴリンは結婚の儀で今忙しいことを思い出してもらうべく、レイラに大声で呼びかけた。するとレイラはこれ以上なくびくりと飛び上がり、ニヤニヤしているエヴリンに聞かれてしまったと頭を抱えた。


「ほんまに忙しいからこのくらいで勘弁したるわ」


「そ、そうしてくれ……」


 だがエヴリンにも優しさがある、のではなく、結婚の儀のあれこれで忙しいため追及を打ち切り、普段の白さなど微塵もなく赤いレイラと結婚の儀の打ち合わせを行った。


 やはりなんだかんだで仲がいいレイラとエヴリンの関係であった。
















 ◆


『オリヴィアを招待してあげたかったですわね。貴女のお腹にいた子が結婚しますわよ。ま、事実婚状態でしたが! おほほほほほほほ!』

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