最悪

 大逆賊ジュリアスの大逆非道、悪逆非道、極悪非道の行い。


 その日、無残にも踏みにじられたエレノア教の大神殿で何があったのだろうか。


「ふむ。滞在先としては快適だったから名残惜しくはあるな」


「確かに」


 ここ数週間、部外者と誰にも会っていないアマラとソフィーが、一般基準としては十分豪奢、最古の宗派が建造した最新の大神殿としては質素な部屋で、ソファに座りながら感慨深げに呟いた。


 各地の王宮を転々としていた彼女達は、常日頃から面倒なパーティーや面会に応じざるを得なかったので、その俗世の介入が比較的少ないエレノア教の大神殿は快適だった。


「休んだ分は働く必要がある」


「アゲートの地の管理ができているか視察に赴いたぞ」


「そうだったわね」


 皮肉気に唇だけ吊り上がったソフィーの言葉に、アマラはやれやれと首を横に振る。


「しかし困った。大神殿が包囲されたままとは身の危険を感じるな」


「同意する。世話になったイザベラ教皇も連れて逃げ出す必要がある」


 アマラが腕を組んで考え込むと、ソフィーは足を組みながら同意した。


 大神殿の包囲はここに滞在しているアマラとソフィーだけではなく、イザベラの身にも危険が及ぶ可能性がある。そのため双子姉妹は、イザベラも含めて現状を打破する必要があった。


「うむ。ならば第一王子であるレオ王子のところに逃げ込むか?」


「それは同意できない。レオ王子は王命を無視した実績があり、内もガタガタなのが目に見えている。下手をすれば内から崩れる場所は安全ではない」


「ならば通り過ぎてサファイア、ルビー、アメジストに駆け込む。パールでもいいな」


「サファイア、ルビー、アメジストは、レオ王子とジュリアス王子の戦いとは違い、完全な戦争状態に突入しているからその混乱に巻き込まれる。そしてパールは情勢が不安定すぎる」


「それは困ったな。近場はどこも大混乱しているではないか」


 アマラが逃げ込む場所の提案をすると、ソフィーはどこもやめた方がいいと肩を竦めた。


 混乱しているのはサンストーン王国だけではなく周辺国家全てであり、とてもではないがどこも安全と呼べない。


「ならそうだな……ああ。それこそさっき話題にしたアゲート大公国があるではないか」


「なるほど。レオ王子とジュリアス王子の戦いに直接関係ない。それにアゲートの視察に行ったから、アゲート大公と臣下に多少の面識がある」


「決まりだな。とりあえずアゲート大公国に、イザベラ教皇を連れて駆け込むとしよう。後のことはその時に考える」


 アマラのアゲート大公国に逃げ込むという提案に、ソフィーもじっくり考えながら頷いた。レオとジュリアスの戦いに直接関与する位置にないアゲート大公国は、周辺各国の混乱に比べたらマシであり、一時的に避難する場所としてなら十分機能するだろう。


「懸念があるとすればレオ王子がアゲート大公に介入して、我々の身柄を寄こせと言ってくること」


「あり得るな」


「それともう一つ。サンストーン王国の貴族が、なぜ我々がレオ王子ではなくアゲート大公の元へ行ったのかと訝しむ。下手をすれば、サンストーン王国の正統はアゲート大公なのではないかと思う可能性すらある」


「それはあまりよくないな。サンストーン王国の正統なんてものに介入するつもりはない。一度その件について各貴族に手紙を送る必要があるか」


「ええ」


 ソフィーの懸念にアマラも同意した。


 古代の王権とエレノア教の教皇がレオではなくアゲート大公の下に逃げ込めば、なぜ正統なる王位継承であるレオの下ではないのかと、サンストーン王国の貴族は疑問を覚えるだろう。


 極端な話をすれば、レオが凄まじい失策をしている場合、アゲート大公をサンストーン王国の正統にすればいいのではという話すら持ち上がりかねない。


 それだけアマラ、ソフィー、イザベラが背後にいるの意味は大きいのだ。

 

 全て時間潰しの茶番的問答であったが。


「お待たせしました」


「丁度いいところに来たイザベラ。逃げこむ先はアゲート大公国に決めた」


「まあ。アゲート大公国に。てっきり遠方のどこかかと」


 部屋に入ってきたイザベラは、アマラから避難先を告げられると目を見開いて驚いた。ふりをした。


「ところで大神殿に踏み入った兵士は?」


「秘密の逃げ口が見つかり、そこから逃げられてしまいました」


「ふうむ。確か、万が一の場合に備えた避難経路を複数作っていたんだったな」


「はい。大神殿は避難所として機能するよう作ったものですので後からこっそり」


 アマラが緊急の用件を尋ねると、イザベラが困ったように頬に手を当てた。


 一刻の猶予もなかった。なんと大神殿に十人ほどの兵が侵入して、しかもまんまと逃げおおせていたのだ


「なにか言ってなかった?」


「なんでも大神殿を燃やすとか。ひょっとしたらどこか燃えているのかもしれません」


「それはいけない。今すぐ逃げる必要がある」


 ソフィーが立ち上がりながらイザベラに問うと、恐ろしい企みが明かされた。圧力のためとはいえエレノア教の大神殿に放火するなど、まさに神をも恐れぬ所業であった。


「城にいる方はもう逃げているのだな?」


「はい。間違いありません」


「ならやるとするか。ソフィー」


「ええ。アゲートに転移する」


 ソフィーの転移魔法によって、アマラ、イザベラも大神殿から消える。


 これで司祭達も既にいない大神殿は完全に無人となった。


「さて」


 だがソフィーが再び大神殿に戻ってきた。何か忘れ物があったのだろう。


 そして彼女が右手を上げると、大神殿のあちこちに置かれて手狭になっていた原因である瓶が一斉に砕け散って、アマラが調合した特別製の油が床に広がった。


「燃えろ」


 原初ではない。しかし、落陽を迎えかけていたとはいえ神々が存命だった時代から生きる、最古の魔法使いがその力を解き放った。


 赤い。赤い。赤い。


 広い大神殿内に広がる赤き炎は油と共に更なる猛き炎となりて、あらゆるものに燃え移る。


 ソフィーが再び転移で消え去ってもそれは変わらない。制御されない炎はついには大神殿の全てに燃え広がり……全てを焼き尽くした。


 そして。


 アマラ達に圧力を掛ける意見を広めたのも、大神殿に兵が踏み込んだのも、ジュリアスの兵が大神殿に放火したがサンストーン王国であっという間に広まったのも……なにより大神殿を燃やし尽くすことをジェイク達に提案したのも。


 全てがスライムの仕業。


「初めまして。エレノア教の教皇イザベラです。他の者達もエレノア教の司祭になります。どうか我々を受け入れて頂けないでしょうか?」


 神を食い殺したこの世で最も悪。最悪の手引きによって。

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