逆悪
夕方に燃え盛ったエレノア教の大神殿は、日が落ちた夜の闇すら消し去るほどの光を生み出し、真夜中を過ぎて鎮火した。
「ああ……」
燃え尽きた大神殿を前に呆然とした声を漏らしたのは、大神殿を囲っていながら白々しくも消火活動をした兵のものか、がっくりと膝をついた貴族のものか。それとも多宗派の司祭のものか。
神が姿を消す以前は実在した神を直接称えていたため、聖職者というものは存在しなかった。
だが神が姿を消した直後、直接的な信仰心は行き場を失いその器が必要になった。故に生まれたものこそが複数の神をそれぞれ称える宗派であり、エレノア教はその中でも最古参。どころか幾つかの宗派の経典では、はっきり最も古いと記載されてさえいた。
その最も権威ある宗派が、千年の放浪の果てにようやく築いた大神殿が燃え尽きたのだ。
教皇であるイザベラが中にいる筈なのに。
「イザベラ教皇!? イザベラ教皇!?」
半狂乱となった兵士や貴族、司祭達が鎮火したとはいえ熱を持った大神殿の残骸を引っぺがす。
だが大神殿の中にいた筈の者は他にもいる。
「アマラ様!?」
「ソフィー様!?」
エレノア教の大神殿には古代の王権にして、全ての貴族の源流である古代アンバー王国王家の生き残りである双子姉妹、アマラとソフィーも滞在していた。
ただし、探している者達にしてみれば、単純にアマラとソフィーの生死という点においては、不老不死の身だから問題でないだろう。殆ど知られていない真実は違うが。
(まさか!?)
実は大神殿を囲んでいた兵達には心当たりがあった。
(あいつらが!?)
大神殿が燃え盛る前に、十人ほどの兵が大神殿に入ったところを目撃していたのだ。そこから発想が飛躍して、統制から外れた兵が中で乱暴狼藉を働き、今回の大事件が起こったのではと想像してしまった。
「よくもこのような!」
そんな想像も怒り狂っている司祭達には関係ない。彼らはつい先日にエレノア教の司祭から、夜の大神殿は常に篝火で囲まれ、なにかの拍子で放火されるのではないかを恐れていると告げられたばかりだった。そして実際に兵が大神殿を囲んでいるところも確認してもいる。
そのため多宗派の司祭の頭の中では、今回の事件がジュリアスによるものだと確信していた。
◆
「なにがどうなっている!」
王城の一室で叫ぶジュリアスにしてみれば寝耳に水だったが。
確かにこの男は、イザベラ、アマラとソフィーの三人がレオに協力することを懸念して、大神殿の監視を命じていた。
しかしである。
「大神殿を完全に囲んでいただと!? 誰がそんなことを命じた!」
大神殿を遠巻きに監視するための人員は送っていたが、いつの間にか兵がどんどんと増員されて、短期間で大神殿を完全に包囲していたことを知らなかった。
ここにレオがいれば、あれだけ間抜けを晒しておいて、まだ下の者が命令されたことしかしないと思っているのかと嘲っただろう。
ただし、今回は善意だ。
ジュリアスが知らないところで広げられていた善意。主のジュリアスはパール王国の陰謀を暴いて防ぎ、正しいことをなしていたのだから、少しだけ、そう、ほんの少しだけ大神殿に圧力をかけたら、尊い者達も分かってくれるだろうという善意。
そんな馬鹿なことがあるはずがない。圧力は圧力であり脅しなのだ。それで上手くいったとしても、後々ジュリアスの耳に入ればとんでもないことになるだろう。
だが正義も大義も人の目を曇らせて、思考力を奪い去る。
ジュリアスが知らないところで短期間に暴走した善意という甘い甘い果実は、腐臭を放ちながら地面に落ちたのだ。
「これはパール王国の陰謀だ! 必ず下手人を探し出せ!」
困ったときのパール王国頼み。これは隣国の陰謀であると断言したジュリアスだが、この下手人探しは失敗した。
なにせジュリアス傘下の文官達はあやふやな善意で動いていたため、誰が兵を増やすように命じたのかはっきりせず、命令書も存在していない。つまり気が付けば事態が深刻化したという間抜けぶりだった。
「あいつはどこにいった!?」
夜中に慌てて王城や王都を駆け回る羽目になった近衛兵たちが絶叫する。
王都や王城から急にいなくなった者が怪しいのは当然だが、事件直後からその急にいなくなった者がやたらといたため、調査を行った者達は混乱の極みに陥った。
ある文官は急に実家の竈の残り火が心配になり、また別の文官は自分探しの旅に出かけていた。他にも様々な理由で王都から知的生命体が離れたが、その本当の理由も様々だ。明らかに危険なジュリアス陣営から一刻も離れなければならないと思った判断の早い者もいれば、僅かながら大神殿の増員された兵の件で関わりがあると自覚している者などなど。
とにかくそのせいで、いなくなっている者達の中に、事件“直前”に消えた者がいることに気が付くことができなかった。
「焼死体が一つもなく、アマラ様とソフィー様もいないとはどうなってる!?」
この叫びは、一日中大神殿を掻き分けて、生きている筈のアマラとソフィーを探している兵のものである。
更に事態を複雑にしたのは、焼失した大神殿のどこにも焼死体どころか、不老不死の筈のアマラとソフィーがいないことだ。
これでは彼女達に弁解することができないし、いないこと自体も大問題だった。
しかし最も致命的だったのは。
「ジュリアスの命令で大神殿に兵が踏み入ったのは間違いないらしい」
ジュリアス側がパール王国の仕業であると情報統制を行うより早く、あっという間に王都で虚偽と真実の
◆
一方、サンストーン王国王都から遠方、アゲートの地でレオが派遣した使者たち五百人と、千人ほどの人夫が歩を進めていた。彼らの任務はアゲートの地の財をできるだけ回収することである。
(うん? 百人と少し? 旅人と言うには多いな。隊商か? まさか変装した盗賊とは言わないだろうな?)
そんな使者が、少し離れた場所の木陰で休憩をしている隊商らしき者達を見つけると、厳しい戦いを潜り抜けた武人として、ついつい危機があるのではと考えてしまう。
これもまた高慢と表現できるだろうか?
そもそも、彼らはつい先ほどアゲート大公国という他国に足を踏み入れたのだから、呑気なのことを考えている場合ではなかった。
「あれは!?」
使者たちの進路上にある小高い丘の上に、砂塵を巻き上げながら現れるアゲートの旗を掲げた軍勢。その数二千五百。使者たちの実質的な戦力が五百であるため五倍もの戦力差だ。
(これはまずいぞ! 国境に足を踏み入れたばかりなのに既に軍がいたとなると、どう考えてもアゲート大公はレオ殿下の考えと我々の動きを分かって軍を起こしている! レオ殿下と一戦交える覚悟だ!)
アゲートの周りは全てレオ陣営の勢力下なのだから、アゲート大公が軍事行動を起こす理由は限られている。つまり騎士達の前に軍が現れたということは、相手がレオの勢力であることを分かってた上での行動なのは間違いなかった。
「これはいったいどういうことだ!」
だが使者達にとって真の脅威は軍勢ではなく、木陰で休んでいた隊商らしき一団から馬を走らせて抜け出した二人の女だ。
「げっ!?」
ある人間の顔を知っているという共通点を持つ、複数の使者が絞められた鳥のような絶叫を上げた。
この使者団の前提は、アゲートの地を管理するようアーロン王に要請したアマラとソフィーに、自分達の姿を見られないことだ。後々にアゲート大公がアマラとソフィーにこのことを訴えても、レオ陣営は、いや、使者は護身用の武器は持っていただけであり、金だってアゲートが親切にくれたと言い張るつもりだった。
(終わった……)
その前提が完全に、木っ端微塵に砕け散ったことを、幾人の騎士は気が遠くなりながら察した。
「このアゲートは古代アンバー王国の末裔である我が名アマラと、ソフィーの名で管理を要請して、アーロン王が承諾した結果、アゲート大公が治めている地だ! それなのになぜ軍が足を踏み入れている!」
よりにもよってそう言い放ったのがアマラであり、その傍らにはソフィーまで揃っているのだ。
(ま、間違いない……アマラ様とソフィー様だ……)
しかもこの自称使者団、当然アゲートの土地勘がある者が多く抜擢されていたが、彼らはアマラとソフィーがアゲートの地を視察した際に付き従っていた者達であり、それ故に彼女達の顔を知る者が多かった。
「まさかアマラ様とソフィー様なのか!?」
「ああ……」
「な、なんたることだ!」
アマラとソフィーの顔を知らない者達も、彼女達の名乗りと一部の者の狼狽えで事態を察し、しかも肯定されたことでパニックになった。
そのため自称使者団は、騎士鎧を身に着け槍や弓などで重武装していることと、人夫も全員が護身用と称して剣を携えている動かぬ証拠を古代の王権に見られたと判断するしかなかった。
自称使者達に目の前のアマラとソフィーが何者かの変装という発想はない。彼女達の姿に化けて名を騙るのは古代アンバー王国を根幹として発展した封建世界ではまさに禁忌中の禁忌であり、その世界で生きる自称使者には想像すらできないことだった。
「誰の企みだ!」
「レ、レオ殿下の命令で……」
そんなソフィーから直々に問いただされた自称使者の一人は嘘をつくこともできず、自分達がここにいるのは主であるレオの命令であると正直に話してしまった。
「ならばお前たちは許そう!だが帰ってレオ・サンストーンに、いやレオに伝えよ! よくも古代の王権とアーロン王の王命を踏み躙ったなと!」
なんの実行力も強制力もないアマラの非難声明だが、途轍もなく重いものである。
アマラとソフィーは各地の王族に対して殆どその影響力を用いず、稀にあったとしても古代アンバー王国に関する事柄だけである。その稀を踏み躙った者など存在しなかった。今までは。
結果的に、レオは古代アンバー王家の生き残りに歴史上始めて名指しで非難された男になってしまった。そして乱発される非難と、初めてされた非難では全く重さが異なる。
そのためレオという存在は間違いなく、政治的に死んだ。
弟のジュリアスと共に。
「た、た、直ちに!」
自称使者たちは激怒する古代の王権に楯突けるはずもなく、這う這うの体で来た道を戻るしかなかった。
「さて、もう一仕事か」
「ええ」
アマラの呟きにソフィーが同意する。
(できることならアゲートを攻めるなと宣言したかったが、それをすると各国の王家も同じ事をしてくれと言い出すのは目に見えている。だが乱発したところで世が平和になることはありえない。必ずどこかで破られる以上、それは結果的に権威という武器の切れ味を落とすだけだ)
アマラは思いを巡らせながら元居た集団に合流すると、小高い丘に布陣した軍に向かって馬の足を進める。軍には様々輝きを宿したアゲート石の、アゲート大公の旗もある。
「ま、まさかアマラ様にソフィー様!」
急に自称使者たちが退散したことを訝しんでいたアゲート大公だが、やって来る一団の中に見知ったアマラとソフィーがいることに気が付くと、慌てて供回りと共に馬を降りて彼女達を出迎えた。
「急にすまん。知っているかもしれんが、エレノア教の大神殿が逆賊ジュリアスの兵に囲まれてな。これはもういかんかもしれんと思い密かに脱出して、多少縁のあるアゲートに逃げ込ませてもらった」
「先ほどの軍はレオが送り込んだものらしい。でも詳しい話をする前に紹介しないといけない人物がいる」
アマラとソフィーが自分の身の回りで起こったことを説明しながら、後ろにいるフードを被った人物に顔を向ける。
「初めまして。エレノア教の教皇イザベラです。他の者達もエレノア教の司祭になります。どうか我々を受け入れて頂けないでしょうか?」
フードを脱いだ女教皇イザベラが愁いを帯びた表情で、初対面のアゲート大公にそう懇願した。
悪の化身が。
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