大逆悪

(ルビー王国とアメジスト王国がサファイア王国に攻めかかったか)


 サンストーン王国の国境貴族であるエバンが自室で物思いに耽る。


 事実上の敗戦から立ち直れていないサファイア王国を好機と見た隣国が、弱肉強食の掟に従い攻め入った。その大義は百年ほど前の領土争いの因縁という非常に高貴でご立派な難癖だったが、攻め入った側にすれば大真面目なものだ。


 そんな大義はさておき、この戦争でエバン達国境貴族は臨戦態勢になっているものの、いい知らせでもあった。


(これで一先ずサファイア王国がこちらに侵攻してくる余裕はなくなった筈。レオ殿下が逆賊ジュリアスを打倒する際に横やりが入らないのはいいことだ)


 エバンが頭の中の地図を思い出しながらほっと息を吐く。


 サファイア王国が新たに抱えた戦線はサンストーン王国の国境からは非常に遠く、直接巻き込まれるような位置ではなかった。そして最早防戦するしかないサファイア王国が、サンストーン王国に介入する余力がないのは明らかであり、きたる逆賊討伐の真っ最中に余計なちょっかいを掛けてくる勢力がいないのは喜ばしいことだった。


(しかし……国体を維持できるか?)


 だがなにもかもが晴れ晴れとした天気のようではない。


 レオさえいれば何とかなるという熱狂は既にレオ陣営の貴族にはなく、その上でサファイア王国の窮地は将来の自分たちの姿ではないかという思いが漂っていた。


(結局のところ逆賊ジュリアスは除くとしても、相手は文官派とはいえサンストーン王国の貴族なのだ。それと血で血を洗う戦いをして勝ったところで、サファイア王国を降したルビー王国とアメジスト王国には血の滴った美味そうな肉に見えるのでは?)


 エバンやレオ傘下貴族の懸念は戦後のサンストーン王国だ。


 戦えば勝つという思いはまだある。しかしジュリアスを打ち破っても、落とした首はサンストーン王国の文官貴族で、殺した兵はサンストーン王国の民なのだ。ただでさえ政で四苦八苦しているレオが、内乱後に荒廃したサンストーン王国を治められるとは到底思えず、今どうにかなっても将来的にまた出陣すらできない状況に追い詰められてしまう可能性があった。


(なんとか……なんとかジュリアスだけを取り除き、緩やかな元通りには……いや……都合がよすぎる……)


 逆賊ジュリアスだけは容認できないが、再び強く偉大なサンストーン王国にも戻りたい。戦ではなく金がないという現実に打ち負かされ、そんな思いを抱いている武官貴族が一定数出始めていたが、都合がよすぎるのもまた事実だった。


 ただし、好材料がないわけではない。睨み合いが上手い具合に作用して、レオ派とジュリアス派は直接刃を交えていない。そしてジュリアス挙兵時に王都にいたレオ派の貴族は捕縛、ないしはレオと共に逃亡していたため殺害されておらず、怨恨の類があまり発生していなかった。


(それにレオ王子が敵対者を許すとは思えない)


 第一王子である尊き身なのに憎き弟ジュリアスの奸計で王都から逃げざるを得ず、屈辱に塗れたレオはジュリアスだけではなくジュリアスに味方する者全てに特大の怨恨を抱えていたが。


(纏めると、レオ殿下がジュリアスだけを取り除いて文官派閥を許し、国体を維持して隣国の脅威に備える……無理……)


 自分の結論なのにエバンは顔を覆って不可能だと断じた。


(もっと直接的な大義が……国王陛下の勅命があれば……)


 そして現実逃避的に、今現在の情勢では存在しないものを求めてしまう。


 ジュリアス陣営を無血で崩す僅かな望みがあるとすれば大義だ。故にこそジュリアスが保護していると宣っているアーロン王がジュリアスの大義を否定し、サンストーン王国最高位の存在として逆賊討伐を命じれば、ジュリアス傘下の貴族は存在意義を根底から揺さぶられるだろう。


 ただし、あくまでないものねだりだ。


(あー。ジュリアスを木っ端みじんにできるような大義ないかな……)


 考え疲れて子供のようなことを思うエバンだが、彼のような国境貴族は先のサファイア王国の戦いで身銭を切っていたため、税を上げる対象から外れていたからこそある意味気楽だった。


(これでは……我が領地は滅ぶ……!)


 税を上げた試算をしたレオ傘下の貴族達は、自領の経済状況と照らし合わせたら、ほぼ間違いなく村落で離散が相次ぎ、領民が逃げ出してどうにもならないと結論を出した。


 元々旧エメラルド王国領だった土地は完全に復興しているとは言い難く、サンストーン王国の地を治める者達も、戦は得意だが内のことに関する能力では疑問符が付くのだ。そこへ重税を課そうものなら、とんでもない大混乱が起こるのは目に見えていた。


(このままレオ殿下の下にいては……いや、逆賊に与する訳にはいかん! だがどうすれば!)


 レオ勢力はボロボロだったが、なにより拙かったのはサファイア王国が交渉のための軍を起こしたとき、国境貴族に援軍を送れなかったことだろう。勿論これが張ったりなことは誰もが分かっていた。しかし自領がジュリアス軍に侵攻された際に、援軍が来ないのではという疑惑が生じてしまい、それは今でも続いていた。


 最早、レオとジュリアスの勝敗は決する。


 前にエバンの一部の望み通り大義が発生した。


 一部というのは、ジュリアスを木っ端みじんにする大義ではなく、レオをも粉砕する大義だったことだろう。


 奇しくもサファイア王国が攻め込まれたことで金不足となり、粗造されたサファイア王国通貨が生み出され、それが偶然パール王国で見つかり、ルビー王国とアメジスト王国はサファイア王国に夢中。そしてレオが派遣した使が、アゲート大公国の領地に足を踏み入れた直後。


『貴方をいない者として扱い、無能として扱い、邪魔ものとして扱った。それらが滅ぶ様を笑えばいいじゃないですの』


「人間の複雑さを善意だけ求めるおとぎ話と同列で語るな」


『おほほほほほほ! では頑張ってみなさいな!』


 ジェイクと【無能】が話す直後。


 ◆


 サンストーン王国王都。


「あ。あ。あ」


 呆然と呟く声が漏れる。


 ガチガチと、ガチガチガチガチと震えが止まらぬ歯の持ち主は文官派の貴族だ。


「まさか……まさか……そんなまさか……」


 誰もが呆然と見上げる先には、夕暮れに浮かぶ真っ黒な真っ黒な真っ黒な煙。


 発生源は王都にほど近い泉。


「なんてことを! なんてことを! なんてことを!」


「自分達が何をしたか分かっているのか!? 千年だぞ!? 神がお隠れになって千年! その前後に生まれた歴史そのものなのだぞ!」


「あああああ!?」


 その泉の傍で絶叫を上げる他宗派の司祭達。


「消せええええええええ!」


 しらじらしい兵の声。下手人は明白極まる。


 大勢の兵で囲み、夜には火が絶えないことを司祭たちは目撃している。


「火を消せえええええええええ!」

 

 燃える燃える燃える燃える。


 パチパチと。メラメラと。 


 燃え盛る白亜の大神殿。


 簒奪のための反逆、原初の古代王権への攻撃、世界最古の宗派総本山への放火。人は言う。ありえざる三悪逆を行いしは最早逆賊にあらず。


 逆賊ジュリアスの手によってエレノア教大神殿焼失。


 ここ数週間姿を見せていなかった女教皇イザベラ生死不明。双子姉妹アマラ、ソフィー、世間的にはまだ不老不死ゆえに行方不明。


 重ねて述べるがレオの使者がアゲートの地に足を踏み入れた直後であり。

 

 エレノア教の大神殿に圧力を加えるべきだと主張していた複数の文官が、サンストーン王国王城から姿を消した後の事件である。

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