単なる日常
「ルビー王国に明らかな軍事行動の予兆。アメジスト王国も各領主軍に動きあり。狙いはどう考えても混乱しているサファイア王国だよなあ。それでサンストーン王国もパール王国も政治的混乱の真っただ中。うーん煮詰まってきたなあ」
「あちこち大騒ぎですね」
自室のソファに座ったジェイクが、表に出せないエレノア教の司祭から送られてきた報告書を読みながらため息を吐くと、ちゃっかり彼の隣を確保しているリリーが端的に世界の情勢を表現した。
特に事実上の次期王であったライアン・サファイアが戦死して、各地の領主が捕縛、ないしは戦死した挙句、その領主軍が壊滅したサファイア王国の混乱は酷いものだ。隣接する王国が軍事行動を起こすのは当然と言えた。
尤も、第一王子と反逆者が王位を争って内乱状態の筈なのに、睨み合いしか発生していないサンストーン王国と、王に宰相まで急死したパール王国も酷さでは負けていないだろう。
「まあ、弱ったら叩けが世の掟だからね。サファイア王国が混乱しているサンストーン王国に攻め入ったのが道理なら、その逆が起こるのも道理だよ」
ジェイクは混乱するサンストーン王国がサファイア王国に攻められたことが当然なら、それに失敗したことによる混乱が原因で、今度は攻められる側になるのもまた当然だと割り切っている。
「古代アンバー王国が滅んで千年。その直後に大小様々な者が、王権であった“石の冠”を戴くに値するとして石の名前を名乗り消えていったけど、つい数年前まではかなり平穏だった。それを考えるとやっぱり急に煮詰まってるね」
「うん? なら王でもない大公なのに石のアゲートを名乗ってよかったのか?」
「アゲートは例外。忌むべき石の王位なんか誰も認めないから」
「なるほどな」
お勉強で教えられた知識と最近の情勢について呟くジェイクに、リリーと彼を挟んで座りお茶を飲んでいたレイラが首を傾げながらアゲート石について尋ねたが、現実はなんとも世知辛いものであった。
ただし、神から授けられたとされるパール状の器官を誇っていたパール王国人の祖先達は、大地の石ではなく貝から取れるパールを王権と国家の称号に使っていた。
『おほほほほほ! 悪評だらけのサンストーンに戻らないといけない人は大変ですわね』
ジェイクの脳内で【無能】がいつも通り馬鹿笑いをする。
(どの王国も千年続いてるんだぞ。悪評が存在しない王国なんて存在しない。歴史の話だがアメジスト王国なんて、戦争相手の国だったとは言え街一つを皆殺しにしてるぞ。それに俺達が生き残るにはその悪評を兄上達に被せるしかないし、なにより国力を保持して終わらせる方法はこれだけだ)
『おほほほほほ。ま、確かにそうですわね。どの国も外交なんて気にしない状況に突入しつつありますし、国力がないならいいようにされるだけです。あ、いいことを思いつきました。アゲート大公国の属国サンストーンにすれば万時解決しますわよ。これで皆幸せというやつですね』
(そうだな。俺の晩年か子供の代で皆不幸せだな)
『おほほほほ。ぽっと出の宗主国より圧倒的に歴史が長い属国なんて上手くいきませんからね。あ、それなら名を、いえなんでもありませんわ』
(うん?)
『いえいえ。説明するのが面倒だなんて思っていませんとも』
(なんじゃそりゃ)
そして【無能】はこれまたいつも通り妙なことをジェイクに吹き込もうとするが、冷静に受け流されてしまった。
「よし、仕事終わり。レイラ、背中向けて」
「うん? こうか?」
報告書を読み終えたジェイクはそれを机にしまってソファに戻ると、レイラに背中を向けるよう促した。
「そうそう。ていや」
「ぬあ!?」
ジェイクが背を向けたレイラの肩をグッと揉むと、彼女は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「どこか凝ってる?」
「そそそそうだな! あ、あちこち凝ってるかもしれない!」
ちょとしたスキンシップのつもりだったジェイクだが、初心で真っ赤になっているレイラには効果覿面だった。常時万全な体調が維持されているレイラは肩が凝ることがないのに、態々嘘をついてまでジェイクと触れる時間を増やそうとしていたほどだ。
「じゃあ僕はジェイク様の肩を!」
「ぬあ!?」
この好機を逃すリリーではなく、ジェイクの肩を揉んで奇襲攻撃を敢行すると、彼はビクンと背を伸ばしてしまった。というのも人体の構造に詳しすぎるリリーはマッサージやそれに類する腕前も相当なものであり、普段ボケっとしているジェイクに声を出させるほど完璧な力加減だった。
こうして、【傾国】の肩を揉む無能の肩を揉む【傾城】という、訳の分からない構図が出来上がった。
「ど、どうだ!?」
「髪も肌もサラサラだね」
「そうか!」
レイラは肩を揉んでいるジェイクにどうだ? とよく分からないことを聞くが、ジェイクの返答も妙だ。尤も彼は確かに、レイラの背に流れる真っ白な髪と赤くなっている首筋の肌を触れているのだから、その感想自体は嘘でない。
そして、もしこの場に所用で席を外しているエヴリンがレイラの姿を見れば、いつも通りちょっろと感想を述べてくれたことだろう。
「ジェイク様はがっしりしてて逞しいです!」
「ふっふっふっ。ありがとうリリー。素振りの成果を実感するなあ」
一方のリリーは、ジェイクの肩から感じる筋肉を堪能していた。
「じゃあ次はリリーに」
「お願いします!」
レイラの肩を揉み終わったジェイクは、体の向きを変えてリリーの肩を揉むことにした。
「なら次は私が揉む番だな!」
「じゃあお願いレイラ」
「任せろ!」
ならば今度は自分がジェイクの肩を揉む番だと意気込むレイラは、ほっそりとした指で彼の肩に触れた。
(や、やっぱり男の体だな)
ゆっくりジェイクの肩を揉み始めたレイラは、以前に彼の手のひらを触ったときのような感想を抱く。
「ジェイク様、僕はどうですか?」
「なんて言ったらいいんだろ。吸いつく感じの肌かな?」
「えへへ」
リリーが感想を求めると、ジェイクは彼女の褐色の肌を吸いつくようだと表現したがそれはそうだろう。まさにジェイクだけを逃がすまいとする食人植物なのだから。
「ジェイク。書類仕事ばかりで目も疲れてないか?」
「それに座り仕事はお腰にも負担が掛かりますよ」
暫く肩を揉んでいたレイラがおずおずとジェイクの耳元で囁くと、振り向いたリリーも同じように反対側の耳元で囁いた。
「え? ちょ」
ジェイクが困惑したところで無意味だ。彼はソファに仰向けに押し倒され、暫くするとうつ伏せにひっくり返された。
「延長やでお客さん」
更にそのスキンシップは、突撃してきたエヴリンによって延長されることになる。
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