暗殺成功

 パール王国が暗殺計画を立案した際、暗殺の実行はレオの婚姻パーティー前と決定していた。そうしなければパール王国は姫をレオの元に送らないといけないし、祝いの品などで余計な予算が掛かるためである。


 そして、警戒度が跳ね上がることを懸念して、それぞれの暗殺は定められた同日に行われることにもなっていたが、ここで問題と言うべきか……笑い話と言うべきか。作戦行動に移った貝は情報が漏洩しないよう、横とも縦ともやりとりを断つため、ジェイク暗殺部隊が壊滅していることを知らなかった。


 そのため前提からして既に破綻していたパール王国だが、幸いなことにジェイクとレオの関係は最悪なものであり、ジュリアスとの繋がりはないため、暗殺計画は露呈していなかった。


 尤も、貝の現場がとてつもなく苦労しているのは変わりない。


「やはり厨房に入り込むのは無理だ。毒を使うなら余程上手くやる必要がある」


「いっそのこと、国からレオ王子に送った酒に毒を入れたら楽なんだが」


「違いない。いや、誰がやったかすぐ分かるし、なによりレオ王子が飲む保証がないな」


「それもそうか」


 レオを暗殺するための暗殺者達が苦笑し合う。彼らはできれば【戦神】レオと直接殺し合うようなリスクを取りたくなかった。しかし、時間的な余裕がない彼らは毒を盛るための前段階に至ることすら出来なかった。


「おかしい……臍出し共はこんなに腕が立つの?」


「そんな馬鹿なことある訳が……」


 一方、また別の問題にぶち当たっていたのが、ジュリアスとアーロン王を暗殺するために送り込まれた女暗殺者達だ。


 なにせ彼女達の懸念する【傾城】どころか、人間としてすら見ていない臍出しの黒真珠が影も形も見当たらないのだから慎重に動かざるを得なかった。


「褐色の肌を持った女達が王都で酒場をやっていて、ある日を境にいなくなったことは間違いないみたい。多分、臍出し達が情報収集していた拠点の筈だけど、今は王城に潜んでいるのかも」


「面倒な」


 これまた笑い話にもならないが、女暗殺者達は元黒真珠がサンストーン王国の王都で活動していたらしき形跡を掴んでいた。そのせいでジュリアスの下に元黒真珠がいるのは間違いないと思い込んでしまったが、あまりにも状況証拠が揃いすぎているため致し方ないことだろう。


「明らかに作戦行動中ね」


「まさか私達の存在がバレた?」


「いえ、確信は持っていない筈。どちらかというとレオ王子が暗殺者を送って、それに警戒していると考えた方が自然では?」


「そうね」


 そして、女暗殺者達目線で元黒真珠がいるのはほぼ確定していたが、そうすると今現在全く痕跡がないことが、作戦行動に移っている自分達の状況と重なってしまう。しかしこれまた状況を考えると、パール王国の暗殺者を警戒しているというよりは、怨敵であるレオが送り込んだ暗殺者に備えている可能性が高かった。


「どちらにせよもう時間がない」


「ええ。やるしかない」


 結局のところ、貝を追い詰めているのは上層部が定めた暗殺の期日だ。職人には職人の見積もりがあるのに、それを無視して期日を押し付けられたせいで、無茶苦茶な形で彼らは暗殺を実行する羽目になっていた。


 そしてついにその日を迎える。


 ◆


 レオ暗殺の使命を帯びた貝の最精鋭十人が、闇夜に紛れ込んで城に侵入する。


 その隠形は見事なもので、スキルに頼っていないのに城の衛兵は誰も気が付かず、ついにはレオの寝室への接近を許してしまう程だ。


 そして寝室の前で寝ずの番として控えている者達を、スキル【無音】を使用することによって、音の出ない現象が起こっているうちに殺し、そのまま寝ているレオを暗殺する。


 筈だった。


 無音の中で暗殺者達が寝ずの番に襲い掛かった瞬間に、扉から抜身の剣を持つレオが出て来なければ。


「!?」


 驚いたのは寝ずの番だけではなく暗殺者達もだが、レオはそんなことお構いなしだ。


 サンストーン王国王城での襲撃を経験したスキル【戦神】は僅かながらも成長しており、眠っていたレオは危険を感じると直ぐに飛び起きて、その原因の排除に乗り出した。


 そして、あまりにも予想外な事態にほんの少しだけ思考が乱れた暗殺者の一人に剣を振るい、一瞬でその首を断ち切った。


(マズい!?)


 初めてレオの技量を見た暗殺者達は、殺しの最精鋭なのに危険を感じた。闇に生きる彼らですら覚えがない程にレオの剣は鋭く振るわれ、今もまた剣を躱しきれず一人が倒れる。


(戦う神でも……限度があるだろうが……)


 暗殺者がスキル【発光】によって、全身から強烈な光を発してレオの目を眩まそうとした。だがその暗殺者が最後に見た光景は、目を閉じているのに四方から迫る剣を躱すばかりか、寸分違わず己の首に剣を振るったレオの姿だった。


(無音で見えてないんだぞ!)


 別の暗殺者が心の中で絶叫する。未だ無音の状態は続いているのに、レオは目を閉じているのだから当然だろう。しかし、レオは目を閉じた闇の中だろうと無音だろうと、敵の殺意と気配をはっきりと感じ取り、スキル【針生成】で生み出されて暗殺者の口から発射された含み針まで躱す始末だ。


(ブラウン!? 音が!)


「っ!? 襲撃だああああ! 暗殺者だああああ!」


(くそったれが!)


 ついにはスキル【無音】の持ち主すら打ち倒されてしまい、生き残っていた寝ずの番たちが大声で叫ぶ。最早暗殺の失敗は明らかだが、逃げるかせめて標的の首だけでもという選択肢すらレオは許さない。


(速すぎる!)


 一瞬だけ逃走経路に意識が向いた暗殺者がレオに首を刎ね飛ばされ、その加速していく戦神の姿に残った暗殺者達は恐れおののく。


 ひょっとするとレオは、世界最強の座にいるのではと錯覚を受ける程の速さ、それほどの剣捌き。尤も、それはあくまでこの場にいる者達の視点での思い込みだが、少なくともレオはこの場にいる誰よりも超越していた。


 そして……暗殺者達が屍に……物となって【変装】が解けて、パール王国人の特徴を曝け出すのにそう時間は掛からなかった。


 ◆


 一方、ジュリアス、アーロン王暗殺部隊。


「逃がすな!」


「囲め!」


「くそっ!?」


 激戦を繰り広げていた。


 相手は元黒真珠ではない。場所も王城ではない。


 暗殺計画が実行に移され拠点から王城に忍び込もうとする直前、そこに軍が踏み入った、


 言葉通り数千の兵力の軍だ。暗殺者達は完全に油断していた。王都内に兵が集まっている兆候を掴んでいたが、まさかそれが自分達を殺すためのものとは夢にも思わず、暗殺者にあるまじきことに真正面からの戦いを強いられることになる。


 そして暗殺者達が恐れられているのは、様々なスキルや技量を秘めて不意を打てるからだが、あくまでそれは非武装状態の標的を始末することが念頭に置かれている。つまり鎧を着込んだ重装備の軍と戦闘することなんて暗殺者は誰も考えておらず、完全に専門外な事案だった。


 数十人の暗殺者と数千の兵。勝敗は分かり切っている。


 どれだけ女暗殺者達が奮戦しようと、すぐさま彼女達は討ち取られていった。


 だが問題があった……。


「顔は合ってるか?」


「間違いない。似顔絵通りだ」


「危なかった。どう見てもこれから暗殺に行く直前の様子だった」


「ああ、間に合ってよかった。これ以上の失点は許されないからな」


 近衛兵が死体となった女暗殺者達の顔を見分していくが、なんと彼らの手には女暗殺者達がスキルによって変装した際の顔と、その素顔の似顔絵が書かれた紙を持っているではないか。


 それを使った衛兵達はぎりぎりで暗殺者達の拠点を突き止めて、数の暴力で押しつぶしたのだ。


 どうやってか。


「おい! 一人足りないぞ!」


「なに!?」


 だが、暗殺者達にとって幸いにも、唯一拠点におらず暗殺失敗の報告をパール王国に届けることができた者がいた。


 ◆


 アマラ、ソフィー、イザベラがいる大神殿にも、王都で起こった騒動が耳に届いていた。


「ジェイクに伝えた時は半信半疑だったが……」


「ええ」


「そうですね。どこまで掌の中だったんでしょうか?」


 顔を顰めたアマラの言葉にソフィーが頷き、イザベラが困ったように呟く。


 彼女達には疑念があった。


 ジュリアスが発した檄文。パール王国の奸計によって【傾国】と【傾城】が用いられ、サンストーン王国が窮地に立たされているという内容。その微妙に正しい情報を、いったいどこで入手したのか、と。


 だが、お婆から齎された推測である可能性が浮上した。それは旧エメラルド王国がパール王国に侵攻したのは、パール王国がサンストーン王国に掛かりきりで、隙だらけなことを知っていたのでは。そして、旧エメラルド王国の諜報員はパール王国に深く潜り込んでいたのではという推測。


 そしてレイラが抜き出した杜撰な貝の暗殺計画。上にできると言いながら、下に無理難題を押し付けた中間の存在。


 ついこの前まで【傾国】、【傾城】、【奸婦】、【悪婦】、【毒婦】と【妖婦】に気が付かれることなく、しかし【無能】に振り回されて全く当初の計画通りいかなかった存在。


 予定と計画をなにもかもぶち壊された男。


 暗殺者達を逃げられない状況に追い込み、上には必ず成し遂げられると断言して、暗殺計画を勧めた男。


 そして……貝にとって都合がよかったように、彼にも都合がよかった。それを利用して責任を押し付け、黒真珠がパール王国から離れる原因を作った男。それは果たして【傾城】の名を使った罪悪感か、それとも同胞の為か。


 今現在、エヴリンの仕掛けた買収に乗り、パール王国内の臍出しはほぼいない。彼らは新天地に出発した。そう仕向けた男。


 およそ三十年以上に渡って無能の皮を被っていた男。


 旧エメラルド王国と繋がり、その証拠を握ったジュリアスとすら繋がり、暗殺者達の似顔絵を送った男。お婆の推測もまた正しくもあり間違っていた。旧エメラルド王国の諜報員が深く潜り込んでいたのではない。その計画を立案した本人が繋がっていたのだ。


 その名を。


 千年の差別。千年の妄念の被害者。人でありながら人でないと扱われた者。


 それが清算されようとしていた。


 ◆


「これで安眠できるというものよ」


「そうですな父上」


「仰る通りですな」


 暗殺計画の事情を知るパール王国の王、王太子、宰相は、秘密の部屋に集まってにこやかに談笑していた。吉報を報告したいと集められたが、事情が事情だけにこの部屋にいる者はこの三人だけである。


 そして、最精鋭の裏方は全員が暗殺計画のために各地に散らばっていた。


「お待たせいたしました!」


 秘密の部屋に喜色満面の太った男、貝のトップであるフランクがワインを持ってやってきた。彼が秘蔵のワインを開けるに値する吉報だと提案して、王が持ってくるように命じた逸品である。


「それでは報告を聞こう」


「ははあっ! 計画は全て達成されました! どうかご安心ください!」


 ワインを抱えたフランクが跪いて王に吉報を報告する。計画とは勿論サンストーン王家に連なる者達の殺害計画であり、これでパール王国は危機を脱したと言える。


「そうか!」


「父上、ようございました」


「これで一つ問題が片付きましたな」


「なんの。サンストーンに奪われた領地を取り戻し、いや、その全てを奪ってやるまで忙しいぞ」


「はははは!」


「そうですな!」


 その吉報に王、王太子、宰相も喜色満面となる。


「だがいい区切りなのは間違いない」


「はい。ワインを」


「ははあっ!」


 一つ頷いて満足げな王を見た宰相は、フランクにワインを注ぐよう命じた。フランクは部屋の収納から杯を取り出してワインを注ぐ。


「お前も飲むといい。なに、功労者なのだから今日だけは許そう」


「ははあっ! ありがとうございます!」


 単に王の気まぐれで同伴を許されたフランクは、感涙にむせび泣きながら己の分を準備する。初めからそのつもりだったから、今飲むか後で飲むかの違いでしかない。


「乾杯!」


 王の言葉と共に、王、王太子、宰相、フランクがワインを一口で飲み干す。


 そして、王、王太子、宰相というこの国のトップ三人が眠るように息を引き取った。


(できれば苦しんで欲しかったが、それだと俺が疑われるからな。しかし、俺は毒に耐性があるから少し不安だったがこの分なら大丈夫だろう)


 残された最後の一人、フランクも間もなく息を引き取ろうとしていた。


 生まれて四十年近く。人ではないと定義され続け、その身に秘めた怨念を隠し、ただひたすら都合のいい駒として振舞った。


 全てはパール王国という国家そのものに自らの、臍出し達が受けた仕打ちを体験させるために。


(アレがご破算になっててんやわんやだ)


 だが【傾国】を利用したサンストーン王国の混乱が発生しなかったせいで、フランクの計画は滅茶苦茶になった。彼の計画の内では、例え【傾国】が貝から逃げようと、その美でサンストーン王国が混乱して、旧エメラルド王国とパール王国の戦争に介入する余裕はないと見ていた。そして、パール王国は滅んだはずなのだ。彼が旧エメラルド王国に流した情報と、【傾国】を利用した計画の中で。


 そう、偶々見つかった【傾国】を使い、サンストーン王国を傾かせる計画を進言したのも、このフランクだったのだ。


(まさか今でもどこにいるか分からんとはな。ひょっとして死んだか?)


 誤算だったのは【傾国】がサンストーン王国を傾かせるどころか、その存在がどこにもいないことだ。そのせいでサンストーン王国は混乱することなく、旧エメラルド王国とパール王国に介入することができてしまった。


 これでフランクの計画はご破算になったが、それならばと次はジュリアスに接触して好機を伺った。幸いジュリアス側も旧エメラルド王国の資料を接収していたので、フランクが内通者だということを知っていたため、話はすんなり纏まった。


(これでパール王国は孤立無援だ。後は腐り落ちるか、サンストーン王国に滅ぼされるかのどちらが早いか)


 そして今回の暗殺計画がわざと失敗するように蠢動して、パール王国の陰謀が明るみになるよう調整した。レオですら、暗殺者の幾人かがパール王国の使者に紛れ込んでいたことを知って、パール王国の陰謀を確信したほどだ。


 しかも、今さっきパール王国のトップが死去したことで、最早パール王国は取り返しのつかない状況に陥っていた。


(本当は滅びをしっかり確認した方がいいんだが……流石に疲れた……)


 旧エメラルド王国にサンストーン王国が襲い掛かったように、予想外のアクシデントが発生する可能性があったが、その前にこれで全て終わると確信していたフランクは、ほとんど燃え尽きて気力もなかった。


 だが仕掛けは忘れていなかった。


(神よ……地獄で笑ってやる……お前達が選んだ額にパールがあるだけのただの人は……俺一人にこうも無様を晒したぞ……)


 薬物に対する耐性があったため、毒が中々効かなかったフランクだが、次第に意識が薄れゆく。


(心残りが……あるとすれば……ひょっとして……娘だったか……? なら悪いことをしたな……)


 彼が最後に思ったのは、自分の計画のために名を使った存在が、かつて一度だけ参加してそれっきりだった計画の結晶ではないかという疑問だった。


『確かに見届けましたわ。お眠りなさい。ああそれと、あの娘はあの娘でよろしくやってますわ。おほほほほ』


 そして幻聴も。


 ◆


 フランクの机に残された手紙にはこう書かれていた。


 暗殺の失敗で絶望された陛下達が、毒酒を飲むと仰せられた。私も責任を取って冥府にご同伴する。と。


 下手人が共に毒を飲んで死んでいるのだから、真実にたどり着ける者がいる筈もない。


 千年の妄執と暗黒の淵を渡り切った男は、誰にも理解されない妄念を抱いてこの世を去った。


 そして……暗殺計画を成功させたのだった。

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