【傾城】の毒蛇

「【傾国】がいる!」


 カールが発した言葉は、今どれだけ危険な状況なのかを仲間達に伝えるためのものだ。


 貝は【傾城】を警戒して、サンストーン王国王都に女だけの暗殺者部隊を送り込んだ程なのに、ソレの完全上位互換と思われる【傾国】が相手では、男しかいないカール達に勝機があるか疑わしかった。


 だが、貝に絡みついたのはその下位互換だった筈の存在である。


「急げ!」


【傾国】に惑わされた瞳のデレクが戻って来たのだ。既に自分達のことは筒抜けであると判断したカールはすぐに逃げようとしたが、声が漏れることを懸念して窓がない部屋を借りたのが悪かった。


「カール前だ!」


 カールはドアと首を断ち切ったデレクから背を向けて、仲間達に警告を発したつもりだったが、逆に前を見ろと警告された。


(きたっ!? なにっ!?)


 早速敵がやって来たと思ったカールは扉に振り返ったが、そこには信じられないことが起こっていた。


 それは先程まで味方だったはずの存在だ。


「ぐっ!?」

(【死霊術】!? 【傀儡】!? だが糸は!?)


 なんと首と胴が別れた筈のデレクの体が、手を広げてカールに襲い掛かって来たではないか。


 恐ろしいことにこういった場合は幾つかの理由が考えられる。一つは最も忌避されるスキルの一つである、死者の体を操る【死霊術】。だがこれは、死体が暗黒のエネルギーを大量に放出するため、一目で邪法が関わっていることが分かる。


 そして、別のスキルに【傀儡】というものがある。スキルによって編み出された不思議な糸を用いて、まるで操り人形のように意識のない人間や小動物を操作できるものだ。しかし、これはこれでその糸が目視できることと、操っている人間が近くにいることが必要であり、今の状況を説明できない。


「かっ!」


 一閃。


 達人であるカールは、再びスキルで腕を鋭利な刃物と化して、今度はデレクの体を縦に両断した。


(なんだこれは!?)


 デレクの体を割ったカールは驚愕する。デレクの後ろにあった影から無数の糸が伸びて、体に突き刺さっていた。


「アンガアアアアアアス!?」


 それと同時に、カールの背後からオーガストの叫びが発せられるが、名を呼ばれたアンガスはこと切れていた。


(まさか【操影】!?)


 慌てて振り向いたカールが見たのは、最も後ろにいたアンガスの更に背後。足元の影からどろりと湧き出ながら、アンガスの背から胸に闇の長剣を突き刺している真っ黒いナニカだ。


 その突然の強襲もそうだが、推定されるスキルも問題だった。


 影を己の望むままに形作れる【操影】は、幅広い応用性故に所有しているだけで暗殺者として大成することが約束されているようなもので、世界中の暗殺者達が望んでやまないスキルだ。


 そして歴史上、スキルの所持者は大国や大組織に所属していたことが殆どであり、断じてアゲートのような田舎にいていい存在ではない。


「糸を躱せええええええええええ!」


 事ここに至って、自分達が【傾国】や単なる暗殺者ではなく、極まった裏の存在に狙われていることを認識したカールはデレクの死体に向き直り、突き刺さっていた糸が僅かに動いたのを見逃さなかった。


 ひゅんという音と共に閃光が揺らめく。


「ぎっ!?」


 カールとハリーは間一髪で避けたが、オーガストの右腕が肩から落ちた。無様な悲鳴こそ上げなかったが、それでも激痛のせいで口から呼気が漏れてしまう。


(【鋼糸】! いったい何人凄腕がいるんだ!)


 カールは自分達を襲っている者達に困惑する。


 細い癖に人体を切断できる程の強度を持つ糸を操れる【鋼糸】だが、扱いが難しいことでも知られており、自分の体を傷つけないようにするのに、人生の半分を費やすとまで言われていた。そんなスキルに加えて【操影】のスキル所持者までいるのだから、自分達はどれほど危険な場所にいるのだと慄く。


「【分身】!」


 転がるように鋼糸を躱したハリーが自分のスキルを発動すると、まるで鏡合わせの様に同じハリーが隣に現れかける。


【分身】はスキル所持者のすぐ傍にしか現れないが、ほぼ完全に自分と同等の性能のコピーを生み出すことが可能で、単純に考えても手数を倍にすることが可能な強力なスキルだ。


「ぐっ【修復】!」


 そして腕を切断されたオーガストは、慌ててもう片方の手で落ちた腕を掴んで、切断面を重ね合わせようとする。


【修復】は言葉通り傷の回復だけではなく、欠損した部位があればくっついて元に戻るほどだ。これのお陰で失血死は防ぐことができる。しかしそのせいで避けるという考えが希薄になってしまい、今回もオーガストだけが鋼糸を受けてしまった。


 悠長極まる。


(【影潜み】まで!?)


 死体であるデレクの影から人が浮かび上がってくる。このスキル【影潜み】もまた、暗殺者達にとって垂涎のスキルである。だが、それほど強力なスキルが全てたった一人の内に秘めているとは誰も思うまい。


 そして……そんな闇のスキルすら及ばぬ闇そのものが降臨した。


 カールが影から浮かび上がる人間を仕留めようとするよりも早く、一人の女が涙を流しながら浮かび上がる。


「どうか助けてください……暗殺者に狙われているんです」


 同時に発せられる甘い甘い匂い、肌の艶めき、桃色が可視化するような吐息、黄色く光る瞳、揺蕩うような黒い髪。その全てが男に対する必殺の凶器。


 それを認識した瞬間、カール、ハリー、オーガストはスキルを使うことも忘れて頭が真っ白になった。直後、とにかく目の前の美女の言うことを聞いてあげなければという考えしか浮かばず、彼女を助けるために行動を起こす。


 そう。彼女を狙っている暗殺者という恐ろしい存在がいるではないか。それを排除しなければならない。


 結果。


「!?」


「!?」


 ハリーとオーガストは夢見るようにとろんとした瞳のまま、お互いの首筋に短剣を深々と突き刺し合った。


 そして残ったカールもまた、残った暗殺者である己の首を切断するため刃と化した腕を。


「っ!」


 振り抜く前に舌を噛み切った。


 そして痛みで自我をなんとか維持したまま、潤んだ瞳の毒蛇にして殺人兵器リリーに斬りかかる。


(【傾城】!? 黒真珠!? なぜ!? アゲート!?)


 だが完全な正気ではなく頭の中は疑問でいっぱいで、単語が溢れかえっている。


 額にパールがない以外は、褐色の肌と黒い髪は同郷のパール王国人のようで、対誘惑スキルの訓練を行っているカール達の意識を狂わせる女に心当たりがあった。しかし、それはアゲートにいない筈の黒真珠の【傾城】だ。


(地面が?)


 単語が溢れかえっているカールの頭は、地面が近づいてくることに疑問を覚えた。


 正確には地面が近づいているのではなく、カールの頭が地面に近づいていたが。


(胴? 腕?)


 地面に転がったカールが最後に見たのは、両手に短剣を握っているリリーと、彼の刃と化したはずの腕と胴が別れて転がっている光景だった。そして、永久にカールの意識は闇に包まれた。


(動く気配はない)


 リリーは転がったカールの頭部を無感動に確認しながら、お互いを刺し合っているハリーとオーガストの首も刎ね飛ばす。


 裏の世界において生け捕りの発想は基本的に存在しない。


 炎や刃を作り出せるようなスキル所持者は、単に武器を没収すれば無力化できるというものではない。いわんや闇の世界の住人ならば、想像だにしないスキルを隠し持っているものであり、リリーの【傾城】による誘惑や【傾国】の支配が突破される可能性があった。


 だからこそリリーは初手で【傾城】の力を使わず、あくまで札の一つとして運用した。実際、カールがほんの一瞬だけとはいえ誘惑を耐えたことを考えると正しい考えだろう。


 そして、闇の住人である貝に対して、下手に生け捕りの考えを持って挑み痛手を被る。もしくは逃げられて情報が洩れるくらいなら、確実に仕留めると定めた方がよかった。


『終わりました。後始末お願いします』


 リリーは付近で待機している元黒真珠の構成員達に念話を送る。味方がいるのに単身で貝を仕留めた形のリリーだが、彼女の戦闘は凄腕諜報員だった女達でもついていけないため、仕方ないことだった。


 そして、元黒真珠がやって来るまで静寂が訪れる。


 裏に生きる暗部を一方的に殺せる戦闘力を秘めながら、闇に浮かぶような極上の体、金のように輝く瞳と容姿。


 これこそがパール王国の暗部黒真珠の棟梁であったお婆をして、女暗殺者でこれ以上の存在が生まれる筈がないと断言した最高傑作の中の最高傑作。殺人兵器の中の殺人兵器。粛清機構の中の粛清機構だった。


(それにしても……)


 だが……そんな存在の全てをひっくるめて、ようやくなんとか追いすがれる者がいた。


(レイラさん凄かったなあ)


 愛するジェイクを殺しに来た者に対する怒りで、最大稼働していた【傾国】とか。

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