全てを見誤っていた貝殻

(駄目だこの街……特殊すぎる!)


 ハリーはアゲートの街をぐるりと回り、既得権益を破壊されてアゲート大公に不満を持っている者を探そうとしたが、この街の特殊性というか……笑い話にもならない状況を知り罵っていた。


(元々貧しかったから甘い汁吸ってたのはほんの一握りで、しかもそいつらは全員逃げてるかとっ捕まってるかのどっちかじゃねえか!)


 かつてのアゲートの街は、貝が以前に持っていたイメージ通り貧しかったようだ。そのせいで市民は金を持っていないことが分かっているから、賄賂を要求する衛兵すらいなかったというのがお約束の自虐になっていた程である。


 裕福だったものは前領主の一族、もしくは繋がりがあった一握りだ。しかし彼らは前領主の死とサンストーン王国が旧エメラルド王国を侵攻してきたことが重なり、これ以上忌むべき地にはいられないと逃げた。


(小役人程度じゃ誤魔化しの手段にならねえぞ!)


 結果残って捕まったのは、税を着服していたような間抜け極まっている小物達だ。これではとてもではないが、能力的にも動機的にも彼らがアゲート大公を逆恨みして殺したという説得力を持たせられない。


(しかもアゲート大公はそれを解消して市民から絶大な人気があるから、不満を持ってる奴がいても口に出すことはない!)


 そして、ジェイクが来てから見違えるように発展しているアゲートで、彼への文句を表立って言う筈がない。来たばかりのハリーでは、いるかも分からない不穏分子に接触することすら困難だった。


 このように、不穏分子の接触は初日から暗礁に乗り上げた。


 ◆


 あまり上手くいっていない場所は他にもある。


(くそっ! ちゃんとした知識がある薬師を抱えてやがる! 大事なやつがないぞ!)


 オーガストの顔は動かなかったが、心に表情があるなら顰めただろう。


 街にやって来る道中で聞いたフェリクス商会傘下の薬店を訪れた彼だが、組み合わせ次第で薬から毒にできる類のものが見当たらず、この店では望んでいるような毒を作れなかった。


(仕方ない。手間だが別の店を探すとしよう)


 用済みの店を後にするオーガストだが失念していた。


 ついこの前まで貧しかったアゲートに、薬の代金を払うような余裕などなく、金が無いのなら供給も存在しなかった。


 その上さらに、富み始めたアゲート大公時代となっても、薬を扱おうとする店はかなり厳格な調査が行われているため、店の数自体が少なかった。そして厳格な調査を合格した薬店は、組み合わせ次第で危険になる薬を置いていない。


 これが他の国の王都ならいい。人の性というべきか、裏町にはもぐりの薬売りが多く、時間を掛ければ望む薬は手に入っただろう。だが、大都市と言うにはアゲートの街は狭く、行政の目が行き届いているため、そういった者もいなかった。


(作れても弱い毒だけだ! 暗殺用の毒を作れない!)


 結局オーガストは、彼らからすればままごとのような毒しか作れないと、心の中で絶叫を上げる羽目になった。


 ◆


 一方、運よく暗殺の取っ掛かりを掴んだ者もがいた。


 腕を組んだアンガスが、街の広場で看板を眺めている。


(まあ、ある意味予想通りだ。どこも人手不足は変わらんらしい。戦争で勝ったら尚更か)


 そこにはアゲート大公の名で人材を求めていることが記載されているが、人が全く足りていないことを痛感しているアンガスには他人ごとでなかった。


(事務業務に携わる者募集。多少の読み書きができるなら経験と年齢不問。未経験歓迎。働きと能力に応じて昇進昇給と高収入。頑張りを評価する風通しのいい明るい職場、か。商人の下っ端や夢見てる小僧は騙せるだろうがな)


 アンガスが心の中で苦笑する。


 この時代において縁や裏金、信用がない者を、どこかの組織や個人がいきなり雇うようなことはしない。それを考えると、アゲート大公国が布告している文は破格も破格であり夢があった。


(人手不足は本当の筈だから雑務は任されるだろうが、昇進や昇給に繋がるものか。それは限られた者が独占するもので、能力が関係する事柄じゃない)


 しかし、裏の事柄を見すぎたアンガスは、こんな虫のいい話が存在する訳ないと達観している。


(申し込みは城の衛兵に伝えて、後は中で色々確認するだけか。なら城に入るのはそれほど難しくないな)


 そんなことより最も大事なのは、募集を利用すればアゲート城に入ることだけは簡単にいくことだ。


 アンガスは取っ掛かりが掴めたことに満足しながら広場を後にした。


 しかし、暗殺部隊全体としては、上手くいってないだろう。


 ◆


(面倒な。サファイア王国との戦に勝ったばかりだから当然だが、不満そうな衛兵がいない)


 リーダーのカールが、アゲートの街を歩きながら心の中で溜息を吐く。


 衛兵が全て真面目というのは幻想に過ぎず、中にはさぼるどころか賄賂を要求する者までいる。カールはそういった者を見つけて、なんとか城の中の様子を聞き出そうとしたが、戦争に勝つと直接戦場に出ていない衛兵までも背筋を伸ばしやすくなる。


 その為、不満を抱いていそうな衛兵を見つけることができず、それとなく衛兵の近くを通ったが賄賂を要求されることもなかった。


(となると、やはり酒か)


 安直な発想だが、酒はそれだけの実績がある。酔いに酔った者は聞いたことを素直に答えてくれて、しかも自分がなにを話したからすら覚えていないのだから、諜報員たちにとって神器とも言えるだろう。


(まずは情報交換だな)


 だが酒場に行く前に、街で集めた情報を交換する手筈になっていた。


 ◆


「おっと。後はデレクだけか」

(少し遅れたようだな)


 カールが拠点にしている粗末な宿屋の一室に入ると、既にデレク以外の全員が集まっていた。


(あまり首尾よくいかなかったようだが、毒の調達がうまくいかなかったのは痛いぞ)


 カールは、ハリーとオーガストの雰囲気がよくないことに気が付く。特に毒の調達手段を探していたオーガストの雰囲気がよくないのは幸先が悪いと言える。


 そして全員が無言だ。デレクが戻って来ないと二度手間になるし、こういったことは一度に済まさないと、余計なリスクが生まれてしまう。


 だが。


(少し遅いぞ。まさか城に入ってないだろうな。いや、逸る奴ではないし、時間通りいかないことはよくあることだ)


 城の様子を確認しに行ったデレクが戻ってこない。尤も、裏の業界でなにもかも予定通りに進むことは殆どなく、カール達も気が長かった。


「遅れた」


 カール達が遅いと思っていた丁度のタイミングで、デレクが扉を開けて戻ってきた。


 カールがデレクの首を断ち切った。


「は!?」


 スキル【切断】によって腕を鋭利な刃物の様に扱えるカールの突然の凶行に、さしもの貝といえども困惑する。


「逃げるぞ!」


 だがカールはそれどころではない。


 首だけになったデレクの瞳に覚えがあった。


 調査に赴いた、ある寒村で殺し合い寸前だった男達のに捕らわれた瞳。カールが見たのはその男達の妄念が宿った瞳だけだが……確信があった。


「【傾国】がいる!」


 そして、事情を知る全ての者から惜しみない称賛を浴びるべきカールの行動だが。


 全て遅かった。


 の劣化品である筈なのに、一部で……殺しで上回る毒蛇が絡みついた。

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