ジェイクとジェイク・アゲート大公

(ジェイクが帰って来てから、少しは城の中も落ち着くと思ったんだが……)


 アゲート城の中を歩くレイラは、サファイア王国との戦が実質終わり、城の主であるジェイクが帰って来たのだから、慌ただしかった雰囲気も落ち着くかと思っていた。


 ところがである。


「おはようございますレイラ様!」


「あ、ああ。おはよう」


 城の衛兵達がレイラに、背筋を伸ばして畏敬の念が溢れる挨拶をするのはいつものことだ。しかし、若干目が血走って辺りを警戒していることを、レイラは見逃さなかった。


 その原因はジェイクの言葉が発端だった。


「確定ではない情報だが、レイラが狙われている可能性がある。衛兵達は気を引き締めて欲しい」


 リリーと、改めて挨拶をしに来た元黒真珠のお婆から、レイラが狙われている可能性があると知らされたジェイクは、そう言って警備の強化とレイラの護衛を増やした。


 ……のだが。


「レイラ様を狙う奴が!?」


「絶対に許さん!」


「草の根分けても見つけ出してやる!」


 レイラに絶対の忠誠を誓っている者達はほんの少しだけ興奮してしまい、彼女が思っていた落ち着いた雰囲気の真逆になっていた。


「これ、マズいんじゃないか? あくまで衛兵達の主はジェイクの筈だ」


 ジェイクの私室で、ジェイク、エヴリン、リリーと朝食を食べながら、レイラは問題があるだろうと訴える。主君であるジェイクではなく、レイラに忠誠を誓っている節がある一部の衛兵の状況に、彼女は困惑していた。


「俺を蔑ろにしてるわけじゃないし、いいんじゃない? 俺とレイラは一心同体でしょ。それにほら、俺達の子供が大公を継ぐときはスムーズにいくし」


「ば、馬鹿……」


(それに言ったところで無意味だし)


 その懸念を、ジェイクはジェイク・アゲート大公ではなく、アゲート大公家の家長として考えて、問題ないだろうと判断した。その上、口には出さなかったが、衛兵達に主君はジェイクだと改めて言ったところで、無意味だと断じれる程、レイラの美は隔絶していた。


 だがレイラとしては、直球に自分達は夫婦であると言われたようなもので、子供のことまで考えさせられたのだから、純白の白い肌を赤く染めるしかなかった。


(ちょっろいわあ。なあリリー?)


(聞こえていないふり。聞こえていないふり)


 エヴリンは、そんな赤くなっている親友の姿にニヤニヤしながら、リリーに対して、あれどう思う? とばかりに指で指し示したが、リリーは賢明にも気付かないふりをした。


「勿論、エヴリンも、リリーも、イザベラも、アマラも、ソフィーも一心同体だから」


「ジェイク……」


「ジェイク様……」


『ちょっろ。これはちょろすぎですわね』


 心の中でレイラをちょろいと言っていた女と、聞こえないふりをして黙々と食事をしていた女はどこへやら。エヴリンとリリーは、ジェイクの言葉に女の顔をしてしまい、【無能】から呆れられていた。


「それにレオ兄上が、パール王国の姫との婚姻を発表したから……」


 ジェイクはプライベートの場であるため、サンストーン王国の正統後継者であるレオを兄上と呼ぶが、次の言葉を発することが出来なかった。その次の言葉を予想したレイラ達の目が、ギラリと光ったのだ。


 アゲート大公国とサンストーン王国の関係は今も変わっていない。事実上属国と宗主国の関係なのに、特に関わりが無いという関係が。


 アゲートの地だが、元は旧エメラルド王国の領土だったため、周りは武功を挙げて領主となったレオの派閥の貴族ばかりだ。レオ派閥に周りを囲まれている以上、中立なんて生温いことを言っていたら、攻め滅ぼされるのは間違いなく、ジュリアスが明らかに反逆を起こしたこともあって、ジェイクはレオを支持する立場を表明して使者も送った。


 ……送ったのだが、ジェイクの親書だけはなんとか受け取って貰えたものの、使者はレオどころかレオ派閥の貴族にも会うことすらできなかった。普通に考えると属国とは言え、一国の使者に誰も会わないなどあり得ないのだが、ジェイクはそれを予見しており、使者に対して駄目そうだったらとっとと帰って来いと言っていたほどだ。


 ジェイクはレオ派閥の考えを見切っていた。レオ・サンストーンが、正統なるサンストーン王家の者として逆賊ジュリアスを討つのに、元ジェイク・サンストーンがいるのは邪魔極まるのだ。そう、栄誉も栄光もただ一人、レオが勝ち取るものなのだから。


 だが、それでも未婚のレオに配慮しないといけないのが属国の悲哀と言うべきか。ジェイクとレイラ達は事実婚状態だが、正式な書類上では未婚だった。


 ……逆を言えば、レオがパール王国の姫と結ばれたなら、レイラ達を阻むものはなにも存在しなかった。


「そのサンストーン王国とパール王国の、ちゃんとした婚姻はいつになるんだ? 今日か? 明日?」


「まあ落ち着かんかい。来週頃やろ」


「もうしてるかもしれません!」


「い、いやあ。どうだろう」


 興奮しているレイラ達に、珍しくジェイクは気圧されている。それだけ乙女の愛情が強いと言うことなのだろう。


 ◆


(さて……)


 興奮したレイラ達との朝食を終え、ジェイク・アゲート大公が執務室で考えを巡らせようとした。


『おほほほほほほほ! 悩みを当ててあげましょう。レオ王子の政治的センスが、相変わらず、全く、これっぽっちもないことでしょう?』


 そこへ【無能】が、ジェイクの考えを邪魔するように高笑いをするが、まさに彼女の言葉通りだった。


 ジェイクの手元にある紙にはこう書かれてある。


 《レオ・サンストーンの名において、私とパール王国の姫との間に、婚姻関係が成立したことを、ここに発表するものである》


(婚姻の話を進めていた父上の名前、何処にもないじゃん)


『ないですわねえ。あ、もう存在しないのではなくて? レオ・サンストーン国王陛下なんですもの』


(いやまあ、実際レオ兄上の頭の中ではそうなんだろうけど……)


 レオ陣営がばら撒いた布告文のどこにも、アーロン王の名前がなかった。


(婚姻の話が白紙になったら、レオ兄上の面子が潰れるのも分かる。内乱で他国に介入の口実を与えてでも、支援を引き出そうとするのも、秘密裏な話で済ませるなら分かる。だけど、幾ら捕らえられてるとはいえ、父上の、王の最終認証がないのに、自分の名前で他国と正式に婚姻が結ばれたと大々的に発表するのは拙くないか? 下手をすれば、父上が亡くなったと誤認されるぞ?)


 レオがパール王国との関係を深める理由は十分理解しているジェイクだが、やり方が最悪に近かった。


 国家の方針や計画の最終決定者である、アーロン王はジュリアスに捕らわれているが、それは反逆者の行いが原因である。その故にアーロン王を救うために、一時的に王権を侵して軍を編成するのは許される範囲だろう。他国と秘密裏に密約を結ぶのも、かなり怪しいが勝つためならばギリギリ許されるはずだ。


『王命を無視した前科があるのだから今更ですわね』


(それは国内問題で終わるけど、外交は相手がいて世界が見てるんだよ……)


 だがレオは、まだアーロン王が存命であり、しかもジュリアスから救うという立場であると表明しているのに、他国と婚姻を正式に結んだと、自分の名で大々的には発表してしまったのだ。勿論、アーロン王の認可の元、婚姻の計画は進められていたが、ジュリアスの反逆が行われる前には、最終的にはまだ話が纏まっておらず、最後の認可も行われていなかった。


 つまりレオは、正式な外交を自分の名だけで行ったに等しく、最終認可も下してしまったのだ。見方を変えれば、アーロン王を救うと言いながら、王を無視する矛盾を行う存在であると世界に公表したに等しい。


 非常に面倒な話であり、時代や組織によってはアーロン王が職務を全うできない状態なのだから、レオが権限を引き継いだのは当然と言う話になるだろう。だが現在は身分と階級で成立している世界であり、王政の世界なのだ。


(最低でも、父上が進めていた契約に従って。みたいに書いたらよかったのに、これじゃあ自分で進めて自分で決めた王そのものだ)


 王という絶対不可侵にして唯一無二の存在であるアーロン王を助け出すと言いながら、王の権限を好き勝手行使し、それが国外にも影響するとあっては拙いとしか言いようがない。


 何もするなと言う話ではなく、国内で収まる権限の行使に留めるか、せめて布告文の中に、アーロン国王陛下の進めていた契約に従い。もしくは、捕らえられた国王陛下をお助けするため、一時的に権限をお借りして。などの一文を入れるか、いっそのことレオの名においてと書かなければよかった。そうすれば、最終認可はされていない事実は変わらないが、まだ言い繕えていた。


『あなたならどうします?』


(あくまで、レオ兄上の立場になってだぞ? そもそも最初から父上が死んだと言いふらす。それなら敵討ちだと大義名分も得られるし、正統後継者として権限も気にせず全部使える。それとジュリアス兄上が父上を表に出しても、偽物だと言い張る)


 ジェイク・アゲート大公が、レオの立場だと前置きして自分の考えを心の中で口にする。


(他の貴族も建前では父上を尊重しないといけないけど、レオ兄上とジュリアス兄上のどちらを王位に就けるかで悩んだ結果、この事態を引き起こしたのは誰もが分かってることだ。権威が失墜しきっている以上、貴族にとっても本物だろうと偽物だろうと関係ない。なによりレオ兄上は、反逆が行われた時に王城にいたんだ。その際に、父上が死んだのを見たと言うことができる)


 父は……アーロン王は邪魔だと。


(国外にも、反逆者が亡き父上を偽物で利用していると言えばいい。疑うだろうけど、ジュリアス兄上も言い訳のしようがない反逆者なんだ。真実が真実として広まることはない。父上の偽物は、戦後行方不明。本物の遺体は偽物の正体がバレないようにするため、ジュリアス兄上の手によって隠され、結局見つけられなかった。まあそこらへんの手段は色々面倒だろうから、机上の空論なんだけど)


『長いですわよ。もっと纏めてくださらない?』


(父上が邪魔だから排除する)


『おーーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっ!』


 ジェイク・アゲート大公が、どう扱っても邪魔にしかならないアーロン王を排除する前提で話をしたことに、【無能】がこれでもかと高笑いを上げる。


(扱いが難しいじゃなくて、居るだけでも害で邪魔なんだよなあ……)


『そうですわね!』


 ジェイクの案は案で、アーロン王が本物だと露見した際に、とてつもない不都合が生じるのだが、戦中だけではなく戦後も考えると、アーロン王はっきり言って邪魔どころの話ではない。


 いつまでもレオとジュリアスのどちらが王位に相応しいかと悩んだアーロン王が、ジュリアスが起こした内乱の間接的な原因、あるいは直接的な原因とすら言ってよく、最早求心力はないに等しいのだ。これでは再び国内が団結することなど無理なのに、アーロン王自身は変わらず玉座に居座り続けようとするのは目に見えている。


 それならいっそ排除した方が諸々の問題が片付く上、アーロン王が生き恥を晒さないだけましかもしれなかった。


『邪魔だから追放した相手に、邪魔だと断言されたことを知ったら、どんな顔をするか見てみたいものですわ』


(殺しに掛かって来るに決まってるだろ)


『おほほほほほほ!』


 ジェイクの言う通り、アーロン王は邪魔者としてジェイクをアゲートへ追放したのに、その無能に己が邪魔だと断言されたことを知れば、肥満の顔を真っ赤にして斬りかかるだろう。


(ま、俺も実行する立場じゃないし、リスクも負ってないから好き勝手言っただけだ。レオ兄上にはレオ兄上の悩みと考えがあるだろ)


『悩みとやらがあるといいですわね! おほほほほほほほほほほほ!』


(我慢してたけど、頭が痛いから馬鹿笑いするのは止めてくれ)


 ジェイクは、色々と言ったものの気楽な立場故の無責任な話であると心の中で肩を竦め、絶好調でおほおほ笑っている【無能】に顔を顰めるのであった。


 ◆


 余談であるがジェイクの懸念は的中した。


「アーロン国王陛下は亡くなられたのか!?」


 レオの布告文を見た多くのサンストーン貴族のみならず、他国の者達すら、アーロン王が死んだから、レオは自分の名前で外交を行っているのだと誤認して混乱してしまった。


 勿論。


「なんで一言の打ち合わせもなく公表したんだ!?」


 レオからなんの相談と準備もなく、いきなり婚姻を発表されたパール王国も混乱していた。

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