勝利

 ジェイクの率いる兵は二千。一方のサファイア王国軍は、ライアン率いる本軍の千と、ゲーンズ、ハリソン率いるおよそ千の兵を合わせて二千。数の上ではほぼ互角だ。


 だが内情は違う。


 ジェイクの兵は、サンストーン王国と旧エメラルド王国の戦で、ジュリアスの近くに矢を届かせ、勝利の立役者になり損ねたアーノルドを筆頭に、少々訳ありの旧エメラルド王国出身の兵達。


 元黒真珠のデイジーと交際している、傭兵のアイザックを筆頭に、給金分の仕事はきっちりこなすことを信条としている傭兵達。彼ら実戦経験が豊富な者達が中核になっている。


 一方のサファイア王国軍だが、まずゲーンズとハリソンの兵は使い物にならない。なにせ食中毒が蔓延している上、無理に砦を攻めたため重傷者だらけなのだ。


 そしてライアンの本軍も話にならない。彼らは勝って当たり前の戦場に来ているつもりで、軍と軍がぶつかり合うことなど全く想像していなかった。笑い話にもならないことに、突如現れたジェイクの軍を、味方と思い込んだ者すらいたほどだ。


 そのためサファイア王国軍の半分は半死半生、もう半分は命のやり取りをする覚悟を持っていなかった、半端者達の集団となり果てていた。


「突撃!」


「おおおおおおおおおお!」


 そんなサファイア王国軍に、ジェイクは剣を掲げて突撃命令を発した。


「いやだああああ!」

「逃げろお!」

「ひいいいい!?」


 サファイア王国軍でそれに対し、最も早く行動したのはゲーンズとハリソンが率いていた兵だ。


 元々食料が無いのではないかと疑い士気が底辺になっていたのに加え、食中毒と無理な砦攻めで、完全に心が折れていた。そこへ明確な敵が襲ってくるのだから、重症であることや食中毒のことも忘れて、味方のいる方、つまりライアン率いる本軍へ逃げ出した。


「戻れ! 戻らんか!」


 ゲーンズとハリソンは、必死で兵の逃亡を防ごうとした。しかし、領主である彼らの言葉すら聞こえない程、兵達は混乱しきっていた。


「止まれ! こっちへ来るな! そんな命令はしていない! 敵がいるのになぜ後ろに下がる! 止まれと命令しているだろうが!」


 一方、本軍を率いるライアンも混乱しきっている。彼の生涯では全て、命令を下せばその通り実行されていたのだ。そのため勝手に兵が動くという事態は経験したことが無く、そもそも、本軍にいるライアンの命令が、ゲーンズとハリソンの兵に聞こえる位置ではないことすら気が付かない程、視野狭窄に陥ってとにかく停止命令を発することに固執した。


「助けてくれええ!」

「ひいいい! ひいいい!」


「こっちへ来るな!」

「止まれ!」

「離せ! 足を掴むな!」


 本軍の前衛も混乱の極みだ。現場の前線指揮官も、襲い掛かって来ているのが敵なら、槍を構えるよう命じられるが、逃げてくる味方ではそういかない。そのため逃げてきた兵士は、助けを求めて縋り付いたが、その縋り付いた相手は敵軍の勢いを殺さないといけない前衛の兵だ。逃亡兵に腕や足を掴まれた前衛は、完全に機能不全になってしまった。


「おおおおおお!」

「死ねや!」


「ひいいいいいい!?」


 そこへ逃亡兵達の後方から、ジェイクの軍が襲い掛かったのだから、逃亡兵達が取れる手段は一つだけだ。


「いやだあああ!」

「退けええええ!」


「やめ!?」

「ぎゃあ!?」


 逃亡兵達は、自分達の命を脅かす悪魔達から逃げるため、本軍前衛の兵を押しのけて、少しでも逃げようと試みた。それはつまり、生存本能に突き動かされて、理性を失い火事場の馬鹿力を発揮した歩兵が、前衛に対して突撃したものとなんら変わりがない。彼らを押し留めようとした前衛の兵達は、勢いに負けて後ずさり、倒れた者は何度も踏まれて圧死してしまう地獄が生まれてしまった。


「行くぞお前らあああああ!」

「ずっと囲んでくれてありがとよおおお!」

「ぶっ殺してやる!」


 その上さらに、砦に籠っていたエバンの兵が、固めていた砦の門をなんとか開けて打って出た。


「もう駄目だ!」

「止めろ! こっちへ来るな!」

「ぎゃあああああ!?」


 死力を尽くして逃げようとする逃亡兵、ジェイク軍の突撃、エバン達の恨みが籠った突進。それをサファイア王国本軍の前衛は、耐えることが出来なかった。一歩後ずさると、二歩、三歩と後ずさり、ついには腰が砕けたかのように、軍全体が拉げてしまう。


 だが、それをなんとか打開するための手段を、ライアンは持っていた。


「止まれええええええええええ! 止まれえええええええええええ!」


 命じればいいだけの話なのだ。それで全て解決するのだから、彼はただひたすら止まれと命じた。


「退けええ! 退けええええええ!」


「止まれええええええええええええええええええええ!」


 勿論無駄である。しかし、兵達がパニックを起こしているように、ライアンも同じことを繰り返すしか出来ない状態だ。


「退け! 声が通らんから命令が聞こえんのだ!」


「は、はっ!」


 だが、馬上にいて大声で叫んでいるということは、最も目立つということでもある。その上、命令を聞き届けられないことに業を煮やしたライアンは、前に出るため乗っていた馬を進めて、傍にいた騎兵達を押しのけた。


 ほんの僅かだけ、射線が通ってしまう。


 敗者の鋭い目が、ライアンを捉えた。


(スキル【風読み】、【強弓】発動! 当たれええええええええ!)


 あと少しで旧エメラルド王国に勝利を齎す筈だった弓の達人、アーノルドが馬上で風を読み、やれると確信して、特注の弓を引き絞り……矢を放った。


 弓矢を扱うことに特化した男から飛び立った矢は、しなり、風を切り裂き、僅かに回転しながら……。


「止まれええぎゃ!?」


 鏃は未だ叫んでいたライアンの右目を貫き、眼窩は砕け、脳にまで達した。そしてライアンは、馬からどさりと地面に崩れ落ちた。


「ライアン殿下ああああ!?」


 周りの兵から絶叫が上がる。


 サファイア王国第二王子、ライアン・サファイア。討死。将来を期待され、仁君の素質があると称された俊英の、あまりにも呆気ない死だった。


 そして……それは、サファイア王国軍の決定的な敗北を意味する。


「撤退だ! 撤退!」

「逃げろ!」

「撤退だああああ!」


 総大将の討死に、サファイア王国軍は統制を失ってバラバラとなり、とにかく祖国に戻るため逃げ出し始めた。


「あんた、すげえな」


「……あ? ああ? 俺は、やったのか?」


「ああ。あんたが弓の達人だって聞いてたから、弓矢の後を追ってたんだ。遠目だからはっきりしないけど、かなり偉い奴に当たったはずだぜ。見ろよ。連中あんなに慌ててるんだ。ひょっとして大将に当たったんじゃないか?」


 一方、それを成し遂げたアーノルドは、身なりのいい者に自分の矢が突き刺さったのを見届け、馬上で呆然としていたが、彼と同じく目がいい騎兵に声を掛けられて、ようやく正気に戻った。


 かつて成し遂げることが出来なかった敗者は、勝利を齎したのだ。


「身なりから判断してライアン王子か、もしくはそれに近い高位の者の目に、矢が突き刺さりました」


「分かった。その者には後で褒美を送る」


 ジェイクは軍の中心で馬を走らせながら、隣でぴったりと並走しているリリーから報告を受け取って頷く。ジェイクに感慨はない。


 ライアンの扱いは面倒すぎるのだ。横紙破りの軍の総指揮官なのだから、例え生かして捕縛しようと、ケジメで殺すことも考えないといけないが、捕縛した者を殺すのは外聞が悪い。だが身代金を請求しようにも、サファイア王国が相手だから交渉の信用を出来ない。敵国の王族だから、サンストーン王国王都を占領したジュリアスが、身柄を要求するのも目に見えていた。そのためジェイクにとって一番後腐れが無いのは、ライアンが戦死することだった。


「このまま殲滅する。最早サファイア王国とは自然休戦の道しかない」


「はっ!」


 サファイア王国の大将が戦死し、どれだけ混乱しようとジェイクは手を緩めない。相手との約束事が信用できない以上、少しでも兵を削って、物理的に軍事行動が出来ない状態にするしかなかった。


 その為サファイア王国軍の敗残兵達は徹底的に追われた。中には兵站の担当者達も含まれており、資料も同時に失われた結果、サファイア王国の惨状の原因は、歴史の闇に埋もれることになる。


「な、なんてことだ!」

「そんな!?」


 この一方的な惨敗は、補給の要請のため本軍を追っていた、各戦線の騎士達も目撃していたが、彼らがこの情報を持ち帰る頃には全てが終わっていた。


 ◆


「ジェイク様、ご報告があります。各地の砦ですが、サファイア王国側は傷病兵で溢れ、ほぼ全ての砦が反撃を開始。サファイア王国は全戦線で総崩れとなっております。また、逃げている者達は足が遅く、すぐに追いつかれている様です」


「分かった」


 エバンに残敵の掃討を任せ、ギリギリまで敗残兵を追っていたジェイクが、護衛の兵士に化けているスライムから報告を受け取った。


 貴重な馬を潰して食べながら食中毒と、無理な攻撃で傷病兵が溢れていたのは、ゲーンズとハリソンの軍だけではない。それどころか全てのサファイア王国軍で起こり、次第に兵力差は逆転。サンストーン王国軍は反撃を開始して、サファイア王国軍は全面敗走していた。しかも、馬を潰したせいで逃げるための数が足りず、傷病兵だらけなため、逃げてもすぐに追いつかれていた。


「そうなると……今から援軍に行って、挟み撃ちできそうな場所はあるか?」


「いえ、どこも圧倒している様です。我々が到着する頃には、決着がついている場所ばかりでしょう」


「そうか。なら戦いはこの一度で済むか」


「はい」


「陛下! 前方に多数の荷馬車です! 兵は少数! 輸送部隊かと思われます!」


「よし、これを打ち破ったら、追撃は切り上げる。流石にこのままサファイア王国の国境に足を踏み入れるのは危険だ」


「はっ!」


 各地の様子を聞いたジェイクは、ほぼ目的が達成されていることを知る。そして軍が小高い丘を越えると、その下では荷馬車の行列が足を止めていたので、これを最後の攻撃と定めた。


「おい!? どうして逃げてるんだ!?」

「何があったんだ!?」

「あ、あれを見ろ!」

「まさか敵なのか!?」

「あああああああ!?」


 荷馬車の一行は、逃げる兵達の混乱に巻き込まれ、丘から姿を現したジェイクの軍に一瞬で粉砕されてしまった。


「よし、燃やして撤収する」


 この荷馬車の行列を、兵糧を積んだものだと思ったジェイクは、敵の手に戻らないよう念の入れて燃やそうとした。


「へ、陛下ああああああ!」

「ど、どうか中をご確認ください!」


 だが、荷馬車を燃やそうとした者達が中を確認すると、血相を変えてジェイクに確認を求めた。


「き、金貨と銀貨ばかりです!」

「こっちもです!」


「うん? 金貨と銀貨? なんで?」


 戦場に向かっていた荷馬車の中身が、金貨と銀貨ばかりだと言われても意味が分からず、ジェイクは首を傾げるしかなかった。


「ほ、本当に金貨と銀貨だ……」


 ジェイクが荷馬車の中を確認すると、確かにサファイア王国の金貨と銀貨ばかりだ。


(殆ど混ぜ物だらけの通貨か? もしちゃんとしたのなら……)


 ジェイクが心の中でうめく。

 例え敵国であるサファイア王国の通貨でも、金と銀の含有量が高ければ価値が保証されている。手間はかかるが他所との交易でも使用できるため、利用価値は大いにあった。


「まさか……この馬車全部?」


「ど、どうやらそのようです!」


「じゃあ燃やすのは中止。持って帰ろう」


(……これで戦費ゲット。後はエヴリンに丸投げしよう。そうしよう)


『おほほほほほ。賢明ですわね』


 敵軍を追っていたら、金貨と銀貨を満載した荷馬車を手に入れるという状況に対してジェイクは、金の化身であるエヴリンに丸投げすることにして、【無能】は笑いながらそれがいいと肯定した。


「あー、勝ち鬨だ!」


「お、おおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 最後の最後でケチが付いたの全く逆。逆すぎてよく分からないことになったジェイクと兵達は、戸惑いながら武器を掲げて勝利を喜ぶのであった。


 しかし、戸惑った勝利宣言だとしても、今回の戦争は完全勝利と言うほかない。


 総大将ライアン・サファイア討死、遺体は復讐を恐れたエバンが、ジェイクと合同で返却。


 ゲーンズ、ハリソン子爵はエバンの軍が捕縛。エバンがジェイクに身柄を譲渡しようとしたが、捕縛したのはエバンの兵士だったため、ジェイクはこれを断る。尤も、ジェイクは貰えるものを貰っていた上、サファイア王国の貴族の身柄は、政治的混乱を起こすだけだと判断したからだ。


 そして全戦線でサファイア王国軍は潰走したが、傷病兵だらけで逃げきれず、甚大な被害が発生。また、混乱で多数の貴族が戦死、捕縛されたため、サファイア王国の支配層に大きな政治的空白が起こった。


 だが何より痛かったのは、国家事業として捻出された金貨と銀貨を丸々奪われたことと、実質王太子だったライアンの死だ。これによってサファイア王国の王子は、病に伏せている第一王子のみになってしまった。


 惨敗も惨敗。殆ど帰ってこなかった兵、多数の貴族の喪失、経済的混乱、王家の後継者問題。これでは再侵攻どころではなく、寧ろ好機とみた他国が不穏な動きを見せたことで、サファイア王国は身動きが出来なくなり、徐々に腐り落ちていくことになる。


 ◆


 後年の歴史研究で、ジェイク・アゲート大公が、援軍を出す必要はなかったのではないかとまで言われた戦争は、ジェイクの圧倒的勝利で幕を下ろすことになった。


 そしてその意見に反論が一つある。例えジェイク・アゲート大公の戦った場所が一か所でも、援軍を出したことに変わりはない。国境のサンストーン王国貴族達にすれば、出さなかった本国に比べてずっと頼りがいがあっただろう。彼らの信頼を勝ち取ったのは、無意味ではなかった。と。


 余談であるが、この時代の歴史研究は、後世の学者達にとって鬼門である。サファイア王国軍の醜態を含め、意味が分からない、もしくは人間と言う種の能力に疑問を覚える事態が頻発して起こり、頭を抱える者が続出することになる。





































 ◆


『おほほほほほほほほほほ! 【無能】の働き者とはまさに私のことですわね!』


【無能】が笑う。嗤う。哂う。ケラケラゲラゲラと。


 この存在がどれだけ活動していたか、誰も知る術がない。全てに作用していたのか……あるいは……。


 だが、ハッキリしていることもある。


 国を滅ぼす全ての才を約束され、人を支配する域にまで完成した【傾国】。

 制限があるものの、己の意思一つで三千の人間を抹殺した【粛清】。


 その恐るべき禁忌スキルすら生温い……子供の遊びに貶める。


 射程範囲制限なし。

 

 人数制限なし。 


 全知的生命体に作用する、悍ましき力。


『おーーーーーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっ!』


 世界を滅ぼす。その言葉に嘘偽りなし。

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