サファイア王国の齟齬
(なぜ私がハリソン子爵如きの指示に従わねばならんのだ!)
サンストーン王国に侵攻したサファイア王国の貴族、ゲーンズ子爵は憤怒を抱いていた。
30歳代で若いころは社交界を賑わせた端正な顔立ちだが、それを台無しにしてしまう程、渋面を作っている。その原因は同じサファイア王国の貴族で歳も近い、ハリソン子爵が原因だった。
総司令官であるライアン・サファイアは、サンストーン王国側の国境を守る貴族の兵力を、事前の調査で把握していた。更にそこから、内乱が起こり混乱しきったことで、兵が集まらないことも計算した。その計算に基づき、サンストーン王国のエバン子爵という貴族が守る砦の兵数は、どんなに頑張っても七百が精一杯と見積もり、実際その通りだった。
そこで、攻めずに囲むだけで落ちるのだから、この砦は倍と少しの千五百程度で十分だと判断したライアンが、率いた兵を合わせるとちょうど千五百になるゲーンズと、ハリソンを組ませて攻めさせることにした。
(兵が多いだけで、好き勝手決めようとするとは!)
ライアンの失敗は、合わせた数だけ見ていたことだ。同格の子爵同士でも、ゲーンズの兵は七百で、ハリソンの兵が八百なのだから、兵が多いハリソンが主導権を握るのは当然だ。そのためライアンも、部隊の指揮はハリソンに任せた。
しかし、歳が近く同格の爵位と言うこともあり、ゲーンズはハリソンからの指示が心底気に入らなかった。
(ゲーンズ子爵め! こちらの兵が多いのだから、私が任されるのは当たり前だろうが!)
一方のハリソンもゲーンズに怒り心頭だ。この両者は爵位だけではなく、宮廷政治の力関係でもほぼ互角なのだから、戦場での上下を決めるには兵の数しかない。それなのに、ハリソンが野営地の予定場所を決めただけでも、ゲーンズは勝手に決めるなと、別の地点で野営しようとするのだ。ハリソンが怒りを覚えるのは無理もない。
(ライアン殿下……武勲を立てる機会を頂き、お心遣いはありがたいのですが、こ奴とだけは組みたくなかったですぞ……)
ハリソン、そしてゲーンズも、ライアンには極一部の部分を除いて感謝していた。
というのもライアンは、自分の武勲はサンストーン王国に勝利することであるとして、砦を落とし領地を攻めとる武勲は、貴族達に譲ると宣言していた。それ故に彼本人は、千ほどの兵と共に後方に本陣を敷いて、貴族達が国境沿いの領地を攻め落とすのを待つことにしていた。
この際、千ほどの兵では率いる兵が少ないのではと心配する声も出たが、ライアンは我がサファイア王国が負けることなどなく、ましてや謀反などはあり得ないと断言した。その堂々としたライアンから信頼を受けたことによって、ハリソンやゲーンズ達は、サファイア王国の未来は明るいと喜んだ。
そんな二人だが、なんとかエバン子爵の守る砦が見える場所まで辿り着いた。
(聞いていた通り砦の壁を高くした形跡がある……)
(幅もある。千五百では完全に囲めないぞ)
ゲーンズもハリソンも、その砦の様子に顔を顰めた。
元々はエメラルド王国が建設したその砦の壁は、真新しい石材で積み重ねられ、場所によっては拡張されていた。
勿論、サファイア王国側も攻め入る予定の砦が強固になっていることを知っていたが、全く問題視しなかった。
(サンストーン王国は政変で大混乱。主の第一王子は行方不明。援軍の動きもなし。どう考えても詰んでいる。私なら今すぐ降伏するな)
珍しく二人の子爵の考えが一致するが、当然だろう。砦が強固だとしてもそれだけだ。他の要因はその全てが絶望的であり、この砦が出来ることは降伏しかなかった。
「さて、降伏の使者は……」
「まだ来ておりません」
「うん? あっはっはっはっはっ!」
「あっ!? これは申し訳ありません!」
「いやいい! 私も言葉足らずだった! あっはっはっはっ!」
ハリソンは、降伏を促す使者を誰にするかと呟いたつもりだったが、それを配下の騎士は、砦から降伏の使者は来ているかを問われたと解釈した。その齟齬に気が付いたハリソンは大声で笑い、騎士は顔を真っ赤にして恥じ入った。
「ふうう。暫く酒の席で困らんな」
「ど、どうかお許しください」
「さあてどうしたものか」
涙が浮かびそうなほど笑ったハリソンと恐縮しきった騎士に、周りの配下達も苦笑する。彼らは勝利を確信しているから余裕なのだ。
「閣下! ゲーンズ子爵の軍から騎士と従卒が出ていきました! 降伏を促す使者なのでは!?」
「ゲエエエエンズウウウウウウ!」
そのある意味和やかな雰囲気は、ゲーンズの軍から騎士達が飛び出したことで吹っ飛び、ハリソンは顔を真っ赤にして怒り狂う。
「降伏を促す使者として参った! 降伏を促す使者として参った!」
騎士は攻撃されないよう、名乗りを後回しして大声で用件を伝えながら砦に近づく。
(これで砦を落としたのは私の名だ)
ハリソン達の予想通り、ゲーンズの意図は自分の名前で砦を降伏させることだ。
(ここはライアン殿下が来られるからな)
ゲーンズにはもう一つ意図がある。
この地は国境の中央付近に存在しており、占領後の統治を行う拠点として都合がよかった。それ故、ゲーンズ達が攻め落とした後に、ライアンがやって来て統治を行うための拠点を設けることになっていた。
つまりゲーンズは単純に、この地を落とせばライアンに気に入られると考えたのだ。
「我が名は」
「降伏だと!?」
「ふざけんな!」
「馬鹿か!」
「くたばれ!」
「なっ!? 退くぞ!」
だが、騎士が名乗る前に砦から弓矢が飛んできたので、騎士達は慌てて逃げ帰った。
「不可侵の条約が正式に結ばれてないなら、攻め入っても横紙破りじゃないと言ってるような奴らを、誰が信用すると思ってるんだ! お前ら全員あの世へ送ってやる!」
この言葉は砦を守っているエバン子爵のものではなく、配下の騎士達のものだ。エバンも顔を真っ赤にしながら砦の壁に上がり、ありとあらゆる言葉でサファイア王国を罵ろうとしたが、どんな卑怯な手を使ってくるか分からない相手に、身を晒すのは止めてくれと配下に無理矢理止められていた。それほどまでに、砦の全員がサファイア王国を信用していなかったのだ。
「あれを負け犬の遠吠えと言う。それよりゲーンズだ! なにを勝手に降伏の使者など送っている!」
ハリソンは情勢の分かっていない砦を嘲笑ったが、勝手なことをしたゲーンズには怒り心頭である。
「砦を回り込ませて裏から囲ませろ! もし言うことを聞かなかったら、ライアン殿下に従わないのかと怒鳴っていい!」
その怒りのままゲーンズに使者を送り、砦を裏から囲ませることにした。
「何を勝手に!」
「ライアン殿下に従わないということでよろしいですか?」
「ぐぐ!」
これを聞いたゲーンズはやはり怒ったが、この軍の指揮をハリソンに任せたのは王子であるライアンなのだ。使者からそれに従えないのかと迫られると、それ以上何も言えなくなった。
(ゲーンズの馬鹿め!)
(ハリソンめ! ハリソンめ!)
こうしてゲーンズとハリソンの軍は、兵が足りず不完全ながらなんとか砦を包囲したが、敵意を向けているのは味方に対してだった。
◆
一方、サファイア王国。
「よし、予定通り占拠した砦に向かおう」
「すげえ金貨と銀貨の数だ」
「金を使って占領地の民を慰撫することと、サファイア王国の通貨を広めて経済的な支配を強めるとかなんとか」
「ははあ、流石はライアン殿下だ」
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