国境の緊張

(状況はよくないかもしれん。いや、ハッキリとまずい)


 サンストーン王国に属するエバン子爵は、エメラルド王国との戦争で功があり、サファイア王国に近い領地を賜った貴族の一人だ。その彼がまずいと認識しているのは、サファイア王国との緊張である。


(急拡大しすぎて周りは成り上がった者達だけ。防衛で核となる大貴族がいない)


 それと、サンストーン王国のスカスカ具合も。


 レオ王子がいい意味でも悪い意味でも強すぎたのだ。あっという間にエメラルド王国全土を併呑したため、そこを治める貴族が不足していた。これがじっくり攻め取ったのなら、新たな辺境伯などが誕生して国境を任されたのだが、それすらできない程に急拡大してしまったのだ。


(それにジュリアス殿下も絡んでいるはず……)


 エバンはこの状況に陥っている原因はまだあり、レオ派閥に大貴族が誕生するのを嫌った、ジュリアスの派閥が足を引っ張っているのではないかと考えていた。


 なにせジュリアスの派閥は武功をほとんど上げることが出来ず、エメラルド王国の旧領を賜った者は、レオの元で活躍した者達が多かった。そのためジュリアスからしてみれば、ここ一帯は潜在的に敵が治めているようなものなのだ。エバンは、自分達を弱体化しようとしている企みがあると見ていた。


 事実は違う。まず本当に人手不足で、サンストーン王国の文官は機能不全に陥る寸前だった。いきなり国土が倍近くなった上、戦争であちこち破壊されているのだ。そして、ついこの前まで敵国だったエメラルド王国の人間を重用できないので、文官の数は殆ど変わっていない。ジュリアスが【政神】でなければ、サファイア王国と戦う前にサンストーン王国は内から崩れていたかもしれない。


 元々エメラルド王国との国境を守っていた貴族の者に任せようとする案もあったが、一度その地に根付いた貴族を領地替えで引っぺがすのは、下手をすれば反乱というとてつもないリスクを孕んでいる。よっぽどの飴を用意できればいいのだが、混乱しているサンストーン王国ではその余裕もなかった。


 そのごたごたで人材が払底しているため、辺境伯として国境を守る兵力を招集できる権限を与えても絶対に裏切らない。能力的にも家柄的にも問題なくて、すぐにサファイア王国の国境沿いに行ける。そんな都合のいい奴がいたら連れて来いとジュリアスに怒鳴られたレオは、歯軋りをしたが答えることが出来なかった。


(しかも、周りの貴族は競争相手だったんだ。どこまで信用できるか……)


 なお悪いことに、エバンも含めてこの地の領主達は、前の戦争で成り上がるため、お互いを競争相手と認識しており仲間意識が低かった。これに対してレオは、これまたよくも悪くも大らかで、男が己の武功を勝ち取り、競い合おうとするのは当然だ。足の引っ張り合いをしないならそれでいいと黙認していた。


(レオ殿下が援軍に来てくださるなら何も問題はないが……)


 その懸念も、レオが軍を編成して援軍に来れば全て解決する。前回の戦争で戦神の名に相応しい活躍をしたレオなら、エバン達は喜んでその指示に従う。


(だが……ジュリアス殿下との間に万が一が起こった際はどうなる?)


 問題なのはそのレオが来ない可能性があることだ。

 基本的に軍は貴族の寄り合い所帯で編成され、そのトップが王だ。レオは第一王子だからこそ例外的に指揮権を許されているだけで借り物の権利なのだ。その借り物を誰かに貸す権限がなく、新たな軍をもう一つ作って代理の者に任せ、国境に援軍を送ることができない。


(歯がゆいな。反乱を起こすジュリアス殿下はそんなことを気にせず、反乱軍を作るだろうに。こちらは国王陛下の権利を害する訳にはいかない)


 エバンは殆ど無意識に、ジュリアス側が反乱を起こすだろうと決めつけている。そして自分達はレオと共にアーロン王を守る立場だから、王権を尊重しなければならない立場だとも思った。


 尤も、そのアーロン王がまた問題だった。


(……前の戦で予定をぶち壊したことを考えると……国王陛下ははっきり言ってあてにならん……指揮権をレオ殿下以外に与えることなどしないだろう)


 そうなるとアーロン王が誰かに指揮権を与え、新たな軍を編成して国境に援軍を送れという話になるが、レオとジュリアスが争えば、王自身にも火の粉が降りかかる。アーロン王は身を守るため、自分とレオの統制とは別に動く軍は危険だから許さないと考えるに違いない。エバンはそう思った。


 エバンはここでも、自分達が正しいから、アーロン王はレオに指揮権を与えるだろうと無意識に考えている。


 しかしアマラとソフィーは、更に最悪の可能性もあると見ていた。息子が反乱を起こした結果、疑心暗鬼に陥ったアーロン王が誰にも軍の指揮権を与えないという、最悪の可能性が。


「エバン様、フェリクス商会がやって来ました」


「おおそうか!」


 エバンは腹心の用件に喜んだ。状況は最悪だが、いいこともある。その一つがフェリクス商会だ。


「よく来たフェリクス! 歓迎するぞ!」


「こ、これはエバン様! 勿体ないお言葉です!」


 商会の主であるフェリクスが城を訪れると、エバンは相手が平民の商人なのに自分から出迎えた。身分階級が絶対のこの時代では、破格というしかない扱いだ。しかし、フェリクスがサファイア王国と国境を接している貴族の下に赴くと、大体このような丁重な扱いを受ける。


「司祭様、毎度申し訳ありません」


「いえいえお気になさらず。フェリクス殿にお布施を頂いておりますので」


 フェリクスのほかにも、エレノア教の司祭が同行していた。エバンも司祭には頭を下げる。


「石材、木材、小麦に薬。その他諸々。感謝するぞフェリクス」


「滅相もございません。サンストーン王国の繁栄がそのまま我らの繁栄なのです。どうかお気になさらず」


 エバンがフェリクスを丁重に扱うのには訳がある。城に入ってきた荷馬車の中身は、城や砦を補強する資材から、食料や薬も含まれている。一商会でしかないためその量はたかが知れていても、苦境のエバンには慈雨そのものだ。しかもフェリクスは、それらを原価に近い金額で売ってくれていた。


 その上、態々エレノア教の司祭を連れてきて、この取引に嘘偽りないと保証してくれるのだ。丁重になるのも当然だろう。


「それでなのが、今回の取引は本当にいいのか?」


 そんなエバンとフェリクスの関係だが、今回は特に助かっていた。


「確かに鉄を産出する鉱山があるが、稼働するのはずっと先になる。その鉄を売るときの優先権でいいとは……」


 エバンは念を押して確認をした。

 今回の取引でエバンは、領内の稼働していない鉱山から産出される鉄を、将来的にフェリクス商会に優先的に売る権利を対価に求められた。


 不平等極まる取引だ。サファイア王国の圧力が減らなければ、鉱山に人手を割く余裕がない。それどころか、下手をすればこの地は陥落して、契約自体が無意味になる可能性があった。それなのにフェリクスはそれを代金に求めたのだ。


「閣下が勝つのですから何も問題ありません」


「……お前こそ真の男だ」


 フェリクスはエバンの勝利が当然だと答えた。一方でエバンは、それがフェリクスの義侠心の表れだと感動していた。


 武人としての価値観で。


「お前に騎士爵を与えられるよう、王都に働きかけることを約束する。そうすれば姓も名乗れるようになる。今は王都の文官が混乱しているから、いつになるか分からんが……」


「お、畏れ多いことです!」


 フェリクスは驚愕した。

 一代限りの準貴族が騎士爵とはいえ、戦場で武功も上げず、大商人という訳でもないのに、貴族になるなど夢にも思っていなかった。


「で、では司祭様、立ち合いをお願いします」


「はい」


 気を取り直したフェリクスが、エレノア教の司祭に契約の立ち合いをお願いする。


 勿論、エバンはそれにしっかりと署名をした。


 最も権威ある宗教勢力が用意した紙と、その聖職者が立ち合った前で。


















『おほほほほほほほほ! 人の業があるから無能になるのか、無能だから人の業から逃れられないのか。昔から勝ちすぎるのはよくないと、散々言われてることなんですけどねえ。それと只より高い物はない! 至言ですわねえ! おほほほほほほほほほ!』

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