アゲートの地の【悪婦】2

 エレノア教の女教皇イザベラは、愛のために生きている女だ。そんな彼女が数か月間もの間、愛するジェイクとの別離に耐えられる筈がない。自分以外の女達が全員アゲートにいるなら尚更だろう。


「我が君! 今イザベラが参ります!」


 普段は余裕たっぷりで母性的なイザベラだが、ついにソフィーの転移魔法でアゲートの地に向かうことが決まると、スライムなのにほほを赤らめて興奮していた。


「では後のことはよろしくお願いしますね!」


「はい。行ってらっしゃいませ」


 この日のために仕事を全て片づけたイザベラは、眷属であるスライムの聖職者に後を任せ、アゲートの地に向かう。


「到着した」


 ジェイクの私室に転移したことをソフィーが告げた。


「イザ」


「ああ我が君! お会いしたかった!」


「むごごごごごごご!?」


 イザベラは、出迎えてくれたジェイクを認識した途端、元から失くしかけていた理性を完全に消失させ、彼が名を呼びきる前に抱き着いて自分の体に溺れさせた。


「それじゃあ私はこれで」


「もごごごご!」


「ああ我が君ぃ!」


「むご」


 馬に蹴られる趣味はないと、二人だけの時間を邪魔しないよう退散するソフィーに、ジェイクが助けを求めるよう手を伸ばしたが、小柄な彼は、女性陣の中で最も起伏が激しいイザベラの体に埋まり、そして力尽きた。


 オリバーのもとに、イライジャ司祭がやって来る少し前のやり取りだった。


 ◆


「ああオリバー司祭お帰りなさい。お客様がいらしてますよ」


「ありがとうございます」


 オリバー司祭がチャーリーと別れ、宿泊している宿屋に戻ると、宿屋の主人から来客があると告げられた。しかし、オリバーが向かったのは自分が借りている部屋ではなく、倉庫になっている地下室に繋がる階段で、宿屋の主人もそれについて何も言わない。その上オリバーは、なぜか地下室の鍵を所持しており、躊躇いなく鍵を開けると、真っ暗な地下室に足を踏み入れた。


「ご苦労様ですオリバー」


 そこにぽつんと置かれている椅子に、先ほど別れた筈のイライジャ司祭が座っていた。しかし、口調が妙におかしい。イライジャはもっと男性的な口調の筈だ。


「勿体ないお言葉ですイザベラ様」


 跪いたオリバーがその名を呼ぶと、イライジャの姿と服がどろりと崩れて、女教皇イザベラが現れた。


「貴方にはジェイク様が治めるアゲートの地ならしを任せましたが、見事に期待に応えてくれました」


 オリバーは跪いたまま、神に等しいイザベラの言葉を受け取る。

 イザベラにとって、ジェイクが治める予定だったアゲートの地に混乱が起きないようオリバーを派遣したが、最重要の案件だけあって、オリバーはイザベラの眷属達の中で最も能力が高い、最側近の一人といってよかった。


「それにしても残念。ジェイク様が直接治める地なのだから、サンストーン王国の大神殿より立派な神殿を建てたかった」


 イザベラが心底残念そうに呟く。

 サンストーン王国の民が沸いた、エレノア教の大神殿建設だが、本来の目的はレオとジュリアスの後継者争いが、直接的な戦闘にまで発展したとき、ジェイクを匿うためのものだ。しかし、ジェイクがサンストーン王国から追放された現在その価値は激減しており、真に正しい大神殿をアゲートの地に建設したかった。


「でも我慢ですよね」


 困ったように頬に手を当てるイザベラに、オリバーは無言で頷いた。

 それをすると、サンストーン王家を刺激するのは目に見えていたため、ジェイクと直接会う以外の我慢ができるイザベラは、泣く泣くアゲートの神殿が小さいことを納得していた。


「まあそれでも、他の宗教勢力への牽制になるでしょう」


「はい。我々が一番乗りを宣言したようなものですから、対立は避けようとする筈です」


 チャーリーが推測した通り、これこそが神殿を建設することと、態々イザベラが姿を変えて、オリバーと一芝居した理由だった。


 アゲートの金回りがよくなったと噂になり始めると、宗教勢力が注目してくるのは自明の理だ。しかし、イザベラにとってジェイクが気を遣わなければならない、もしくは権威的に上になりかねない存在が、アゲートの地にやって来るのは不本意で、はっきり言って邪魔だった。


 尤も、元々アゲートは神が忌むべき地と定めたため、余程のことがない限り関わりたくないのも宗教勢力の本音だった。


 そこで、この世界で最も権威ある宗教勢力の一つであるエレノア教が最初に神殿を築き、その上、お忍びで上位の司祭がやって来たという噂が流れれば、おいそれと手出しが出きなかった。


 これはこれで、少なからずサンストーン王国を刺激する可能性があったが、情勢がそれを許容した。


「それにどうも、第二王子側に第一王子とパール王国の姫の婚姻計画が漏れたかもしれません。第二王子側が急に婚姻で結束を強めてます」


「はい」


 一部の者が慎重に慎重を重ねて話を進めていた、レオとパール王国との婚姻計画がついに漏れたのではないかとイザベラは見ていた。


 エレノア教は愛を司るだけあって、貴族間の婚姻では欠かせない存在だが、最近第二王子側の貴族に呼ばれることが多くなったのだ。これをイザベラ達は、ジュリアスが何かしらの行動を起こすため、結束を強めているのではないかと考えていた。


「よく秘密を守ったと言うべきかしら」


「はい。文官は第二王子側と考えると、余程慎重に事を進めていたのでしょう」


 あくまで可能性があるというだけだが、国家間の婚姻の算段をジュリアス閥の文官に知られず、寧ろいままでよく秘密を守り通したと称賛するべきだろう。


 そして、サンストーン王国の情勢が急に不透明になったため、イザベラは少々のリスクを受け入れて、ジェイクを支援するためアゲートに神殿を築くことにしたのだ。


「それにしても、エヴリンさんが味方で助かりました」


「それは、確かに」


 しみじみと呟くイザベラに、オリバーも苦笑してようやく感情を表した。


 レオとジュリアスが争えば、サンストーン王国は内乱状態となり、それを他国が見逃すはずがない。特に緊張し始めたサファイア王国との国境は危険で、それほど離れていないアゲートにも危機が訪れる可能性があった。


 それを危惧したイザベラだが、エヴリンからあそこは投資したから大丈夫と言われたとき、スライムなのに顎が外れるかと思った。千年を生き、神をも堕とした悪神悪婦をして、金の化身の行動原理は理解不能だった。


「では引き続き、この地での活動をお願いしますね」


「お任せください」


 尽力してくれている眷属に、直接会って礼を言えたイザベラは、イライジャでもない全く別人に姿を変えると、宿の地下室から去っていった。


「貴方もご苦労様です」


「勿体ないお言葉です」


 宿


 誰が人間で誰がスライムなのか。


 世界でそれを知っているのはイザベラのみ。人が知っていはいけない真実の原因である【悪婦】がアゲートで、世界で蠢く。


 全てはただ愛のために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る