アゲートの地の【傾城】と元黒真珠

(どうもやり手の元シェフ傭兵団長が付いてるな。ここが雇った傭兵は、話が合うやつばっかりだ。となると……“獅子の牙団”が去年解散したな。あそこの団長か?)


 30代中頃の、傭兵として脂がのりにのっているアイザックが、髪と同じ金色の無精髭が生えた顎をさすりながら、アゲートの街で時折出くわす傭兵について考えていた。


 こっちの出した見積もり通りの金が払われたら、死なない程度に頑張りましょう。死ぬリスクも契約に含まれていて、それに見合った相応の金額で契約したら、死んでも契約は成し遂げましょう。が、座右の銘の彼は、自身を傭兵のプロフェッショナルであれときつく戒めていたが、残念ながら玉石混交どころか殆ど石しかいない傭兵業界ではあまり話が合う者がいなかった。


(話が合うやつと酒を飲んだ方が楽しいな)


 しかし、このアゲートの地では違う。そこそこの有名から全く無名の傭兵まで、ほぼ全員がなにかしら傭兵としての信念、美学、掟を持っており、酒場で話してみると馬が合ったり、思想は違ってもそう言う考え方があるのかと思う事が多かった。それをアイザックは、目利きが出来る元傭兵がアゲートの地に関わっているからだと考えていた。


(やっぱプロもいるとこにはいるんだな。しかもここは個人契約してくれて、報酬も月に前金で明瞭一括払い。暫く、っつうか骨を埋めるのもあり。マジで天国)


 これがアゲートの地ではなく、他所の傭兵達が集まっている酒場となると、どこぞで仕事をせずに金だけ受け取っただの、報酬をちょろまかしただのを武勇伝として語る者が多い。こんな傭兵達だからこそ雇い主は信用ならないと報酬を支払うのを渋るし、前金なんてことは絶対にしなかった。


 そのため初めて仲間意識を感じた傭兵が多く、個人の傭兵でもちゃんと契約してくれて報酬を誤魔化さないアゲートの地は、アイザックのような感性を持つ傭兵達にとって天国だった。


 しかし、この環境は腕利きの傭兵関係者ではなく、エヴリンという女が一人で作り出したのだから恐ろしいとしか言いようがない。


「ようアイザック! いいところで会った! “川のせせらぎ亭”で飲もう!」


「マイケル、誘いは嬉しんだが川のせせらぎ亭は色々高いだろ」


「月初めの契約金を貰ったばかりだろ! さあ行こう!」


「まいったな……」


 アイザックが人生の予定を考えていると、大柄で同僚の傭兵であるマイケルに声を掛けられ、酒場に連行されてしまう。


 彼らが向かう川のせせらぎ亭は食事も酒も値段が高く、高給取りという訳ではないアイザックでは、おいそれと訪れることが出来ない。しかし、幸か不幸かアゲート城から契約金を支払われたばかりで懐には余裕があったため、彼は苦笑しながら付いて行った。そしてもう一つ理由があったが、それをアイザックが口に出すわけにはいかなかった。


「いらっしゃいませ」


 アイザック達が川のせせらぎ亭に入店すると、早速女性店員に出迎えられた。

 アゲートの街の中心に近く、立地のいい川のせせらぎ亭は、ここ数か月前に開店したばかりだが、落ち着いた調度品と雰囲気、そしてなにより店員が美女ばかりなことで有名だった。


「ようデイジー! 店は繁盛してるかって、聞くまでもなかったな!」


「いらっしゃい。見ての通りさ」


 大柄なマイケルがどっかりとカウンター席に座りながら、店主で妖艶の言葉が相応しい褐色の美女、デイジーに店の繁盛具合を尋ねたが、どの席にも小金持ちの身なりのいい男が座っていた。


「よう」


「いらっしゃい」


 マイケルに続いてアイザックも席について、デイジーと短く言葉を交わす。


「一番上等な酒があるんだけど飲んでくかい?」


「はっはっはっ! 流石に破産するから無理だな!」


「付きっきりで酌してくれるなら」


「こんだけ忙しいとそりゃ無理だね」


 デイジーが早速とばかりに、カウンターに置かれていた上等な瓶に入った酒を勧めるが、元からお高い店の一番いい酒など開けさせられた日には、無一文になるとマイケルは笑い、アイザックは美女のデイジーがずっと話し相手になってくれるならと、遠回しに拒否した。


「ところで上の部屋は空いてるか?」


「もう先客が入ってるよ」


「あっちゃあ……」


 マイケルがカウンターから身を乗り出す様にしながらデイジーに本題を尋ねたが、答えは無常であったようで、彼はがっくりと項垂れた。


(ありゃあなんとなくだが、手に負えないと思うがねえ)


 マイケルが求めている、酒場の二階の部屋の主を一度見たことがあるアイザックは、心の中で顔を顰めた。傭兵として勘で、全く詳しく説明できないのだが、関わるべきでないと思っていた。


 正しいことこの上ない。


 その部屋で行われているのは、“いつもの”だから。


「それじゃあ新しい大公様は凄い人なんですか?」


「そうなんだよリリーちゃん。いやあ、ここだけの話、前の領主はアゲートを去ろうと宮廷工作に金をつぎ込んでたからね。陛下がそれをちゃんと内に使ってくれてどれだけありがたいんだ。これもここだけの話だけど陛下は凄いよ。ご自分のことにお金を使ってる感じが全くしないからね。いやあ、お若くても名君ってのはああいう方を言うんだろうなあ」


 密かにサンストーン王国を抜け出していたのは、レイラ達だけではない。レオとジュリアスの間のきな臭さがいよいよ危険な域まで達していたため、元黒真珠の構成員達もアゲートの街に引っ越していた。そして変わらず酒場を営んでいたが、そこを隠れ蓑にこの世で最も危険な毒蛇が蠢いていたのも変わらず、リリーは情報収集を欠かしていなかった。


 しかし、今回の客である城の文官は、リリーにしてみればある意味大当たりだ。


「お酒注ぎますね!」


「ありがとうリリーちゃん!」


 演技ではないニコニコ顔のリリーに酒を注がれた男も笑顔だ。これでジェイクの悪口でも言おうものなら、アゲートの街で転がる羽目になるが、逆に称えたら【傾城】リリーの接待を受けることが出来る。


(やっぱりお金を内に回してることと、悪徳徴税官を捕まえたことで、ある程度の文官はジェイク様に畏敬を持ってる。まあ、比較対象が前領主の一族だから、何をやっても高評価なのはあるかもだけど)


 だがリリーの内面はどこまでも冷静だ。内側の粛清機関であった組織、黒真珠が生み出した最高傑作は直接的な戦闘力だけでなく、情報収集にも優れていた。しかし、前領主の一族がまともに領地を纏めていなかったため、ジェイクがまともなことをするだけで評価を受けるという、なんとも言えないことも分かっていた。


(それにしてもレイラさんがいたら楽だなあ)


 リリーは客に愛想を振りまきながら、アゲート城の内部を思い出す。覚醒したと言えるレイラを見た一部の臣下達は、彼女に絶対の忠誠を誓っており、裏切りの心配が皆無だった。そのため内を監視していたリリーの負担が大幅に減り、彼女がジェイクの下を離れる余裕が出来ていた。


「あ、そう言えば勝手に徴税していた人が捕まったって聞きましたけど、他にもいるんですかね?」


「うーん。自分の周りではいないけど、怪しいって思われてる人はいるなあ。これもここだけの話だけど、港の係官は賄賂をよく要求するって噂が仲間内であるんだ。名前は」


 なんでもないリリーの世間話なのに、勝手に踏み込んでべらべらと身内の話を漏らす文官。しかし、致し方ない事なのだ。鼻、目、唇、吐息、体。その全てが男を蠱惑する毒蛇に、隠し事など出来はしない。


 粛清機構にして、艶やかな毒蛇がアゲートの地で蠢いていた。


 ◆

 ◆

 ◆


 夜も更け、川のせせらぎ亭が店仕舞いをしても、アイザックはアゲートの街を歩いていた。


「来たぞ」


 そして小さな一軒家の扉をノックして、中にいる住人に来訪を知らせる。


「はいよ。入りな」


 デイジーが扉を開けてアイザックを迎え入れた。


「飲み友達は?」


「足はふらついてなかったから大丈夫だろ」


(私も焼きが回ったね……)


 勝手知ったる家とばかりに足を踏み入れたアイザックを見ながら、デイジーは心の中で苦笑した。


 元黒真珠の構成員だったデイジーは、職業柄か仕事に対してプロ意識を持つ男が好みだった。そして、ちょっと奮発するかと思い、初めて一人でやって来たアイザックと話していると非常に話が合い、気が付けば男女の仲だった。


 デイジーの懸念は彼女も黒真珠の例に漏れず、被差別の証である、臍にパールが付いていたことだが、一々そんなことを気にしていたら、死んでいた人生を歩んでいたアイザックは気にしなかった。


 そのため、デイジーが一番上等な酒を勧めたのは、この後に来いという誘いであり、アイザックの付きっきりで酌をしてくれと言うのは、了承の意味が込められていた。


「飲みなおすかい?」


「酌してくれるなら」


「ふん。他の客には内緒だよ」


「やったぜ」


 川のせせらぎ亭では忙しいからと断られたアイザックの提案だが、ここはデイジーの自宅であり他の客はいない。蝋燭の揺らめきが照らす室内で、足を洗った女諜報員は、単なる女としての新たな人生を見つけることが出来たのであった。

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