アゲートの地の【奸婦】2

 アゲート城の一室で、御用商人の末席に加わったフェリクス商会の会長フェリクスが椅子に座っていた。フェリクスは赤毛の誠実そうな青年で、年若いこともあり噂されているようなやり手の商人には見えなかった。しかしその才能は確かであり、そこらの商人では及ばない才覚を秘めていた。そんな彼だからこそ、空いた御用商人の末席に滑り込め、こうして城にまで呼び出されるのだろう。


 真実は違うが。


「待たせてすまんな」


「いえ、全く待っていません」


「社交辞令ってやつや」


「は、はあ」


 その新進気鋭のフェリクスが、部屋に入って来た女性に畏まって挨拶をする。それもその筈。その女性こそがフェリクス商会を、それどころかアゲートの地を、いや……ひょっとしたら世界の一部すら陰から動かしている怪物の中の怪物なのだ。


「いやあ、やっぱり傭兵とか冒険者は分かりやすくていいなあ。金に汚くても金に誠実やったら一発で分かるで。その逆で金に不誠実な奴もやけど」


「はあ……」


 フェリクスの対面に座りながら、世間話のように傭兵や冒険者について語る彼女こそ、フェリクスが全く頭が上がらない【奸婦】エヴリンであった。


(この人、金で動く人の見る目が良すぎるんだよなあ……)


 フェリクスが心の中で慄く。

 アゲートの地で働く傭兵や冒険者は、エヴリンがこっそりと確認した後、雇用するかを決めていた。彼女曰く、金を貰った分は働くプロ意識を持つ者は即座に分かるし、金に見合った能力があるかも分かるとのことで、雇用における人の見る目があり過ぎるのだ。そしてジェイクも金や雇用をエヴリンに丸投げしているので、既に彼女は裏でアゲートの地に君臨していると言ってよかった。


(それにしても、一体どうしてこんなことになってしまったんだ……)


 フェリクスは自分の妙な人生に嘆息する。

 フェリクスとエヴリンの出会いは、サンストーン王国とエメラルド王国が戦端を開いた頃まで遡る。両親を病で亡くしたフェリクスは、なんとか仕事を見つけようと、ダメもとで勢いがあったエヴリン商会の扉を叩き、偶々商会にいたエヴリンの目に留まった。留まってしまった。


 そこから彼の人生は激動だ。エヴリン商会で働くことになったが、ある時急に、エヴリンにアゲートの地で商会を立ち上げろと命じられ、首を傾げながら地道にやっていこうと思っていたら、その命じたエヴリンがアゲートの地にやって来たではないか。しかも、エヴリン商会の全面援助を受けて、気が付けば勢いのある御用商人にまでなってしまった。


(なんでエヴリン商会じゃなくて、自分の名前でフェリクス商会なんだって思ってたんだよなあ……って言うか会長、アゲート大公とどこで知り合ったんだ?)


 才覚は間違いないフェリクスは、アゲート城の一室でエヴリンと再会した時、その内アゲート大公第二夫人やからよろしゅう。と言われた時、第二夫人の名前で御用商人をするのは外聞が悪いため、自分の名前を使われたのだと全てを察した。そう、彼のフェリクス商会は実質エヴリン商会で、アゲートの街の商業活動をコントロールするための一部だったのだ。


「そんで、サファイア王国と国境を接しとる、サンストーン王国の貴族と商談は纏まったか?」


「採算ぎりぎりで持ち掛けたんですからそりゃ纏まりますよ。担当官と話が終わったら、お貴族様が態々僕に感謝しに来たくらいですし」


「よしゃ。損して得を取らんといかんからな」


 ここ最近、フェリクスはサファイア王国と国境を接している領地を賜った、サンストーン王国の貴族領に向かい、非常に格安で小麦や木材、石材、その他物資を売る契約を結んでいた。これは商人にあるまじきことに本当に採算ぎりぎりで、現地の貴族は平民のフェリクスの前にやって来て、お前の献身は忘れないと言ったほどだ。


「国境沿いでサファイア王国を食い止めて貰わんと、名目上は独立しとっても、実質サンストーン王国の属国のアゲートも危ないからな」


「その、本当にまた戦争になるんですか? 現地の雰囲気は確かに緊迫してましたけど、大義名分がないでしょう?」


「ふっふっふっ。フェリクス君、戦商ってのは大義やら国際情勢やらを聞いて判断しとったらいかん。現場の匂いと受ける肌の感じが緊迫しとると思ったんならそっちを信用した方がええで。そんでウチの見るところによると、この商談はちゃんと投資になる。つまり、ここでサンストーン王国にテコ入れせんかったら、戦に強いレオ王子が王都から辿り着く前に国境線が破綻するな」


「は、はあ……」

(やっぱバケモンだ……)


 フェリクスは、エヴリンの背後に天まで伸びる金貨の塔を幻視して恐怖する。


 一体世界の誰が知る。実際にその国境線を見ず、全く別の場所から戦争が起こると断言して、自国の安全保障を金で片付けようとする商人がいるなど。


「自分、商人の才能ありますかね?」


 そんな金の化身を前にして、自分の才能が不安になったフェリクスが問う。


「先を“見る”までは行ける行ける。“味”が分かるかは、ま、要努力やな」


「は、はあ……」

(味ってなんですか……味って……)


 フェリクス。後の名をフェリクス・ファブレガス。遥か後世で誤ってブレガスの名で伝わり、宰相商人として記される傑物だったが、その彼をして、金を操るのではなく金の化身と言うべき存在は完全に理解の範疇の外だった。


「よしゃ。そんじゃ次の金儲けについて話そうか」


 そして、人間の文明において存在が許されない程の、ひょっとしたらある意味で最強の名が相応しい金の化身が、忌むべき地で蠢き続けていた。

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