アゲートの地の【傾国】3

 レイラがアゲート城にやって来たことで、アゲートの地に激震が走った。ことはない。なぜならレイラはアゲート城の外に出ることが無いので、街ではどうやらアゲート大公の婚約者殿は絶世の美女らしい。程度の認識しかされていなかった。


 だが、レイラと直接会うことの多い使用人や、城の衛兵、チャーリーなど一部の文官にはまさに激震が走った。


「お、おはようございます! お水を持ってまいりました!」


 レイラとエヴリンがやって来ても、使用人であるエミリーの仕事は変わらない。朝の仕事としてジェイクの部屋に水が入った桶を持って来ていた。


(うう、緊張する……)


 部屋の中にいるジェイクに声を掛けたエミリーだが、以前はそれほど緊張しなかった。ジェイクも使用人の娘であるエミリーに対して、大公の威厳を示す必要性を感じなかったので、彼女が緊張を覚えたのはジェイクがここにやって来て数日間だけだった。


「ああ今行く」


「は、はい!」


 その緊張の原因は、部屋にいて当然とばかりに扉を開けた美の化身のレイラだ。婚約者とはいえまだ結婚をしていないため、早朝の大公の部屋に女性がいるのは少々問題があるのだが、エミリーにそれを指摘する勇気はない。尤も、レイラは朝一番でジェイクの部屋に訪れていただけで、色っぽいことはなにもなかった。


「毎日悪いな」


「と、とんでもございませんレイラ様!」


 それどころかレイラに労わって貰えて、心底嬉しいと飛び上がる寸前だった。

 一見するとレイラのことを全肯定しかねないエミリーの雰囲気だが、それでもギリギリ理性は働くようで、レイラが毎日水を持ってくるのは大変だろう。自分がやると言い出した時は、それは自分達の仕事だからどうか勘弁して欲しいと願ったこともあった。


「それではまた頼む」


「はい!」


 レイラが桶を持って扉を閉じる姿を、エミリーは背筋を伸ばして見送った。


(うう……恐れ多すぎるよぉ……)


 扉が閉まったことを確認したエミリーの緊張の糸が切れた。

 完全に人間とは違う上位の存在に会うのは、自分に何かおかしいところはないかと思い緊張感を伴う。ましてやエミリーは単なる使用人の娘であり、その上位の存在と接するのに自分には荷が重いこと甚だしいと思っていた。


(それにしてもレイラ様が婚約者だなんて、陛下って凄い人なんだなあ)


 そんなレイラが婚約者で、しかも非常に仲睦まじい様子を見せるジェイクの評判も上がっていた。見るからに凄いとしか言いようがないレイラが、ジェイクを愛しているのだから、きっとジェイクも凄いに違いないという、かなりあやふやな評判だったが。


(ともかく今日も一日お仕事お仕事! チャーリー様、エミリーは頑張ります!)


 エミリーは無くなっていた緊張感を取り戻す様に一度自分の頬を叩くと、密かに愛している男に宣言するのであった。


 一方、その美の化身は……。


「ほら起きろ」


「もう後10分……レイラも寝よう……ぐう……」


「婦人服を着ていて横になれるか。皺だらけになるだろうが」


「じゃあ寝間着を着てきて……」


「ば、ばか……!」


 ジェイクといちゃついていた。


 しかも普段ならジェイクを無理矢理起こすレイラだが、寝間着と言う単語が悪かった。レイラはエヴリンに揶揄われながらも、薄い寝間着をこの城まで持って来ていたため、それを思い出して赤面した。


「さあ早く起きろ!」


「うーん……」


 レイラはそれを誤魔化す様に、大公であるジェイクを無理矢理叩き起こすのであった。


 ◆


 ジェイクが執務をしている間のレイラは、エミリーを伴って行動している。


「おはようございます!」


「あ、ああ。おはよう」

(これはこれで困るな……)


 通路で会う衛兵達は皆が最敬礼となりレイラに挨拶をする。ついに彼女が望んでいた、男が自分に狂わない光景だが内心で苦笑していた。


 今までジェイク以外のあらゆる男の理性を狂わしたレイラは、イザベラとソフィーから、完全に【傾国】の誘惑を抑えきれていると判断されてこの地にやって来た。そうでなければ、レイラは極限られた区域でしか生活できなかっただろう。しかし、誘惑の力を抑えきれても、美貌はそのままなため、今度は理性をなくすのではなく、誰もが彼女にひれ伏すことになったのだ。尤も、ある程度強い意志を持つ者や確固たる信念を持つ者には効果が薄かった。


「おはようございます!」


 衛兵達が、まだジェイクの妻ではなく婚約者のレイラに最敬礼するのは、ジェイクの権威を損なうように思える。しかしアマラやソフィーの考えでは、遅かれ早かれ一緒になるのだし、妻の実家の権威を利用する王族も少なくないため、レイラがジェイクを立てて生活すれば、特に問題ないと判断していた。


(まあそのお陰でジェイクと結婚出来るんだが)


 心の中でレイラが再度苦笑する。寧ろ大公のジェイクと農村生まれのレイラが結ばれるには、その美貌が必要不可欠だった。


「おはようございます!」


「お、おはよう」


 レイラは別の衛兵に挨拶を受けて戸惑いながら返事をする。


 レイラはギリギリ、ギリギリだが崇拝までは行かない扱いを受けていた。しかし、殆どの者は知らないが、【傾国】を完全に抑え込んでなのだ。


 人知を超えた力を持つレイラによって、極一部とはいえ絶対に裏切らない強力な家臣団が形成されようとしてた。























 ◆


「アマラ、質問。スキル【傾国】とは? レイラの力は私達の知っている【傾国】ではない」


「ソフィー、それは妾も何度か自問したが……ひょっとしたらレイラの力が【傾国】でないのでなく、今まで存在した【傾国】が未完成だったのかもしれん。【傾国】の名はその未完成の力を呼び表してるのだと思う」


「未完成?」


「ああ。あれが本来の力なのかもな。かつてのスキル保持者は、あそこに至る前に落命したのだろう」


「でも一人か二人程度とはいえ、レイラより年長の【傾国】保持者は存在していた。至れなかった違いは……環境?」


「では妾が問おう。彼女達とレイラはなにが違った? 何が足りなかった?」


「……まさか……愛?」


「ふっ。案外そうかもな」

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