アゲートの地の【傾国】1

(一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなってよかったぁ……)


 アゲート城で勤務する使用人の娘、エミリーがほっと息を吐いてた。


 赤毛の短い髪と青い大きな瞳を持ち、小柄で少女とも女性ともいえる様な年頃のエミリーだが苦労人だった。


(上の人達は前の領主の奥方様に付いていって、私がベテランでママなんか最古参になっちゃったし)


 発端は前領主が討ち死にした後の、領主夫人の行動だ。戦死した夫のことはともかく、嫡男であった息子の死は酷く悲しんだようだが、嫌々忌むべき地に嫁いでいた前領主夫人は、二人の死が分かるとすぐ実家に帰ってしまった。


 しかもその際、高位の執事や使用人達も職がなくなることを恐れて前領主夫人に同行したため、アゲート城に残された使用人達の平均勤務歴は大きく下がり、母も使用人だったため幼いころから働いていたエミリーがベテランと言える状況になってしまったのだ。


(チャーリー様のお陰で人が補充されなかったら過労死してたかも)


 領主とその夫人がいなくなっても、城は文官や武官など様々な人間が勤めているため、その生活を支える使用人の仕事が大きく減ることは無い。それを少なくなった人員でやり繰りするのは不可能だったが、ここで使用人達とチャーリーの悩みが噛み合った。


 戦争で夫が帰って来ず、未亡人になったのは前領主夫人だけではない。街にも農村にも大量に発生してしまい、彼女達の生活をどうにかするため、チャーリーは城の使用人として雇うことにしたのだ。それなら給金の他に食事も出せるし、なにより安全だった。最初は教育に時間が掛かったが、人が増えたことによる人海戦術で、なんとかアゲート城は維持されていた。


(でもチャーリー様を狙う人が増えた! まずは私なんだから!)


 だがエミリーにとって、思わぬ副産物を生み出してしまう。元々実直に働いていたチャーリーに淡い恋心を抱いていたエミリーは、戦争後、身を粉にして自分達のために奮闘した彼にその思いをより強いものにして、彼の妻になることを計画していた。


 問題なのは、それが新たにやって来た未亡人やその娘も似たようなものだったと言う事だろう。心底困り果てていた時にチャーリーに助けてもらった彼女達もまた、チャーリーに感謝と愛情、今の生活を守る少しの打算で、それとなくアプローチを仕掛けており、エミリーを焦らせていた。


 一見身分違いの恋に見えるが、アゲートの地の貴族位はかなり特殊だ。この地でしか通用しない非常にローカルなもので、しかも、初代領主が唐突に与えた貴族位だったため、あっさり取り消すことが多かった。そのため現在では、結婚もアゲートの貴族同士だけで続けるには無理がある数しか残っておらず、街娘と結婚した貴族の例は多い。


(これも陛下のお陰だね!)


 その上、エミリーにとって喜ばしいことに、新たにやって来たジェイク大公は幾つかの法令を改めており、その中には初代領主が定めたものの、実質破綻して有名無実化している、貴族の結婚は貴族のみという法を廃止していた。


 実のところ、大公の私情が混ざってないかと問われれば嘘になるが、機能しておらず意味がないのもまた事実であった。


 余談だが、恐れ多すぎるため、未婚とはいえ大公にアプローチする使用人の娘はいなかった。


(目指せチャーリー様の第一夫人! えいえいおー!)


「ああエミリー、丁度よかった」


「え? へ、陛下!」


 そんなエミリーが城の通路で、チャーリーの第一夫人になるべく気炎を上げていると、従卒を連れた主であるジェイクと曲がり角でばったり出くわし、慌てて頭を下げた。


 相対的にベテランとなっていたエミリーは、重要な場所であるジェイクの生活範囲で勤めていることが多く、名前も憶えられていた。


(お世継ぎどうするんだろうなあ。また混乱するのは勘弁して欲しいんだけど)


 唐突に主と出会って慌てたエミリーだが、女の冷静な部分がチャーリーやバーナードと同じ懸念を抱いた。


「急だけど、婚約者が二人こっちに来ることを知っておいて欲しい」


「は、はい!」

(え!? 二人!? って言うか婚約者いたんですか!?)


 そのエミリーの懸念は一瞬で解決したのだが、少々不敬な思いを抱いてしまう。常識的に考えれば、大公に婚約者の一人や二人、いや六人いてもおかしくはない。


「それではお迎えの準備を」


「ああいや、それには及ばない。サンストーン王国のレオ殿下とジュリアス殿下の手前、あまり大きな話に出来ないから、夜にこっそり来る手筈になっている」


「分かりました」

(そういうものなのかな?)


 エミリーは大公の婚約者が来るのだからと、城を上げて出迎える準備をしようとしたが、ジェイクに止められてしまう。


 ジェイクにしてみれば、サンストーン王国を離れたため、兄であるレオとジュリアスのことを殿下と呼び、妻ではなく婚約者という配慮をする必要があるのは間違いない。しかし、夜にこっそり来るのは移動手段が問題で、馬車などではなく禁忌とされている転移魔法だからだ。


「それでは頼む」


「はい」

(どんな人達なんだろう? お貴族様だからきっと凄い美人なんだろうなあ)


 この時のエミリーは、単に貴族らしい高貴な美女達が来るとしか思っていなかった。


 間違いであり当たっていた。


 間違いは貴族でないこと。


 当たっていたのは、美人であることだ。二人のうち少なくとも片方は。


 もう片方は、最早……美と言う言葉では表せない存在と化していた。


 ◆


「陛下、水をお持ちしました」


 それから数日、エミリーは日課の一つである、ジェイクの部屋の前に水が入った桶を持ってやって来ていた。使用人の極一部が知っていることだが、ジェイクは朝が非常に弱いため、起きても水で顔を洗わないと一日を始められないのだ。


「ああ、今行く」


 部屋の中からジェイクではなく女性の声が発せられた。


 え? 誰? そういった疑問をエミリーは持てなかった。声が聞こえた瞬間、体どころか思考すらも完全に固まっていた。


 その声は、不世出の天才が狂気の果てに作り出した楽器や、悪魔に魂を売り渡した音楽家が奏でる音色すら貶め、その彼らすらこの声を聞いたら、自分の存在を無価値と断じて命を絶つだろう。


「初めまして。今日から世話になるレイラだ」


 扉から現れたに対して、エミリーは考えを放棄した。


 単なる婦人服に身を包んだそれは、髪も眉も睫も肌も、唇など一部を除いて、無比の純白無垢にして処女雪の化身。人の芸術家どころか、芸術を司る神が全てを一から作り出し、練り上げに練り上げ、それでも幾度もの失敗と試行錯誤の果てに生み出した美の極致。いや、神すらも作り出せない存在がいた。


 もう、争いを呼ぶ美ではない。それすら超越してしまった結果、女も男も例外なくレイラの前に跪くしかなく、滅ぶどころか全てから敬われる者へと至ってしまったのだ。


 それはもう、便宜上【傾国】と呼ばれているだけの、別のナニカだった。























 ◆


『おほほほほほほほ! 神と呼ばれていた存在達が見たらなんと言うでしょうね! ああおかしい! おかしくておかしくて堪りませんわ! おーっほっほっほっほっほっほっほ!』

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