ジェイク・アゲート大公

 ジェイクを優しいと、ある意味で舐めている文官の一人に、サイモンと言うトマの村の徴税役人がいるが、腹は肥え太り、顎が弛んだ40代ほどの男性で、不摂生な事が見て取れた。


「トマの村は更に減税ですか」


「ああ。大公陛下のご命令でな」


「それはようございました。あそこは男手が減って苦労しておりますから」


 そんなサイモンは、晴れて男爵から子爵となったチャーリーから、自分が徴税を担当するトマの村で、減税が行われると命じられ、神妙な顔で頷いていた。トマの村は前の領主が男手を戦地に連れて行き、帰って来なかったため、以前もチャーリーが臨時代官を勤めていた時も、減税の対象となっており、今回もう一度行われることになったのだ。


 そのトマの村の苦労を知っているから、サイモンもほっとしたように……。


(また臨時収入が手に入るな)


 心の中でほくそ笑んだ。この男、前の領主が戦時に定めた高い税を、未だにトマの村で適応して徴税しており、減税された分との差額をそのまま懐に収めていた。いや、それ以前から、トマの村の税を勝手に上げて、不正蓄財に勤しんでいる悪徳役人だった。


(お優しい大公様、ありがとうございます)


 普段は城で勤務しているサイモンは、何度かジェイクのボケっとした顔を見る機会があり、その新たなお優しい大公に、サイモンは感謝の言葉を送った。


(今回の臨時収入が入ったら、元の少し高い税に戻すか)


 大公にトマの村の民が訴える手段などなく、また、単なる農民が遠く離れた村からアゲート街に辿り着くのは至難の技であり、流石のサイモンもいつまでも戦時の高い税は維持出来ないと考えたため、この件は歴史の闇に消える。


 筈もない。


 無能を超えて、欲をかき過ぎた愚か者には破滅しか待っていないのだから。


 ◆

 ◆

 ◆


「お役人様、その、ご相談があるのですが……」


「いや分かっている村長。今回を最後に税は元通りになる。そう、今回で最後なのだ。今まで大変だっただろう」


「おお、それなら……」


 トマの村に税を徴収しに赴いたサイモンは、非常に言い難そうな村長に対して、言わなくても分かるとばかりに先んじて、税は元通りになるなどと宣ったが、その元に戻る税にしたって、サイモンが余分に徴収していたものだ。


「ギリギリだったもので助かりました」


「うんうん。新たな大公様はお優しい方だからな」


「ええ本当にお優しい方の様で」


 サイモンは連れて来た兵が、税となる麦などを荷馬車に積み込むのを横目にしながら村長を労う。ただ、少しでも疑問を覚えるべきだった。ギリギリだったと言う割には、村長は痩せこけている訳ではないことに。


「それではな」


「はい。お気をつけてお帰りください」


 税を積み終えたことを確認したサイモンは、そう言ってトマの村を後にした。


 案外役者の才能があり芸人一座に生まれたら、世にその名を轟かせたかもしれない。サイモンではない。


 サイモン達が去るまで完璧にか弱い存在を演じきり、去っていく彼らを送り出した村長がである、


 ◆


(さて、ここからがまた一苦労だ)


 アゲートの街に帰るサイモンが心の中で呟く。連れて来た10人ほど兵士の中は彼の手下なのだが、彼等に口止め料込みの報酬を払ったり、目立たない場所でちょろまかした分の積み荷を分けたり、足が付かないよう売り払うルートに気を使ったりと、悪党には悪党の悩みがあった。


 その悩みも解決することになったが。


「な、なんだ?」

「騎兵隊がなんで?」

「あの旗……!?」

「え?」


 街道を進む彼らの前から、軽装を身に纏った30騎ほどの騎兵隊が土煙を上げて走り寄ってくるが、サイモン達は、自分達が行った不正がバレたのではと思うのではなく、ひたすらなぜ? という疑問を感じた。アゲートの街からやって来た騎馬隊なのだから味方なのは間違いない。旗だって味方のものだ。


 その旗が、とりあえず臨時で使われている赤一色の、アゲート大公の瞳を表すものでさえなければ、サイモン達も混乱しなかっただろう。つまり、態々大公がこの地までやって来ているのだ。


「止まれ!」


「い、一体何が!?」


 そして自分達の3倍もいる騎兵に止まれと言われて囲まれたら、サイモン達は混乱しながらも大人しくするしかない。


 そして後からやって来た徒歩でやって来た兵士も合わさって、サイモン達は完全に囲まれた上、槍まで向けられてしまった。


「トマの村の徴税官サイモン、貴様には税の横領の嫌疑が掛けられている。大人しく縄につけ」


「ひっ!?」


 そしてサイモン達は見てしまった。自分達を囲む兵達の奥にいる、アゲートの地の大公ジェイクが、普段のよく言えば柔和な、悪く言えばボケっとした表情ではなく、無表情でその要件を口にしたのだ。


(なんで大公が態々!?)


 愚かなことに、サイモンは自分の今の状況ではなく、大公の身分にも関わらずこの場にいるジェイクに対して疑問を覚えていた。あるいは現実を直視したくなかったのかもしれない。なにせ既に荷馬車の中身を他の役人が検査しており、サイモン達は動かぬ証拠を押さえられたのだ。


(し、死罪になる!)


 ここでようやくサイモンは自分の未来を考えることが出来たが、税と言う君主の特権を侵した者に慈悲が与えられるはずもない。それだけでも死罪に相応しく、万が一の慈悲があったとしても危険な鉱山送りなのは間違いない。


「大人しくしろ!」


「わ、私達は先祖代々この地で勤めてきたのです! どうかお慈悲を!」


 サイモンは身を捩って、自分を捕らえようとする兵に抵抗しながら苦し紛れの言葉を発する。現行犯で捕まり言い逃れが出来ないため、全く関係ないことを言ってでも罪を軽くして貰おうと思ったのだ。そして彼の思う通りの、お優しい大公様なら希望があった。


 だがそこにいたのはお優しい大公様ではなく、ジェイク・アゲート大公だった。


「長さが」


 まるで囁くようなジェイクの声だったが、抵抗するサイモンのみならず、ジェイクが率いていた兵達すらびくりと慄いた。


「長さが貴いのではない。尊いのではない。長くよく治めるのが貴いのだ。長くよく勤めるからこそ尊いのだ。民から搾取し続けた長さになんの価値がある。意味がある。法の下に裁きを受けよ」


 囁き声のようでありながら轟いたその言葉は、あまりにも危険な思想だったが、直接聞いた者達はそれどころではなく、がっくりと膝をついたサイモン達を、兵達は慌てて捕縛していった。


「街に帰ったら、横領した総額や背後関係を洗え」


「はっ!」


 ジェイクの命令に、指揮官が背筋を伸ばして応えるが、サイモンにはこれからまだ、厳しい取り調べが待ち受けていた。


「陛下、恐らくですがトマの村の者と思われる者達が様子を見に来ているようです」


「会う……ことは出来んか。気配りできる者を向かわせてくれ。ああそれと、あの荷馬車の中身はすぐに返す様に」


「はっ!」


 兵の報告にジェイクは一瞬悩んだが、全て臣下に任せることにした。


 トマの村はサイモンの不正が分かった時点で、元々トマの村にいた者に限りそれに応じた支援がされており、生活は劇的に楽になっていた。そして今回の件で村長は一芝居してサイモンを騙し、逮捕に協力していたため、ジェイクも出来ればトマの村の者達に会って色々と話したかったが、今回の件はあくまで内を引き締めるための粛清であり、大公として一地方の農村のために動いた事には出来なかった。少なくともこの時代では、言葉は悪くなるが末端の不正の被害者に、ジェイクが大公として声を掛ける前例を作る訳にはいかなかったのだ。


(会う、話す、謝る、お礼を言うにも身分を考える、か。誰もがそんなことを考えないで済む時代は来るかな?)


『おほほほほ。時代に合わない考えは無能と変わらないと以前言いましたわよ。ま、人間と言う種の程度を考えると答えは決まってますわ』


(ああそうだな。いつかきっと来る)


『おほほほほほほほほ!』


 ジェイクの心の呟きに、【無能】がやれやれといわんばかりの声音を発するが、続けたジェイクの結論に対しては、心底おかしいと笑い声を上げるのだった。


 ◆


 この大公自ら不正役人を捕縛した一件は、瞬く間にアゲートの街で話題になり、市民達に新しい大公は一味違うと思わせ、極一部の者を震え上がらせた。ジェイクの大公としての権威が、一歩だが確かなものとなったのだ。


 そして、その頃合いを見計らって、転移魔法でアゲートの地にやって来た者達がいた。


 1人は金の化身。


 そしてもう1人は、歪んだ美で争いを招く【傾国】ではなく、ついに至った全てがひれ伏す存在だった。

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