執行人のかつてと今

 ジェイクが忌むべき地であるアゲートに大公としてやって来て数日が経ったが、その間に彼が行ったのはチャーリーを筆頭に、この地を何とか治めていた者達に報いる事だったり、細々とした調整などで、特に大きな動きはしていなかった。だが、細かい小さなことで、ジェイクに鋼の如き忠誠を誓った男達がいた。


「あなた、そろそろ食事にしましょう」


「ん」


 城郭都市のアゲートの外には幾つかの農村が点在するが、そのうちの一つに首切り集落と呼ばれる場所があった。その小さな村で、飼っている鶏に餌を与えていた男が、妻に短く返事をした。


 とてつもなく逞しい、熊と見間違うような中年の男だった。身長はそれほど高くないのだが、全身に筋肉の厚みがり、腕周りは細い女性の胴程はあるのではと錯覚させ、顔はひげもじゃなのだが妙に円らな瞳をしていた。


 彼の名前はバーナード。刑執行の役人をしている家の生まれで、この集落はその一族の系譜の集まりだった。


 しかし先祖代々扱いが悪かった。バーナードの祖先で初代の執行人は、無茶苦茶な独自ルールをやってエメラルド王に鬱陶しがられたアゲートの初代領主に鬱陶しがられた人物で、つまりまともな人物という訳なのだが、初代領主がアゲートの地でも独自のことを行おうとしてそれを諫め、それが気に入らなかった初代領主は、バーナードの祖先を刑執行官に命じたのだ。


 そして元々エメラルド王国では刑執行官の地位は低く、死刑では斬首を行う都合上、不浄であると忌み嫌われており、しかも刑を執行しても支払われる金額は微々たるもので、無理矢理役目を課されているような状況だった。


 しかもバーナードが刑の執行で用いる鞭や剣、その他道具は全て彼の私物であり、破損すれば自費で補充するしかないため、普段から節約を心掛けて貯金しなければならず、普段の食事も非常に質素なものだった。


 ついこの前までは。


「感謝を」


 その巨体と威圧感に似合っているというべきか、口数少ないバーナードが食事の席で感謝の言葉を口にするが、いつもはカビの生えかけた黒パンを食べていたのに、彼の前にはちゃんとした黒パンが置かれていた。


 今のバーナードは、軽い刑罰を行ってもきちんと給金が支払われ、農民なのか役人なのか分からない様な状況ではなかった。


 ◆


 刑執行官であるバーナードの職場は、城郭都市アゲートの中にある罪人を収容している牢獄で、そこは街から隔離されるように、城郭の中の最も端に位置しており、彼が職場に向かうならどうしても街の門を通る必要があった。


「ああ、バーナードか。荷物だけ確認するぞ」


「ん」


「よし、通っていいぞ」


 街の門を守っていたベテランの衛兵が、その外見に相応しく、のっしのっしとやってきた顔馴染みのバーナードに声を掛けて、手荷物だけ確認して通行の許可を出した。


 以前はこうではなかった。バーナードは街の中に不浄や瘴気を持ち込まないだのと、よく分からない宣誓をさせられ、専用の紙に署名をしなければ街へ入れなかったのだ。


 しかし今ではそういった煩わしい手続きはなくなり、元々門の規定にある手荷物の簡単なチェックだけで街へ入れるようになっていた。


 ◆


 職場である牢獄の環境も変わった。


 悪臭や汚物溢れる監獄は、新たな大公の命によって一斉清掃が行われ、相変わらず薄暗く湿度はあるものの、かつてとは比べ物にならない程清潔になっていた。


(道具に問題はない)


 そんな牢獄で自分の仕事道具と言える、鞭や棒、剣を確認しているバーナードだが、これらは以前は彼の所有物で、今は大公国が正式に買い上げて備品にしており、使えなくなった場合は経費で新たに買い替えることが出来るため、彼の負担は無くなっていた。


 だが幸いと言うべきか、道具を確認しても今日は執行される刑がなかったため、バーナードは監獄の雑務を勤めるのだった。


 ◆

 ◆

 ◆


(新しくやって来た商会、品揃えがいい様だな。今度寄ってみるか)


 勤めを終えて家に帰っているバーナードがそう思っていたが、これも以前では考えられないことで、かつては街の中での移動を制限されており、その制限されている中で買い物をするしかなく、新しく店が出来たからといってそこへ寄ることは出来なかったのだ。それが今では完全に撤廃され、彼の移動を制限する規則は存在しなくなっていた。


「帰った」


「お帰り父さん」


「すぐ夕食は食べられますよ」


 そして家に帰りついたバーナードを迎える家族の血色はよく、それは彼の家の周りの、同じく刑執行に携わっている一族も同じで、かつてとは比べ物にならない程生活環境が良くなっていた。


「では感謝を」


 食事前の感謝を捧げるバーナードだが、その言葉はかつて形だけ神に、今では心の底から今の大公、つまりジェイクに捧げられていた。


『なんだこの刑執行人への扱いはあああああ! 一旦全部サンストーン王国のものと同じにする! 待遇を普通にするだけなんだから急な依怙贔屓なんて言わせねえぞ!』


 と言うのも、普段はボケっとしているジェイクが、刑執行人に対する扱いを知って、刑執行人の待遇をとりあえず今よりよっぽどましなサンストーン王国と同じものにすると命じたため、バーナード達の待遇は非常に改善されたのだ。


 そのため執行人の一族は、突如人として扱ってくれたジェイクに対して、鋼の忠誠心を抱いていたのだ。


 そして。


「へ、陛下。トマの村の徴税をしているサイモンの件ですが、彼が報告に上げた税と、現地の聞き取りで分かった実際の税に大きな乖離が……」


「そうか。引き続き入念に調べよ」


 遠からず、その重厚な剣が振り下ろされるだろう。

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